姫の騎士

10、息抜き

 酒場の仕事の遅番に入ったアニエスは、隅の席で酒を飲むセルジオに気が付いた。
 他人を拒絶するような雰囲気を漂わせ、見るからに落ち込んでいる。
 少し前までは毎晩のように顔を出していた男である。

「なんなの、またあんたたち、騎士試験落ちたの?」
 アニエスは後ろの席で盛り上がっているセルジオの友人たちの席の、テーブル一杯に広がった空いた皿とグラスを片付けた。
 赤ら顔をした大きな体はロッシだったか。
 彼らはもうすっかり出来上がっている。

「またってひどいなあ。確かに俺は筆記試験で落とされたけどな!あいつはいいところまでいったのになあ。結果を教えてくれないんだが、どうせ落ちたんだろ!ひとりでいじけているセルジオを慰めてやってくれ!あんたのこと好きだったしなあ」

 アニエスは過去形に気が付かないわけではない。
 胸がちくりと痛むが、いちいち傷ついたことを教えるような乙女ではない。

「ねえ、大丈夫?飲みすぎでしょう」
「おいこらっ、持っていくな」

 酒瓶を取り上げたアニエスは掴まれた。
 赤銅色の目がうろんげにアニエスを見上げた。

「なんだ、俺の美人じゃないか。元気にしてたか」
「あなたがいなくてももちろん元気よ。わたしは、昼も夜も忙しいんだから」
「ふうん?何して?」
「何してって、いろいろよ?」
「男のところに行ったり来たり?」

 セルジオは肩ひじを机につき、アニエスを離して、その手で真っ赤な髪をかき上げる。
 セルジオは触れると怪我をしそうな、少し危険な男の色気を漂わせる。
 まだ19歳なのに反則である。

 アニエスは酒を飲んでいる男の発言は、右から左に聞き流すことにしている。
 夜の仕事をしていると、身持ちが緩い女であると誤解される。
 アニエスは人を見る目はあるほうである。
 男が自分に本気なのか、遊びなのか、見極める。
 付き合ってきた男たちはみんな、アニエスに対して本気だった。
 だが本気でアニエスを好きだといった男たちは、病気の妻をもつ既婚者であったり、子だくさんの良きパパだったり。
 好きだ、愛していると言って男はキスをして、そして、アニエスとは別の、彼の本気の家庭に帰っていく。
 彼らの自分に向かう本気だけでは、自分は幸せにならないと何度目かに思い知らされて、信念を変えた。

 大事にすべきは男の気持ちではなくて、自分の気持ちではないか。
 自分が好きか、嫌いかが重要だと思った。
 そんな時に声をかけてきたのが、友人たちに囲まれるセルジオ。
 見られるだけで丸裸にされるような気がした。ぞくぞくした。

 彼の、赤銅色の目で見つめられたい。
 燃えるような髪のように、彼の熱に浮かされたいと思う。
 セルジオは自分を女として求めていた。
 だから、何度目かに誘われてベッドインしたのは、アニエス自身が彼をこの腕に抱き、セルジオが欲望むき出しになり、悦楽に顔をゆがめる姿を見たいと思ったからだ。
 初めて他人の本気より、自分の好きに従ったアニエスだった。
 それが、まさか、たった一度のセックスで終わるとは思ってもみなかったのだけど。

 知れば知るほど、アニエスはセルジオに惹かれた。
 セルジオは自分の将来をその手で掴めないでいた。
 たった一握りの栄誉ある騎士になりたいと切望する。
 私生児で下町に育ちながらも、貪欲に学び考え切望する姿は、今まで出会った世慣れて完成された男たちとは全く違っていた。

 誰がこうして、彼がああいって、彼女がそうしたから、わたしは怒って、ひどいでしょ。面白いでしょ。意外でしょ。

 彼と話をしても、自分が噂話に毛がはえた程度の会話しかできないことに気が付いた。
 こんな自分では、自分の夢をかなえるために貪欲に学び努力する男には、物足りないに違いないと思う。
 自分がただ単に流されて生きていたことを思い知ってしまった。

 セルジオは、本当ならば自分の手の届くような男ではない。
 以前、自分が彼に言った、治安警察兵や辺境警備兵などの手堅い仕事につくならば、色気と安定を備えたセルジオを女たちはほっておかないだろう。
 だがセルジオは夢をあきらめきれない。
 どんなに努力しようとも、忠義を求める騎士に、傭兵を思わす赤毛は敬遠されてしまうのだ。
 
 セルジオをみて、アニエスは自分は何が好きだったのか思い出した。
 アニエスが好きだったのは、母と共に編み物をしたり、ちくちくと袋をぬったりする時間。
 好きがこうじて、学校を卒業して王都の織物工場に働きに出た。
 だけど、日の当たらない工場の埃っぽさと、機を叩く騒音の中に毎日いることが嫌になった。
 好きと仕事は違うのだと思い知った。
 それから工場を飛び出して、友人に進められるままに酒場の給仕をするようになった。
 あれから、何かを自分の手で作り出していない。
 食事でさえも出来あいのものだ。


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