夜を越える熱
顛末書をちらりと見た男性が藍香に視線を投げてきた気がした。顛末書が必要な件で部長室に来た職員だと思われた、と恥ずかしくなる。


「うちの課長から部長室に行くように言われまして……」


黙っている男性に対して説明をする高松の方ではなく、なぜか藍香の方を見られていると感じる。


丁寧に手入れされた革靴。綺麗に着こなした質の良さそうなスーツの足元。こんな部長室のある部署に配属される職員は、きっと選りすぐりのエリートなのだろう、自分とは違う。そう感じる。


─でも、それにしても。


あまりにも感じる視線に、藍香は顔を上げた。


「お待ち下さい」


冷たく無機質に聞こえる声でそう言った主の男性と一瞬目が合い、その人が背を向けたとき、思わずあっと声をあげそうになった。



そこには、あの夜の──あの時の男性と思われる人物がいた。



明るい昼間、職場で見る男性──今井は、やはりきちんとスーツを着込んではいたが、その顔を今初めてはっきりと目にする。

顔の造りはあの夜と同じ、甘い造り。だが知性を感じるその表情は見ようによっては冷たくも見える。



金曜日のあの夜、笑顔を見せたのはこの人だっただろうか。酒が飲めないと言い、話をしようと言い、夜景を見ながら失恋の話を聞いてくれて。


──言わなかったことでむしろ傷付いてるよね。


──人を愛する能力だ。



──誤魔化しておいてあげる。……帰りなよ。




彼が言った言葉が瞬時に蘇った。





そうだ、この声……この感じ。


低く爽やかで落ち着いた話し方。





あの夜の澄んだ大気が一瞬ふんわりと藍香の周りを通り過ぎた気がした。


──この声は、あの時の声。













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