秘夜に愛を刻んだエリート御曹司はママとベビーを手放さない
 それでも、志弦は席を立ったりはせずに、清香に事情を説明した。
「すまない。弟は急な仕事が入って、今日はここに来られない。時間的に君はもう家を出ているかもしれないと思い、俺が謝罪に来たんだ」
「そうだったんですね。わざわざ出向いていただいて、申し訳ありません」

 見合いといっても、今日はただの当人同士の顔合わせだ。良家そろっての正式な席はもっと先の予定になっている。ホテルスタッフに伝言する程度でも十分だったのに、清香はかえって恐縮してしまう。

 それ以上に話すこともなく、ふたりの間に気づまりな沈黙が流れた。
 あの夜のことを無視し続けるのは無理がある。勇気を出して、口を開いた。
「あのっ」
 志弦が視線をあげて、清香を見つめた。彼の表情は冷淡だ。あの夜の優しかった彼はもういない。それにおじけづいて、口ごもってしまう。

(なにを言うつもりなの? 弁解の余地もないことをしておいて)
 あれは、まごうことなき〝火遊び〟だ。見合い相手に不実なことなど百も承知で、志弦に抱かれたのだ。
(好きでもない男性と結婚する前に、一度くらい憧れの人との思い出が欲しかった。でも、そんなの言い訳にもならないわ)

 清香の思考を読んだわけではあるまいが、志弦がタイミングよく口を開いた。
「あの夜のことだが……」
 ドクンと大きく胸が跳ねる。判決を待つ被告人になった気分だった。
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