策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
「俺だって人間だ、心がある。動物が好きだから獣医になったんだ、つらいさ」

「卯波先生は?」
「クールで感傷に溺れない卯波でさえも、心に重荷を背負って必死に耐えてる」

 冷静沈着で動揺もしない卯波先生も。

「あいつは昔からつらさを微塵(みじん)も見せず、周りが敬遠する処置を(いと)わず率先して淡々と施す」

 いつも涼しい顔をしていて、感情を表に出さない卯波先生。

「まるで職責の重圧を、ひとり背負って抱え込むように」
 
 ほかの獣医師とおなじように、やるせない悔しさや哀しみの感情っていう重い負担を心に背負っているんだ。

 消えることのない罪悪感を心だけじゃなく、腕にも持ちつづけてじっと耐えているんだ。

 だから、私の気持ちが手に取るようにわかるから、楽になるように泣かせてくれたんだ。

 私より重い処置を施しているのに、人の心配ばかりして。自分もつらく苦しく哀しいのに。

 それに耐えて、何事もないように私を受け止めて、私の心の奥底から負の感情をすべて拭い去ってくれた。

「どうした? ずっと黙り込んで」
「いえ、なんでも」

 卯波先生の優しさが心の底から、じんと身に沁みて震えてしまいそう。どうしよう、涙が出そう。

「いろいろあるさ、この仕事してると」

 ***

 今朝一番の患畜は、昨日の哀しみの空気を入れ換えてくれるように表れた、生後九ヶ月のリスザルの石崎モア。

 目がクリクリで、まだ赤ちゃんみたいな幼い顔つきの女の子。

 性格は人懐こくて手を出したら、そのまま胸にしがみついてきて離れない。

 問診が終わり、診察室を出たくてもモアが抱きついたまま。

 オーナーが「そのまま連れて行ってください」と笑いながら言うから、抱いたまま診察室を出た。

 この状況が、いつものパターンなのかな。

「院長、抱きついたまま離れません」
「モアだ、大きくなったな。今日はどうした?」
「昼夜の寒暖差で体調を崩したみたいです」
「おい、モアが来たぞ」
「了解」

 卯波先生が読んでいた資料を置き、すらりと伸びる持て余す足で、回転椅子を蹴って立ち上がった。

 蹴るのも立ち上がるのも、私にはあそこまでカッコよくできないな。凄くかっこいい。

「モア、来たのか、おいで」

 卯波先生が私の腕の前で手を出すと、相思相愛のように、モアが卯波先生の胸に飛び込んでしがみつく。

 あまりに驚いて、ボスザルの雄叫びみたいな声が出そう。

 目の前の人は誰? いつもの卯波先生じゃない、どこのどなた様?

 これでもかっていうほど、下がりきった目尻に、くっつきそうなほど上がっている口角。

 囁く声は、溶けたホワイトチョコに練乳を混ぜたみたいに甘くてとろけそう。

 見てはいけないものを見たような、もっと見たいと好奇心を煽られるような複雑な心境。
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