指輪を外したら、さようなら。
「頭……、おかしいんじゃねーの? 俺は何もしてねーよ」
亘が僅かに声を震わせ、言った。
ガーゼと腫れ上がった顔では、その恐怖に怯えた表情が読み取れないのが残念だ。
「何の話をしてんだよ。被害妄想もいいところだ。あれは……、あの時は、お前が俺を誘ったんだ。俺はお前の望み通り抱いてやろうとしただけなのに、八倉が勘違いして俺に殴り掛かってきたんだ。その証拠に、俺はお咎めなしで、八倉は退学処分になった。お前だって、八倉への罪悪感で転校したんじゃねーか」
「もう、バカってレベルじゃないわね」
「はあ?」
「あれを録画したテープ、どうした?」
「テー……プ」
顔面蒼白でわななく姿を見られないのは残念だ。
「階段から落ちるなんて、不注意ね」
「は?」
「その顔。階段から落ちて顔面を強打なんて、不運ね」
「なにを――」
「――まるで殴られたみたいね」
ようやく、私の言わんとすることを理解したらしく、亘は目を見開いた。
「有川、仕事が溜まってるくせに一週間も有休だなんて、いい御身分よね。あんたの下衆な話を、ちょっと大声で制止したからって大袈裟に暴力だなんだって騒がれて、いい迷惑よね」
「……姉弟のはず――」
「親父の息子に聞いてみたら?」
ブブッとスマホが震えた。
バッグの中で。
同時に、テーブルの上の亘のスマホが騒々しいギター音を鳴らした。
私はバッグに手を突っ込んでスマホを取り出すと、ポップアップでメッセージを確認した。
『今すぐ出ろ』
亘はスマホを耳に当てる。
私はスマホをバッグに押し込むと、リビングを飛び出し、玄関を飛び出した。
「くそっ!」
背後で亘の声が聞こえる。
「待て! クソアマ!!」
待つはずがない。
私はエレベーターのボタンを押し、コートのポケットの中の、手の平サイズの催涙スプレーを握り締めた。
玄関ドアが勢いよく開かれると同時に、亘が飛び出してくる。
同時に、エレベーターの扉が開いた。
今は、この箱の迅速な対応に感謝する。
箱に乗り込み、〈閉〉ボタンを連打する。
亘が扉の正面に立った時、もうダメだと催涙スプレーを顔の前で構えた。
亘が一瞬だけ怯み、扉の枠から手を離した。
それを感知して、扉がゆっくりスライドし、私を迅速かつ安全に一階まで送り届けてくれた。
それから、待たせていたタクシーに乗り込み、伝えておいた目的地に向けてタイヤが回転を始めて、私はようやく息をついた。
微かに脇腹をくすぐられ、私は肩に掛けているバッグを開いた。持ち手を握り締めていた手は、汗でぐっしょりと濡れている。
「はい」
スマホを耳と肩に挟み、ハンカチを取り出して手を拭く。
『無事か?』
「お陰さまで。そっちは?」
『……お前、大河内専務と知り合いか?』
「はい?」
『いや、後で話す。とにかく、俺も今から出る』
「わかりました」