指輪を外したら、さようなら。
意味がわからず、突然のキスに目を閉じる気にもなれない私なんてお構いなしに、比呂は舌で私の唇をこじ開けて、侵入してきた。同時に、腰を抱いている腕とは反対の手が、胸に触れる。
セックスするつもりだ。
私は比呂の舌を軽く噛んだ。彼が怯み、唇が離れる。
「なに」
「『なに』じゃないわよ。意味わかんない」
「どの辺が?」と言いながら、身を屈めて私の顎の下にキスをする。
「言葉の意味じゃなく、どうしてそんなルールを補足したのかがわかんない。それに、あのキャリーバッグは? 奥さんのところに帰るんじゃないの!?」
比呂がクスリと笑い、顎から耳に唇を移動させる。チュッチュッと音を立てて、キスをしながら。
「ルールを補足したのは、お前がルールにこだわってるから。あのキャリーバッグは、当面の服やらなんやらが入ってる。少しずつ運ぶつもりだけど、週末までは帰らなくていい。で、奥さんのところに帰らないのか、って質問だけど――」
比呂が顔を上げ、鼻先が触れ合う距離でじっと私を見つめた。
「帰らない」
「……」
「今日から、俺は千尋の家で暮らす」
「――は?」
「他に質問は?」
そう言うと、また、キスを再開した。
頬、瞼、鼻、唇……。
奥さんのところに帰らないのなら――。
「なら、いつ離婚するの? なにか、モメてるの?」
比呂のキス攻撃を避けようと、私は身を捩る。それでも、比呂はやめない。それどころか、キスをしながら私のシャツのボタンを外していく。
「モメてない」
「なら――」
「離婚しないからな」
「――は!?」
ますます意味がわからず、目を見開いている私などお構いなしに、シャツの襟を広げて、肩から腕に落とす。露わになった胸の間に顔を埋め、比呂がもう一度言った。
「離婚はしない」
頭がついていかない。
「離婚……したかったんじゃないの!?」
「したかったよ」
「じゃあ、なんで――」
「離婚したら、お前は俺を捨てるんだろ?」
捨てる――?
その表現に、違和感を持った。
確かに、プロポーズを断った。私たちの関係は比呂の離婚が成立するまで、とも言った。けれど、それは、関係が始まる時にちゃんと伝えていたことだし、清算、とか、解消という表現はしても、私が比呂を、捨てる、だなんて表現は適切ではない。
言うなら、解放、だろう。
そうだ。私は比呂を解放してあげる。妻からも愛人からも解放されて、比呂は新しい人生を始められる。
過去に縛られて生きるのは、私だけで充分――。
考えている間に、比呂に手際よく服を脱がされ、その上、身体中を愛撫されて濡らされてもいた。ただ、人間とは不思議な生き物で、そうして着実に気持ち良くさせられていても、頭の中では全く違うことを考えていたりする。
全身を撫でられ、揉まれ、舐められ、快感に甘い息を吐いても、嬌声を漏らしても、私は比呂の真意がどこにあるのかを考えていた。
離婚も復縁もしないなら、奥さんは何しに来ていたの?
奥さんも離婚しないことで納得したの?
別居中とはいえ、夫の浮気を黙認するの?
どうして、慰謝料をふんだくって離婚しようと思わないの?