策略家がメロメロ甘々にしたのは強引クールなイケメン獣医師
 今回のレクの場合。

 どうしてワクチン接種をしなかったの!
 なんでリードを、しっかり持っていなかったんだ!

 家族からの言葉の猛攻で、オーナーが責められやしないか。
 心配で、たまらなくて胸が締めつけられる。

 隔離室の様子は、どうなったかな。気にはなるけれど、診察室を片付けても隔離室には近づけない。
 
 今すぐレクが旅立つ現実を、私は受け入れられていると思う。
 自分の中では、仕方がないと納得していると思う。

 院長も卯波先生も坂さんも私もオーナーも、みんなでがんばったから。

 全力を出し切り尽くした。レクはレクで命の限り、生きようとがんばったから。

 命の尊さを、身を呈して教えてくれたレク。

 微かに灯るレクの命のともし火が、今から人工的に消える場面は、まだ私には直視できない。

 坂さんは平静を装っているのか、職業柄の慣れなのか、ふだん通りに淡々と受付業務をこなしている。

 院長とオーナーが診察室で話しているあいだ、ずっと隔離室でレクと向き合っていた卯波先生は、ひとりなにを想っていたの?

 安楽死を施すことに決まった今、どんな想いなの?

 レクの安楽死と、このあいだの元気な子猫たちの安楽死。私は、まだまだなんだなって未熟さを突きつけられた。

 愛着があるレクが、この世から旅立つなんて信じられない。

 つらくて哀しい現実を、こうして受け入れていかなくちゃいけない仕事なんだね。

 レクは今、なにを想うの? 望み通りの最期を迎えられる?

 動物病院は、毎日が生と死の隣り合わせ。

 生と死が、身近で日常的に繰り返される毎日は、一般の方々の日常とは異なる。

 患畜の死の他にも、わが子や兄弟のような存在の患畜の死に直面するオーナーや、その家族の感情もスタッフは受け止め、ケアする。

 命を預かる仕事にかかるストレスは、人が思うよりも重く心にのしかかる。

 ただただ苦痛に耐える患畜を見ていると解放されて、楽になれてよかったねというのが本音のときもある。

 寝る間も惜しんで、徹夜も(いと)わず、患畜の命を救う院長や卯波先生でも、私とおなじ本音を漏らすこともある。

 スタッフも患畜も双方が、がんばっても治る見込みがない仕方のないことだから。

 感傷に浸っている暇はない。

 患畜が落ちようが(死のうが)、隔離室から一歩でも出れば、もうそこは通常通りのラゴムであって忙しく回りつづける。

 今もまた外来患畜は次々に診察を待っている。そう、いつものラゴムなんだな。

 頭は切り替わり、患畜の問診を終えて、院長に病状を伝えると、その足で院長は診察室に入って行った。

 ひとりになり隔離室に目を移すと、バスタオルに包んだレクを抱き締めるオーナーが顔を伏せたきり、打ちひしがれている。
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