天敵御曹司はひたむき秘書を一途な愛で離さない
兄の説教
「二週連続で朝帰りとはいったいどういうことだっ! 穂乃果」
 土曜日の昼下がり穂乃果の自宅のリビングでは、和馬の説教が続いていた。
 穂乃果が拓巳と別れることに失敗して、また彼と夜を過ごして一夜明けて、穂乃果が自宅に帰ってきたそのまま、兄に捕まってしまったのである。
「だって急だったんだもの……」
 そもそも穂乃果は拓巳のマンションへ行った時点ではまさか泊まることになるなんて思ってもみなかったのだ。
 だから当然連絡もいれなかったし、"そういうこと"になってからはメールを入れるどころではなかったのだ。
 はじめての夜同様、拓巳は穂乃果をこれ以上ないくらいに優しく熱く翻弄した。『俺が嫌いだとひと言言えばやめてやる。言えないなら穂乃果は俺のものだから』幾度となく繰り返されたその言葉さえ、得体の知れない熱を帯びて穂乃果の身体に火をつけた。
 そして気が付いたらそのまま彼の寝室で朝を迎えていたのである。
 土曜日の今日も仕事があると言って拓巳は先にマンションを出た。
『疲れただろう。ゆっくりしてから出ていいからな』
 そう言ってベッドの中の穂乃果の頭を撫でる彼は、完全なる彼氏の顔で、穂乃果が彼を嫌いだと言うまでは別れないというのは本当のようだった。
 思ってもみなかった展開に、唖然としたまま家に帰り。兄に追求された穂乃果が、咄嗟についた言い訳は、仕事帰りに飲みに行って遅くなったから会社から近いところ住んでいる同僚の家に泊まったというものだった。
「じゃあどうして連絡を入れなかった⁉︎」
「疲れてたの! 友達の家に着いたらとにかく眠たくて寝てしまったのよ」
 言いながら膝に置いたバッグのギュッと引き寄せる。中には拓巳から半ば無理やり渡された彼のマンションの合鍵がある。万が一にでも兄に見られたら大変なことになってしまう。
「まったく獅子王の社員は飲んでばかりなんだな……」
 ぶつぶついう兄の言葉に、穂乃果はムッときてしまう。お兄ちゃんだってしょっちゅう飲みに行ってるじゃない、という反論しかけるが、そもそもは自分のついた嘘なのだと思い直し口を閉じた。
「和馬、あなたそろそろ出かけないとダメなんじゃなかった」
 このままではいつまでも終わらなさそうなやり取りに兄の隣にいた母が助け船を出してくれる。
「……そうだった。くそっ。とにかく穂乃果、これ以上朝帰りは許さないからな!」
 そう言って立ち上がり部屋を出ていった。
 玄関のドアがバタンと閉まるのを確認してから、母がやれやれというようにため息をついた。
「あの子もそろそろ妹離れしてもらわないと。穂乃果に彼氏でもできれば、ちょっとは変わるんじゃないかしら」
 そう言って意味深な目で穂乃果を見る。母の口から出た"彼氏"の言葉に穂乃果の胸がドキンとした。
 今までの穂乃果なら『あのお兄ちゃんがいたらできるものもできないよ』と愚痴を言うように答えていた。でも今はその言葉が出てこない。
 昨夜別れ話に失敗をしたのだから、一応拓巳はまだ穂乃果の彼氏だからだ。
 すると母は途端にパッと嬉しそうな顔をして、立ち上がり穂乃果の隣に腰を下ろす。そして目を輝かせて穂乃果に向かって問いかける。
「やっぱり! 穂乃果、お付き合いする人ができたのね! 先週も今週もその方のところに泊まったんでしょう?」
 穂乃果は少し考えてから素直にこくんと頷いた。
 兄とは違って母は穂乃果に今までまったく彼氏がいないことをいつも残念がっていた。相手はともかくとして彼氏ができたということに関しては喜んでくれるにちがいない。
「やったじゃない!」
 案の定嬉しそうににっこりとする。そして興味深々と言った様子で詳細を聞き違った。
「どんな方? カッコいい? 獅子王不動産の社員さんなんでしょう?」
 母の問いかけに、少し考えてから穂乃果はこくんと頷いた。今は仕事一筋の穂乃果には他に出会いはない。獅子王とはまったく関係のない人物だと答えて、どのようにして出会ったのかと尋ねられてもうまい言い訳を答えられる自信がなかった。
 母がにっこりとした。
「やっぱり! 獅子王の社員さんならエリートだからいいわよね。お給料も高そうだし」
 その少し意外な答えに穂乃果は首を傾げた。
「お母さんは、私の彼氏が獅子王不動産の社員でもいいの?」
「いいんじゃない?」
 母は答えた。
「お兄ちゃんはあんなんだけど、世間では同業者同士での結婚なんて珍しくないでしょう? 獅子王不動産なら、お給料も高そうだし……」
 母なりのこだわりか、もう一度給料について言及した。
「どうしても気になるなら、結婚する時にこちらに転職していただくっていう手もあるわよ」
 まだ付き合ったばかりなのに、結婚なんて話が飛びすぎだと思うけれど、一方でそういう方法もあるのかと、穂乃果の目から鱗が落ちる。もし彼が獅子王不動産のただの社員だったら……。
 でもすぐにそれではダメなのだと落胆する。
 彼はただの社員じゃない、これからの獅子王不動産を背負って立つ人物なのだから。
「とにかくお母さんは反対しないわ。きっとお父さんも同じよ。でも心配だから無断で朝帰りはやめてちょうだい。お母さんにこっそりメールしてくれたらお兄ちゃんには私からうまく言っておいてあげるから」
 母の言葉に、浮かない気分を隠したまま穂乃果はこくんと頷いた。
< 9 / 24 >

この作品をシェア

pagetop