指輪を外したら、さようなら。

 十二年前から保存期間が延長され続ける、吐き気がするほど生々しい声を聞かなかったことにして、私の答えを待つ比呂に微笑んだ。

「面倒臭くない快感?」

「なんだ、それ」

「そのまんまよ。恋人なんて三割の快感と七割の面倒な関係じゃない? 定期的に連絡を取り合って、イベントの度にプレゼントを考えて、それなりに出費して、その一時は喜んで抱き合って満足するけれど、別れるとなったらその出費は無駄でしかない。だったら、私は、自分の欲しいものは自分で買うし、快感が欲しい時に与えてくれそうな男を見つけるの。で、気持ち良くなったらバイバイ。それには、家庭が上手くいってなくて欲求不満な男がピッタリでしょ。立場上、しつこく関係を続けたがらないし、久し振りのセックスに張り切ってくれるし」

 らしくなく、軽い口調でペラペラと喋ってしまう。

「ま、比呂とは? 相性が良かったし、なかなか離婚してくれないから長引いちゃったけど――」

「素直じゃないな、千尋は」

「え?」

「面倒臭くない関係なんて、既婚者を選ばなくても、適当にセフレでもつくっときゃいーだろ。大体、相手の家族にでも知られた方が、よっぽど面倒だろうが。それに! お前、面倒臭くなるほど真剣に恋愛したことないだろ」

「――っ!」

 言葉に詰まった。

 まともに正面からストレートを食らってしまった。

 比呂の言う通り、私には『恋人』というものがいたことがない。

 休日にデートをして、誕生日やクリスマスにプレゼントを交換して甘い夜を過ごす、なんてしたことがない。意味のないメールを送り合ったこともないし、くだらないことで喧嘩をしたこともない。

 恋人が面倒だなんて、完全に想像だ。

「俺としよーぜ」

 ベッドでうつ伏せに寝転んでいた比呂が、笑顔で言った。ゆっくりと起き上がり、正座する私の向いで正座をした。

「俺、お前の初カレな」

「……は!?」



 初カレ――って、中学生か!



 心の中で突っ込みながら、私は呆れ顔でそっぽを向いた。けれど、顎をグイッと掴まれて、無理矢理に正面を向き直る。

「愛人が恋人になっちゃいけないなんてルール、ないだろ?」

 そう言った比呂の顔から笑みは消えていて、その真剣な眼差しは見たものを石にする何とかのようで、私は目を逸らせなかった。



 比呂は、どうしてここまで私を――。



「俺と、恋愛しよう。俺が千尋に、面倒臭い快感を教えてやるよ」

「はい?」

「面倒臭いことが七つあっても、三回ヤったら帳消しだろ?」

 ニンマリと微笑みながら、比呂がパーカーの裾から私の太腿を撫でる。その手をパシッと払い除けた。

「いてっ――。冗談だろ」

「比呂が言うと冗談に聞こえない! って言うか、奥さんいる身で恋人になろうなんて意味が――」

「じゃあ、離婚したら恋人になってくれんの?」

「それはっ――」

「――な? じゃあ、もう開き直るしかねーだろ」

 なんだか、結局はいつもこうして比呂のペースに乗せられている気がする。条件を出しているのは私の方なのに、その条件を逆手に取られているというか。要するに、ずる賢いんだろう。

「心配すんな。会社にバレてお前の立場が危うくなるようなヘマはしねーから」

「……」

 ふっと、ある疑問が頭をかすめた。
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