天敵御曹司はひたむき秘書を一途な愛で離さない
戻った日常
「二ノ宮、この資料はやり直しだ。この市町村の条例関係の制約が抜けている」
 獅子王不動産本社ビル最上階にある副社長室で、事務作業に集中していた穂乃果は、拓巳から声をかけれてパソコンから顔を上げた。差し出された資料は昨日穂乃果が提出したものだった。
「あ、すみません……。すぐにやり直ります」
 穂乃果は謝罪して受け取った。
「資料作成の範囲が関東からいきなり全国になったからな。取りこぼしてしまうのは仕方がない。だが命取りになる場合もあるから気を付けるように」
 しっかりとフォローもして拓巳は席へ戻っていく。穂乃果はまたパソコンへ戻った。
 穂乃果が彼に別れを告げてから二週間が過ぎた。
 穂乃果の口から別れたい、彼を好きじゃないと言えば別れると約束していた彼は、その言葉の通り納得してくれた。
 休憩時間にじゃれるように触れられることもなければ、金曜日の夜にマンションへ来いと言われることもない。
 もしかしたら別れを告げたことで彼の秘書でいられなくなるかもしれないと少し心配していた穂乃果だが、それは取り越し苦労だった。
 信頼し合う上司と部下という関係はまだ健在である。恋人としてではなく部下としてそばにいたい。
 本当になにもかもが穂乃果の望んだ通りの結果になった。
 それなのに、この二週間穂乃果の心を支配しつづけるのは空虚な想いだった。
 穂乃果を見つめる熱い視線、頭の中心をグラグラと揺さぶるような情熱的な彼のキスが忘れられなくてつらかった。
「ん、完璧だ。今日はもう上がっていいよ」
 資料についてのダメ出しを食らってから小一時間、一心不乱に打ち込んだかいあって訂正はその日中にできた。
 時刻は六時すぎ、就業時間を少し過ぎている。
「でも、副社長はまだ残られるんですよね」
 もう帰っていいという彼に、穂乃果は言葉を返した。
「ああ、だが君にやってもらうことはもうないし、なにより明日は早いだろう。早めに寝て備えてくれ」
 明日から、ふたりは出張で北海道へ行くことになっている。獅子王不動産は業界では常にトップを走っているが、地域別の売上高では北海道だけがやや弱い。そこを補強するのが、今後の課題で、今回の出張ではその足がかりを掴むための第一歩である。
「こっちとは違ってあちらはもう寒いくらいだと先方が言っていた。しっかり準備してくるんだぞ」
 その言葉に、穂乃果の胸が締め付けられる。
 自分から告白しておきながら、理由も言わずに別れを決めた薄情な部下に、彼は変わらずに優しくしてくれる。熱心に指導してくれる。
 なにもかもが穂乃果の望んだ通りなのだ。
 それなのに……。
「二ノ宮?」
 少しぼんやりとしてしまっている穂乃果を拓巳が不思議そうにこちらを見ている。
「わかりました。……お先に失礼させていただきます」
 穂乃果は慌てて取り繕うように笑みを浮かべた。
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