楽園 ~きみのいる場所~



 それでも、やはり朝は来る。

 正確には、昼。

 目覚めると既に陽は高く、腕に抱いていたはずの楽の姿はない。

「楽!」

 思わず声を上げた。

 部屋の向こうから物音がして、ドアが開いた。

 楽が顔を出す。

「おはよう」

 もう幾度となく抱き合って、幾度となく朝の挨拶を交わしてきたのに、初めての朝を迎えたかのように、楽ははにかんでいた。

「楽、きて」

 手を伸ばすと、楽は躊躇いなく俺のそばに寄り、手を取る。

 彼女の腰を抱いて膝に載せ、肩にもたれた。

「会いたいかった……」

「私も」

「一人にさせて、ごめん」

「ううん。悠久こそ、閉じ込められていたんでしょう? 酷いことされなかった?」

「大丈夫」

「良かった……」

 心から安心したのが、声で分かる。

 今になって、これから楽に話さなければならない現実に、恐怖を感じた。

 俺は、楽の優しさに付け入って、自分の欲望を果たそうとしている。

 力のない自分が恨めしい。

 俺はギリッと強く歯を嚙み合わせた。

「悠久?」

 楽の腰を強く抱き、決して離すまいと、離せない俺を許して欲しいと、心の中で縋った。

 シャワーを浴び終えると、ダイニングテーブルの上には湯気の立つコーヒーと、トースト、目玉焼きとサラダが並んでいた。

「ランチになっちゃったね」

「冷蔵庫、空だったろう?」

「うん。悠久が寝てるうちに買い物に行って来たの。水とビールしかないんだもの。びっくりしたよ」

 独りでは食欲もなく、仕事から帰ってビールを飲んで寝て、起きて水を飲んで仕事に行き、帰ってビールを飲むの繰り返しだった。

「起こしてくれれば一緒に行ったのに」

「疲れてたんでしょう? ぐっすり眠れた?」

「うん」

「良かった」

 そう言って柔らかく微笑む楽から目を逸らす。

 彼女の優しさが、眩しすぎて目を開いていられない。

 そんな彼女を、俺のいる闇に引きずり込もうとしている罪悪感に、吐きそうだ。

「楽」

「ん? あ、食べよう」

「うん」

 久し振りの楽との食事。

 食事が終わったら話そうと、俺は彼女が今までどうしていたかを聞いた。

 楽は、藤ヶ谷さんの手を借りておばあちゃんの遺産を手にし、北海道内を旅していたという。

 その間、藤ヶ谷さんには毎日電話で居場所を伝え、二回は顔を合わせたらしい。

 写真は、その時に撮られたのだろう。

 恐らく、父親の手先は藤ヶ谷さんを尾行(つけ)て、楽の居場所を掴んだ。

 楽は写真を撮られたことも、尾行されていたことも気づいていなかった。

 一緒に暮らしたウィークリーマンションは、今も借りたままになっていた。

 食事を終えて、後片付けをする楽を眺めながら二杯目のコーヒーを飲み、どう話しだそうかと考えた。

 どんな話し方をしても、俺の願いは楽を苦しめるだろう。

 考えがまとまらないまま楽が片付けを終え、俺は覚悟を決めて深呼吸をした。

 が、楽は冷蔵庫を開けると野菜や肉を取り出した。

「なに、作るの?」

「ん? 夜ご飯の下ごしらえ」

「そんなの後で――」

「――ごめんね? やってしまいたいの」
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