エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた

05.社内・社外での特別業務

 ラブホテルで激しい一夜を共にした翌日。

 これで終わりとすると決めていた麻衣子とは違い、思い出の一夜にはしないと言い張る斎藤課長こと隼人はこれっきりに納得せず、妥協策として一か月間の「お付き合いお試し期間」を設けることになった。

 お試し期間中、お互いに恋人として付き合うのは無理だと思ったら上司と部下の関係に戻ること。
 会社関係者には絶対に口外しないことを約束して始まった二人の関係は、麻衣子が当初抱いた不安をよそに順調に進んでいた。



 お昼休憩から戻る途中、廊下で眼鏡をかけた“斎藤課長”に声をかけられ、麻衣子は足を止めた。

 勤務時間外、お試しお付き合い中はかけていない眼鏡。
 久し振りに眼鏡をかけている隼人を見て、ときめく心を抑えてあくまで余所行きの顔を彼に向ける。

「須藤さん、ついでにこれを坂田部長に持って行ってくれないか?」

 持っていたファイルを麻衣子に手渡し、隼人は眼鏡の奥で切れ長の目を細めた。

「坂田部長に渡す前に、書類が合っているか確認して欲しい」
「はい」

 頷いたのを確認した隼人はくるりと背を向けて、何事も無かったかのように隣を歩く男性社員とこの後の会議について話しながら立ち去って行った。

(事務連絡だけ、か)

 今まで通りの上司と部下の関係を装わなければならない、そう分かっていても少しだけ寂しく感じてしまう。

 溜息を吐いて、麻衣子は首を振るう。
 今はお試し期間。
 お試し期間が終わったら、斎藤課長と自分は釣り合わないと交際を断らなければならない。

(寝起きの時とは違って、きっちりした斎藤課長の眼鏡バージョンは格好良かったな)

 届けてほしいと、隼人から手渡されたファイルを開いて、ハッとした。

『会議前に会いたい。14時、第3小会議室で待っている』

 ファイルを開いた最初のページに貼られていた付箋を取り、スカートのポケットにしまう。
 高鳴る胸の鼓動と赤くなる顔を隠そうと、麻衣子は俯いて両手でファイルを抱き締めた。



 コピー用紙と封筒を倉庫へ取りに行く、という作業を口実に麻衣子は第3小会議室へ向かった。

 照明も消えて窓のブラインドも下りている室内は薄暗く、音が出ないように慎重に扉を開けた麻衣子は暗がりにうごめく影を目にして悲鳴を上げかけた。
 開いた口を大きな手の平が塞ぎ、悲鳴は声になって出てこず空気が漏れだけ。

「しっ、麻衣子さん」

 背後から麻衣子の口を塞いだ隼人は、そのままゆっくり会議机の側まで歩き、口を覆っていた手を離した。

「もうっどうしたんですか?」
「昨日、会えなかったから、会議前にどうしても会いたかったんだ」

 麻衣子の手を取り、指先へ口付けた隼人の声に拗ねた響きが宿る。

「だって、昨日は」
「分かっているよ。お母さんが来たんだろ? でも、会えなくて寂しかった」

 眉尻を下げて近付いて来る隼人の顔は、眼鏡をかけた斎藤課長バージョンでなければ置き去りにされた子犬の様に見え、キュンッと胸が締め付けられる。
 顎を掴まれ上向きにされて、近付く隼人の顔。
 キスの予感に目を閉じて、流されかけていた麻衣子はハッ気付く。

「ま、待って、今から上の方々と会議があるのでしょう」

 近付く隼人の胸へ、両手を当てて止める。

「そ、退屈な会議。面倒だけど出なきゃならない」
「退屈でも、お仕事です。頑張ってください」
「じゃあ、頑張れるように麻衣子さんを補充させて」

 眼鏡の奥の瞳を細め、隼人は妖しい笑みを浮かべた。

「補充?」

 微笑む隼人から情事前に似た雰囲気を感じ取り、麻衣子はコクリと唾を飲み込む。

「いい?」

 眼鏡を外さない彼は、あくまで“斎藤課長”のままでの補充を望んでいる。

「はい。斎藤課長」

 目元を赤く染めた“斎藤課長”からの圧は逆らい難く、麻衣子には頷くしか選択肢は無かった。


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