くたびれOL、魔王様の抱き枕を拝命いたしました!?
 数分か一瞬か、どれくらい肩を抱いていたのか分からなくなってきた頃、理子の背後に誰かの息遣いを感じた。
 縮こまる理子を抱き込むように、背後の人物は、そっと肩へと腕を回す。

「いやっ!」

 この腕は、香りは、違う。
 背後の人物は、シルヴァリスではない。
 突然の事に頭がついていかず、目蓋を閉じたまま両腕を動かして腕から逃れようと暴れた。


「……落ち着いて下さい。お妃様?」

 耳元で囁かれた声にビクリッと体を揺らす。
 ゆっくりと目蓋を開いて、背後を確認する理子の目元を長い指先が拭った。

「こんなに怯えて涙を流して、お可愛そうに」

 大きく目を見開く理子の顔を、覗き込むようにしている男性の長い黒髪がさらりと肩を滑った。
 可愛そうにと言いつつも、彼のコバルトブルーの瞳は鋭いままで、口元は薄ら笑いを浮かべていた。


「貴方は……」

 何故、彼が此処にいて自分を抱いているのだろうか。

「ダルマン、侯爵?」

 カラカラに渇いた喉から出た声は、ひどく掠れていた。

「どうして、貴方が? 此処は……」

 首を回らして理子はようやく、自分が居る場所がアーケード街ではなく、西洋風の豪華な居間だということに気付いた。
 いつの間に転移したのだろうか。


「此処は私の屋敷ですよ。ようこそ、リコ様。やっと貴女をお招き出来て嬉しいです」

 カルサエル・ダルマンは片腕で理子の腰を抱いて、もう片方の手を胸に当てて形だけの礼をとる。
 その余裕綽々の態度から、理子が彼方の世界に居た時からこうなるように彼によって仕組まれていたのだと、理解した。

「貴方が、彼女を送り込んだのね」

 それならば、突然無人のアーケード街へ入り込んでしまったのも、見知らぬネグリジェ姿の女性に襲われたのも辻褄が合う。
 魔王の不在のタイミングで理子を拉致するとは、カルサエルは魔王に仇なすことを考えているのではないのか。
 睨めば、カルサエルは口元だけの薄ら笑いを消す。

「ええ。彼女は、魔王様から不興を買い魔力封じの鎖を受けていましたから、魔王様の魔力に僅ながら耐性があった。リコ様にかけられている守護魔法を破るのには、うってつけの者だったのですよ。愚かな女のお陰で、こうして貴女に触れられる」

 目を細めたカルサエルは、クツリと喉を鳴らして嗤う。

「何故、私を……」

 嫌な予感に逃げ出したくなるが、腰に回された腕の力は強くて身動きが取れない。

「リコ様、貴女が可愛らしい方で良かった。コレならば、傍らに置いても許せますから」

 くいっ、カルサエルの人差し指と親指が理子の顎を掴み、無理矢理上向かされた。

「は、離して」

 両手でカルサエルの胸を押しても、彼の体はびくともしない。

「ああ、何故、リコ様を呼び寄せたのかという問いにお答えしましょうか」

 互いの息遣いを感じるくらい、理子を見下ろすカルサエルの顔が近付く。
 顔を背けたいのに、強い力で顎を掴まれているせいで逃れられない。

「簡単な事です。魔王様から魔力を与えられ、妃の印を刻まれた貴女を私のモノにするため、ですよ。私が次代の魔王となるためには、他の魔族に認めさせるためには……貴女が必要なのです」

 ニヤリ、カルサエルは口の端を吊り上げた。
 彼のコバルトブルーの瞳には、捕食者が獲物を捕らえた歓喜の色が浮かぶ。

「なにを、言って……」
「直に、貴女の魔王様は倒される筈です。異世界の勇者の手によってね」

 やはり、勇者は魔王シルヴァリスと戦うのだ。全身から音をたてて血の気が引くのを感じた。

「そんな事!んっ」

 無い、と続く台詞は噛み付くように落とされた口付けによって封じ込められる。

(嫌っ! シルヴァリス様!)

 自分の意思と関係なく、カルサエルにキスされてしまい、唇を舐められた嫌悪感がぞわぞわ沸き上がってくる。

 咄嗟に瞑ってしまった理子の瞳から、涙が零れ落ちた。
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