The holiday romance
結婚の意味
「お帰り。」

ハジメは思った通り冷静で
怒鳴ったり責めたりはしなかった。

「心配かけてごめんなさい。」

「疲れただろう?ゆっくり休んで。」

ユキはどうせなら感情的に怒ってくれた方がよっぽど人間的で気が楽だと思う。

とにかく今は早くこの気持ちに決着をつけたかった。

「ハジメさん、少しだけ話をしませんか?」

ハジメは自分のした事を考えたら
ユキが怒るのも無理はないと思って話し合いに応じた。

ユキにヒステリックに罵倒されるであろう覚悟も出来ている。

むしろ怒ってもらってストレスが少しでも解消出来れば良いなんてことを考えながら席に着く。

「わかった。話を聞こう。」

ユキはコーヒーを淹れるために一旦キッチンへ行き、深呼吸をしてからハジメの対面のソファに腰を下ろす。

「どうぞ。」

コーヒーの香りが少しだけ両者の気持ちを落ち着かせる。

「それで…北海道はどうだった?」

いきなり北海道と言われてハジメに先手を打たれた。

ユキは少し動揺したが、これは想定内だと再び深呼吸をしてを気持ちを落ち着かせるために目の前のコーヒーを一口飲んで喉を潤した。

「やっぱり調べていたんですね。

私が行った場所全部?」

「そりゃカードで決済すれば場所なんかすぐにバレる。

君は本当に浅はかだな。」

ハジメはユキにそれほど関心はないが、どこにいるかくらいは把握しておきたいタイプだ。

自分が留守の間、ユキが一日何をしていたか
それとなく家に仕える者に聞いているのをユキも知らないわけではなかった。

ユキはこんな生活に常に息苦しさを感じていたが、
これはユキだけというわけではなく、
五明の家の者は何か起きた時のために常に連絡の取れる状態であることが当たり前だった。

お金やステータスがあるということはそれなりに危険を伴う身の上だからだ。

「調べたのなら話は速いですね。

もうあなたと暮らせない理由を言わなくて済んだわ。」

ハジメが想定していた罵倒も反省もユキにはなかった。
少なくとも知らない若い男と3泊もしたことがバレてユキの方から謝ってくると思っていた。

それなのにまさか自分と暮らせないとまで言われるとは夢にも思わなかった。

大人しいユキなら家のために大抵のことは我慢してくれる筈だ。

しかも五明の嫁にはあってはならないまさかの不貞を働いてきたというのに
全くと言っていいほど後悔していなかった。

「まぁ、君が謝らないのは理解できる。
俺はもっと酷いことを君にしていたんだから。

だけど暮らせないって…離婚するのは現実的に無理だろう?」

「もうお互い…ここまで知ってしまったら一緒に暮らすなんて無理でしょう?

あなたの言う通り、私は家出して知らない人と一緒に旅をした。

もちろんあなたが考えてる通り、それなりの関係に陥ったわ。

そしてあなたは…
恋人と別れられないのは仕方なかったとしても

子供ができないように…手術したなんて。

これだけは…どうしても許す気持ちにはなれない。」

ユキが言葉に詰まって泣きそうになった。

たしかに手術のことを言われると
ハジメには何も返す言葉がなかった。

妻が不貞を働いて帰ってきたのは許せなかったが、
とにかく離婚だけは避けたかった。

これも全部ハジメ自身が撒いた種だ。

今は何とかユキを宥めるしかなかった。

ユキと別れたら今まで自分がしてきた事が全て意味のないものになってしまう気がした。

「子供のことは謝る。
あの時は親に腹が立っていて君の気持ちも考えずに本当に酷いことをしたと思ってる。

今からでも再手術してちゃんと協力するし、
ともかく彼女とは別れる。

一生かけてこれから償う。

だから今回は目をつぶってくれないか?

君が家出して若い男と不貞を働いた事だって水に流すよ。」

マユコとは終わりが見えていたし、
別れて子作りに協力すれば離婚する理由もなくなるとハジメは安易に考えていた。

「そんな簡単な話じゃないわ。
私はもうハジメさんとは…
ハジメさんの子供を欲しいと思えない。
気持ちが…離れてしまったの。」

「旅先で出逢った男のせいでか?
あんなのただの遊びだろう?
だいたいあんな若い男が本気になるとでも?
金を持ってるオバサンを利用するために身体を使ったんだよ。
アイツらにはそれしかないから。」

