もふもふ、はじめました。
 静かに低い声で囁くように聞いてくるから、私はなんだかドキンとしてしまう。

「そのっ……実はあまり記憶なくて……何か、私言いました?」

 もしかしたら別れたばかりの元彼の愚痴を語ってしまったのかもしれない。

「……いや、君が僕の毛皮がお気に召したみたいだったから……」

 どこか言いにくそうにする吉住課長。その長い黒い尻尾は彷徨うように私の足に近づいては離れていく。不思議なその様子をなんとなく見てしまう。

「あ、だから獣化してくれてたんですね……」

「……君が泣くから……」

 確かに泣いたせいか化粧は剥げてすごいことになっていて、あの後、近くの駅の化粧室で絶叫しそうになった。

「吉住課長にはご迷惑をおかけしてしまって……本当に申し訳ありませんでした」

 私の謝罪を聞いた吉住課長は、目を煌めかせ腕組みをした。

「良いよ。君が食事に付き合ってくれたら、それは帳消しにしても良い」

 私は逡巡した。彼の言わんとしていることは、わかる。わかるけど、私は彼氏と別れたところで……正常な判断が下せそうにない気もする。

「その……お誘いはとっても嬉しいんですけど」

「金曜、七時に会社の最寄り駅東口だ。良いね」

 吉住課長は有無を言わせない口調で言ってから扉を開けてするりとしなやかな動作で行ってしまう。

 取り残されたのは、呆然とした私。

 あ、これもう断れないやつだ。
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