仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない


 オペ前、病室で大知と二人きりになったとき

『子どもが小さいからまだ死ねないんです。絶対に助けてください』

 と、懇願されたときのことは、今も鮮明に覚えている。最初に外来を訪れた時も、オペが決まったときも常に気丈だった彼女の、初めて見せた弱音だった。

 腫瘍の性質や部位によっては、術後の生活に影響がでる場合もあるため、どこまで腫瘍を取り除けるかにかかっている。

「鉗子」

 パシッといい音を鳴らしながら、大知に手渡される。

 繊細な動きを見せる大知の手元に、オペ室にいるスタッフの目が集まる。その動きは、さっき卵を割っていたおぼつかない手と同じものだとは思えないほど。

 勉強のために見学に来ている、学生は研修医も複数。大知のオペは繊細かつ、スピーディーで、見学者が後を絶たない。今もほぼ全員が熱心にメモを取っている。無駄が全くなく、まさに大知らしいオペ技術だといえる。

「すっげ。もう病巣見つけちゃった。岩鬼先生の、今日の集中力はおばけっすね」

 今日のオペの第一助手である、黒瀬が茶化すように言った。

 彼にこんな口をきくのは、黒瀬くらいだろう。丸顔にくりっとした二重のせいか、三十歳には見えず、いまだに大学生に間違えられるのだとか。



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