夫の一番にはなれない
「……ねえ、來」
「ん」
「もし、今度……私が、酒井さんの家に行ったら、迷惑かな?」
「迷惑じゃないよ」
「……じゃあ、私でも、行ってもいいと思う?」
來は、驚いたように目を見開いた。
でもすぐに、少しだけ笑って、こう言った。
「うん。むしろ、お前の方が向いてるかも」
「そんなことないよ」
「あるよ。俺は、どうしても“担任”って立場で行ってしまう。でも、奈那子は“先生”でも、“居場所”でもいられるから」
その言葉に、胸が詰まりそうになった。
私は“居場所”になれていたのだろうか。
たった数回の会話しか交わせなかったけれど、あの子の中に、私がいたなら――。
「……じゃあ、行ってみる」
そう答えると、來は黙ってうなずいた。
そして、マグカップに残っていたコーヒーを一口、飲んだ。
私はもう一度、自分のカップを見つめた。
もうぬるくなってしまったコーヒーが、少しだけ、あたたかく感じられた。
「ありがとう」
ようやく、その一言を声にして言えた。
來は「……なんで今さら」と言いたげな顔をしたけれど、それでも何も言わず、笑った。
私たちはまだ、“好き”とも、“本物の夫婦”とも言えないままでいる。
だけど、何かを信じたいと思えるようになっていた。
酒井さんに会いに行こう。
もう一度、あの子の声を聞きに行こう。
そして、ちゃんと話してみよう。
私はまだ、教師として“何もできていない”かもしれないけれど――
“できることが残っている”と信じられるうちは、立ち止まりたくなかった。