ユキはハジメのこういう人を見下す言い方が死ぬほど嫌いだ。

自分の行動を責められる前にユキにも非があると証拠を探しておくような用意周到なところも
ユキの気持ちを更に萎えさせた。

「そんな風に言わないで。
彼はそんな人じゃない。
真面目で優しくて…楽しい人だった。」

「流石に部屋で起きたことまでは調べられないが
まさか何もなかったわけじゃないだろ?
人妻を弄ぶようなヤツが真面目なんて笑い話しだ。
 
いくらくれてやったのか知らないが、君も楽しんだと思って忘れる方が身の為だ。」

ハジメが少しずつ感情的になってシンに対しての怒りが芽生える。

ユキはシンのことを悪く言われるとなぜか胸が痛くなる。

「もちろん何もなかったなんて言うつもりもないわ。
そうなったのは衝動的だったかもしれないけど…誘ったのは私の方よ。

彼はただ傷ついた私を放っておけなかっただけよ。

だから私をあんな風に優しく…」

「それ以上言うな!聞きたくもない!」

ハジメが大きな声を出してユキはすごくビックリした。
これほど感情的になったハジメを初めて見たからだった。

ハジメはプライドを傷つけられることが何より我慢ならないのだとユキは思う。

「だから私がそういう事をしたってわかってるなら尚更ハジメさんと夫婦で居るのは難しいと思わない?」

ハジメは我に帰って何があっても離婚だけは阻止しないといけないと落ち着きを取り戻す。

「それならユキもしばらく彼と逢えばいい。

そうすれば彼にとってユキはただの旅先の欲求の捌け口だったっていずれわかる。

あの若い男は寝床を確保するためとそういうことをしたかっただけで優しさなんてどこにも無いってわかるハズだ。

もちろん彼の方は旅が終われば君のことなんて忘れてるだろうけど。

そんな火遊びみたいな関係が恋愛に発展するとでも思ってるのか?」

ユキは一方的にシンのことを否定されて胸が苦しくなった。

確かに初めはそうだったかも知れないがあの別れの時のシンの涙は嘘じゃなかったと信じてる。

「彼とはもう会わないわ。
不倫なんてさせたくないし、彼の未来も壊したくないわ。

貴方と彼女はどうだった?
彼女は今のままで納得してるの?

彼女の気持ちを聞いたことはある?

8年も愛人で居る彼女の気持ちをハジメさんは考えたことがある?」

「だから別れるって言ってるだろう?」

ハジメの口調が強くなった。
ユキももういつものユキではなかった。

「あなたのそういうところが死ぬほど嫌いなの。」

考えてみたらユキが勝手に旅に出てその日に出会った男と勢いで簡単に寝ることなんてハジメは全く想定してなかった。

ユキは常に清楚で大人しく淑やかなどこに出しても恥ずかしくないハジメの自慢の妻だった。

その彼女が他の男に抱かれ、離婚したいと言うなんてあってはいけないことだ。

「確かに彼女は恋人で
結婚した後も別れられなかった。

その時は俺も彼女も叶わない恋に溺れてた。

だけどユキの言う通り、年々彼女も年を取り、愛だの恋だの言ってられない年になった。
だんだん自分たちの未来について冷静に考えるようになった。

いつまでもこのままじゃ居られないと…
最近ではケンカばかりだ。

今はもうお互いに愛してるとは言えなくなった。

恋なんて永遠じゃない。

だから今、ユキがあの男のことを思ってるとしても
そのユキの感情も一過性のものなんだ。

でも俺にとってユキは恋愛対象とかそんな安っぽいすぐ壊れる感情的な相手じゃない。
ユキはオレの人生にとって最高のパートナーなんだ。

だからユキとは夫婦で居ることを終わりにはしない。」

ユキの気持ちを無視してハジメは勝手に話を進める。

「最高のパートナー?笑っちゃうわ。
あなたは本当にいつも自分のことしか考えてないし、私の意見は何一つ聞いてもらえないのね。

あなたとこのままこんな牢獄みたいな生活を続けていく自信はもうどこにも残ってないの。」

「わかってないのは君の方だよ。
この家を出て、どうなるのかわかってるのか?

そりゃユキの家はユキを見捨てたりしないだろう。

俺のしたことを話せばご両親は怒り心頭でユキの気持ちを優先してくれるかもしれない。

でも確実にお義父さんの仕事に影響は出る。

もちろん五明だって君のお父さんとのビジネス関係を解消されたら痛手は負う。

でも離婚したらユキの家の方がダメージが大きいってわかってるのか?

俺たちの結婚はそういうことなんだ。
お互いの家のために結婚したんだろう?

愛だの恋だのとかよりもっと強い絆なんだよ。」

ハジメはその愛を手放したくなくてユキにこんな不義理を働いたのだ。

「貴方はこんな結婚が嫌で親に反抗して私を犠牲にしたんでしょ?
貴方が今、私に言ってることはお義父さまと同じ考えを私に押しつけてるとは思えないの?」

ハジメはハッとした。

ユキの言う通りだと思った。

自分はあの時の最も軽蔑していた自分の父と同じ人間になっていた。

そして今のハジメはもうあの頃みたいに感情だけで突っ走れる立場にはなかった。

この結婚のために払った代償は大きかったし
今は父の考えもわからなくなかった。

寂しいけど自分は変わったんだと思った。

「でも俺は結婚した。
結婚は恋愛とは別物だってあの時、腹をくくった。

ユキがこの先、まだ恋愛したいって言うなら他人にバレない様にすればオレは構わないさ。

俺がしたことを考えたらそれくらい目を瞑ってやる。

所詮恋愛なんて心の病でいつかは治る病気なんだから。」

ユキはまた大きな溜息をついた。

ハジメは何もわかってないと思った。

「私はあの人をこの家の犠牲にはしたくないわ。

それに彼とは二度と会わない。

名前すら知らないし、連絡先も交換してないわ。

彼はただの旅先で出逢っただけの人でいい。

好きになったところでどうにもならないってわかってたから。

彼のこととあなたと離婚することは関係ないわ。」

ユキの意思は思ったより固かった。

そして何よりユキがあの若い男に真剣に恋をしてることに驚いた。

「わかった。
とりあえずしばらく離れて暮らそう。
でも離婚はまた別の話だ。」

そしてユキはその日のうちに家を出て行き、
ハジメはこの広い豪邸に一人きりになった。





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