指輪を外したら、さようなら。
6.決意




『あの時、お前に慰められなかったら――』

 長谷部課長の言葉に、全身の血液が沸騰したかのような熱を感じた。

 千尋の不倫は、俺が初めてじゃないことはわかっていた。

 ちょっと考えればわかることだ。

 どうして、社内には千尋の過去の男はいないと思っていたのだろう。

 こんなに近くに、千尋に触れた男がいたのに、全く気が付かなかった。



 他にもいるのか――?



 こうなると、社内の離婚歴のある男全てが、千尋に慰められたのではと思える。



 いや、けど、俺と付き合ってた間はナイはずだ。



 美幸の裏切りを知った時でも、ここまで動揺しなかった。

 ショックだったし、悲しかったし、怒りもしたけれど、それは全て美幸への感情で、相手の男のことは微塵も考えなかった。

 それは、きっと、俺が二番手だったから。

 俺との結婚が、浮気だったから。

 だから、なんの躊躇もなく離婚を決断出来た。

 けれど、今回は違う。

 呼吸も忘れるほど、長谷部課長に嫉妬した。

 今すぐミーティングブースに乗り込んで、千尋は俺の女だと宣言したかった。

 そんなことに意味がないことはわかっている。

 俺にとって、千尋が唯一の女じゃないように、千尋にとっても俺は唯一じゃない。

 だけど、俺が彼女を呼ぶように、他の男が彼女を『お前』と呼ぶことが、嫌だった。

 本当に、嫌だった。

 何よりも、そう出来ない自分の立場が、もどかしかった。

『何しに来た!』

 カフェの客に注目を浴びるほど声が大きくなってしまったのは、完全に無意識だった。

『ご挨拶ね。妻が夫をランチに誘うのが、おかしい?』

『何が妻だ!』

 俺の反応を予想していたのか、美幸は全く動じなかった。

『素敵な女性(ひと)ね?』と言って、美幸はミルクティーに口をつけた。

 ミルクティーだと思ったのは、美幸はコーヒーが好きじゃなかったから。俺が知る限り、美幸はいつもミルクティーを飲んでいた。

 俺は、ようやく、周囲の視線に気が付き、美幸の正面に座った。

 店員が注文を聞きに来て、俺はコーヒーを頼んだ。美幸がランチメニューのサンドイッチときのこの和風パスタを注文した。

『私が声をかけた女性(ひと)が、あなたの相手?』

『は? 誰の――』

『でなきゃ、あなたのことが好きなのね。名乗らなくても気づいたし』

『名乗らなくてもわかるような言い方をしたんだろ』

『どうだったかしら。だとしても、同僚の妻をあんな目で見るなんて、普通じゃないわ』

『あんな目ってなんだよ』

 俺は冷えた水を一口飲んで、軽くネクタイを緩めた。

『私が彼の奥さんを見るような目』

 どんなよ、と思った。

 それから、千尋をお前なんかと一緒にすんな、とも思った。

『で、何しに来たんだよ。ようやく離婚届にサインする気になったか』

 美幸はクスッと笑った。

『今頃、あなたの職場じゃあなたが別居中の妻と復縁するんじゃないかって噂でもちきりかしら』

『は?』
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