指輪を外したら、さようなら。

「それに、お前にも興味があったらしい」

「私のこと、知ってるの?」

「ずっと音沙汰なしだったのに、急にムキになって離婚をせがむのは女がいるからだろう、ってさ。で、会社でお前を見て、俺の相手だとわかったらしい」

「は? 普通に挨拶しただけよ!?」

「お前の目が嫉妬に燃えていたから、だと」



 嫉妬……?



「なんで私が嫉妬なんて――」

「女の勘は怖ぇーな」

「してないわよ! 嫉妬なんて」と言って、私は比呂のこめかみを両手で挟み、グイッと押し上げた。

 目を細めて痛がりながら、比呂は起き上がる。

「俺が言ったんじゃねーよ」

 二人して裸で向かい合って座り、なんとなく目のやり場に困って、私は自分のフランネルシャツを探す。ベッドの下に放り投げられているシャツを見つけ、私はベッドから出ようとしたが、背後からお腹に腕を回されて、叶わなかった。

 フワッと肩に布がかけられる。

 比呂のパーカーだった。

 比呂は自分がさっきまでニットの下に着ていた半袖のシャツを拾い上げ、腕を通した。黒のボクサーパンツはベッドの足元で丸くなっていた。

 私は脱いだショーツをもう一度履く気はなくて、後で別のを取りに行こうと思い、今はパーカーの裾を伸ばすだけにした。

「とにかく、美幸は離婚しないと言い張るし、千尋は俺が離婚したら別れると言い張る。で、千尋と別れないためにと考えた苦肉の策が、離婚しない、だ。美幸にはその意思を伝えて、二度と会社に来ないように釘をさしておいた」

「なに、それ。バカじゃないの!? そんなの、奥さんの思うつぼじゃない! 調停でも裁判でもして、さっさと離婚するべきよ。それに、戸籍に入ってるってことは、奥さんに何かあったら真っ先に連絡が来るのは比呂のところで、逆もそうってことよ? もし、比呂が明日ぽっくり死んじゃったら、保険金は奥さんのモノなんだよ? それでいいの?」

 私は早口で言い切った。息が上がる。

「お前なぁ、縁起でもないこと言うなよ」と比呂は苦笑いをした。

「ま、でも、一理あるな。保険金の受取人のことは、週明け早々に手を打つわ。あ! お前を受取人に指定いーい?」

「ダメに決まってんでしょ! そんなことしたら、比呂が死んだ後に私が周りにどんな目で見られると思ってんのよ」

「俺が勝手に入れ込んでたことにすればいーだろ」

「比呂!」

「つーかさ。愛人なんてやるからには、それくらいのこと望めよ。こんな関係、お前に何のメリットがあるんだよ?」

 私が『愛人』に徹する理由。

 そんなこと、言えるはずがない。

『愛人の子は所詮、愛人の子だ。母親のように、足を開いてよがってりゃいーんだよ!』



 嫌なこと、思い出しちゃったじゃない……。



 人の記憶は、ポイントカードに似ている。

 最終使用日から一年、というやつだ。

 全く思い出されない記憶は、ある日を境に保存期間が終了し、消去される。けれど、微かにでも思い出してしまったら、保存期間が延長される。

 それが、どんなに忘れたい記憶でも。
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