薄幸ノ人妻ハ妖シキ鬼ノ愛ヲ知ル
「謙遜しないでください。私の母よりも手付きが良かった。きっと、あなたみたいな人が良い母親になるのでしょうね」

 彼は何気なく言ったであろうその言葉が、私の頭を鋭く貫いていった。胃が鷲掴みされたみたいに痛くなり、目の奥からはボロボロと涙があふれてくる。鬼頭様は私が泣いていることに気づき、慌てたように私の肩に触れた。

「ご、ごめんなさい、急に」
「いえ、私の方こそ……何かあなたにとって失礼な事を言ったのですね」

 失礼なんかじゃない。けれど、それは今の私にはまるで槍で串刺しにされたかのように痛く、むごい言葉だった。だって私は、ずっと【家族】に憧れていたから。

 私の実母は、まだ私が幼かったころに流行り病で亡くなってしまった。お父様はすぐに新しい女性を迎え入れたが、彼女は私の事をお母様のようには愛してくれなかった。やがて、お父様とお義母様の間には何人もの子どもに恵まれた。赤ちゃんが生まれるたびに、少しずつお父様が私から遠ざかっていくのを感じ、お義母様が前妻の子である私を疎ましく思っていることが伝わってきた。

 だから、私は孤独に耐えながらずっと考えていた。大人になって、この家を出て誰かのお嫁になれたとき、私はそこで本物の家族を得よう、と。私の家族さえできたら、私は家族を愛し、家族は私を愛してくれる。しかし、現実はそうも上手くいかなかった。嫁いだ先の旦那様は私よりも妾に夢中だった。それでも子どもさえできれば……そう考えていたのに、夫婦としての生活はほんの数回程度。いずれも、子を成すことはできず、もう子どもなんて夢のまた夢のような存在になっている。

 私はきっと、どこにいってもひとりぼっちなんだ。どれだけ料理が出来ても、裁縫ができても、私を愛してくれる存在がいなければ意味なんてない。私はぼろぼろと涙を流しながら、思うがまま気持ちを吐き出していた。大きく息を吸った時、体が、温かいものに包まれていることに気づいた。顔を少し動かすと、鬼頭様の頬に私の頭が触れた。

「……あなたはかわいそうな人だ」

 鬼頭様のその呟きは、とても優しいものだった。彼の熱い体温に包まれていると、荒れ狂っていた心が次第に凪いでいくのを感じる。私が大きく息を吐いて体から力を抜くと、彼はさらに強く私を抱きしめた。ずっとこうしていたいと思ってしまうほど、彼の腕の中は心地が良かった。

 しかし、近づいて来る誰かの足音と声がそれを許さなかった。私の体がびくりと震えるのと、鬼頭様が離れていくのは同時だった。どうしよう、と頭は焦り始める。こんな所に二人でいるのがバレたら、きっと旦那様から不信に思われるに違いない。私はとっさに近くの引き戸を開け、鬼頭様の腕を引いてそこになだれ込んだ。そこはしばらく使われていなかった狭い納戸だった。私が上から彼にのしかかる様な形になってしまい、先ほど以上に鬼頭様と体を密着させ、彼らが通り過ぎていくのを待つ。息を潜めていると、それが次第に遠ざかっていくのが分かった。ほっと胸を撫でおろした私が起き上がろうとしたとき、肩のあたりに強い力がかかった。ハッと鬼頭様を見つめると、あの赤い瞳が妖しく光っていた。

「……鬼頭、様?」

 乳母が話していた昔話。鬼の目が妖しい光を放った時、それは危険である印だと、今更思い出していた。鬼頭様は私の体を抱き、今度は硬い床に押し倒していた。

「だ、だめっ!」

 抗おうとしても、彼に手首を押さえつけられて身動きもできない。これが鬼とヒトの違いなのだとまざまざと思い知っていた。鬼頭様の目の光は鋭く、まるで獲物を射止めた野獣みたいだった。けれど……。私の体からふっと力が抜ける。鬼頭様に抱きしめられるのも、二人きりになるのも、私は嫌だと思えなかった。それが伝わったのか、鬼頭様は私から手を離し、抱き起こして再び抱きしめてくれた。まるで綿で包まれたみたいに、優しく。

「……あなたはかわいそうだ」

 その言葉だけで、今までの人生が報われたような気がした。お礼を言いたくて彼を見上げた時、あの赤い瞳に私の姿が映りこんだ。次の瞬間、彼は目を閉じ、私の首のあたりを抑えて近づいて来る。ふっと、唇に柔らかいものが触れた。それが鬼頭様の唇であることに私はすぐに気づいた。

 鬼頭様は幾度も、触れ合うだけの接吻を繰り返す。呼吸は熱っぽくて、唇も首にあたる彼の手も熱くて、私の体もじわじわと温かくなっていく。彼に倣うように私も目を閉じる。すると、彼は口づけをもっと深くさせた。

「……んんっ」

 鬼頭様の舌が私の唇を強引に割った。ぬるりとしたそれが、腔内をまさぐっていく。歯の裏を舌先でくすぐり、私の舌を見つけ当てたらそれをすぐにからめとってしまう。私が呼応するように舌を伸ばすと、彼はゆっくりと、私を床に寝かせていった。その間も深くなった口づけが止まることなく、互いの唾液と呼吸が混じり合っていく。苦しくなって少し顔をずらすと、鬼頭様はようやっと唇を離した。

「あ……」

 だめ、離れないで、もっとして。そんな浅ましい言葉が飛び出しそうになる。私はそれを堪えるけれど、鬼頭様にはそんな事を考えているのが伝わってしまったらしい。熱い唇が耳に触れ、そこも先ほどの接吻のように舌で嬲られる。

「ん、んふっ……ん、ん、」
「紗栄さん」

 鬼頭様は私の名を呼んだ。息が絶え絶えになりながら返事をすると、鬼頭様はそのまま耳元でこう囁いた。

「俺ならあなたを幸せにすることができる……幸せにしてやりたい」

 帯締めが解かれ、帯を緩めていく。緩くなった襟元を大きく開いて、彼はそこにも口づけを落とした。くすぐったい。けれど、もっとシテ欲しい。私は鬼頭様の頭を抱く。鬼頭様は腰ひももほどき、帯を取り払って、襦袢ごと着物を広げていく。暗闇の中で、私は夫以外の男性にありのままの姿をさらしていた。鬼頭様もまるで急ぐように、軍服やシャツを脱ぎ捨てていく。彼の瞳が再び炎を灯した。

「紗栄さん。貴女を、俺のモノにする……いいですね?」

 その言葉に頷くと、彼は再び深く口づけをした。
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