それは手から始まる恋でした
「波野さん、仕事終わりそう?」
「あと少しで終わります」
「金曜だし飲みに行く? 俺のおごりで」
「ありがとうございます。でも遠慮します」
「なんで? 俺とご飯だよ。しかもおごりだよ」

 高良は目をぱちぱちさせて驚いている。これまで断る女性はいなかったのだろうか。でもこれ以上彼と距離を詰めると取り返しのつかないことになりそうな気がしてならない。しかも一方的に私だけが舞い上がり、傷つき、自滅する。そんな想像しかできない。
 彼とは仕事だけの関係に留めるべきだ。

「予定がありますので」
「彼氏?」
「はい。うちで待っているので」

 嘘をついてしまった。でも彼と距離を取るにはこの方法しか思いつかない。
 高良はゆっくりと席を立って私のところに近づいてきた。

「俺以外に触られているってなんか癪だな」

 高良は私の机に手をついて私の椅子の背もたれを持ち座っていた私は高良の方に体を向けさせられた。

 何? なんで近づいてくるの? 

 高良の手は背もたれから離れ私の頬に触れ、私の顔を彼に向けさせたまま彼の指が私の唇に触れた。

「カサカサだな。こんなんで彼氏とキスしてるの?」

 そう言うと彼の顔は私に近づき唇を合わせてきた。これが世に言うフレンチキッス?

 いや、違う。彼の唇は私の唇を優しく包み込み、彼の舌で唇をなぞられている。
 今何が起きているのだろうか。

「これで潤ったな」

 高良は私に微笑みかけている。

「もっと潤いたいか?」

 思考が追い付かない。彼は何を言っているのだろうか? ファーストキスを奪われた私は既にキャパオーバーだった。笑顔の高良は私の肩、そして腕に手を移動させている。肘を触られ、あと少しで手に差し掛かろうとした時、私はようやく正気を取り戻した。足で地面を蹴り、椅子ごと後ろに移動した。キャスター付きの椅子でよかった。

 私の手を取り損ねた高良はきょとんとしている。ちょっと可愛い。ついつい笑ってしまった。

「笑ったね?」
「いえ。笑っていません。ていうか、なんですか今の?」
「キスがどうかした?」
「どうかしたじゃないですよ! セクハラですよ、これはセクハラです」
「ごめん。俺にとっては挨拶の一つだしセクハラになるなんて思ってなくて。それに波野さん、して欲しそうな顔ずっとしてたから」
「し、し、してません」
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