楽園 ~きみのいる場所~

 俺はコップの水を一気に飲み干すと、立ち上がった。

「もう大丈夫です。部屋で寝てください」

「でもっ――」

「――そんなところに寝られたら、俺の方が気になって眠れません」

「すみません……」

 こんなにきつく言う必要はない。わかっている。だが、ゆっくり休んでほしかった。それに、無性に腹が立った。

「部屋に……行ってください」

「……」

 お義姉さんは困った顔で俺を見た後、ソファの上の毛布を持った。

「電気を……消して行くので、先に――」

「――それくらいできる!」

「――っ!」

 深夜のリビングは、やけに声が響いた。

 彼女の怯えた顔に、喉の奥がピリッと痺れる。



 こんなの、八つ当たりだ――。



「……俺が心配?」

「は……い」

「じゃあ……一緒に来て」

 俺は左手を差し出す。

「え……?」

 彼女は意味がわからないといった表情で俺を見た。

「一緒に、寝よ」

「え? いや、それは――」

「心配しなくても、こんな身体じゃ何もできないよ」

 男として情けない。

 けれど、説得力はある。

 それに、事実だ。

 事故以来、俺は男としての機能を失っていた。

 診断されたわけじゃない。

 が、自分の身体のことは、わかる。

「――そういう……ことではなくて……っ」

 お義姉さんが毛布を胸の前できつく抱き締めて言った。

「私なんかが、その――、明堂さんに気を遣っていただくのは――」

「――なに、それ。『私なんか』ってなに?」

「え?」

 俺と彼女の間には、見えない境界線がある。それが、無性に腹立たしい。

 だが、彼女にそれがわかるはずもない。

 なのに、彼女は自分の発言が俺を怒らせたんだと、困った顔で考えを巡らせていた。

 自分がどんなに考えても、俺の欲しい答えを導き出せないとも知らずに。

「選んで。俺と一緒に眠るか、自分の部屋に行くか」

 驚いた。

 迷わず自分の部屋に行くと思った。

 が、彼女は迷った。

 理由が『体の不自由な義弟が心配だから』だとしても、一瞬でも俺の馬鹿げた提案を考えてくれたことが嬉しかった。

「おやすみなさい」

 彼女がくるりと背を向けた。

「その髪――」

「え?」

「寝る時も結んでんの?」

 彼女は後頭部に手を回し、「いえ」とだけ言った。

 身体の中心に、ぽうっと熱が灯った。

 結び目がわずかに歪んだ彼女の髪を見送った時、懐かしい衝動を自覚した。



 あの、きつく結んだ髪を解きたい――。



 ベッドの上で、俺は自分の手を見つめていた。

 早坂が綺麗だと言った俺の指を、お義姉さんもまた綺麗だと言った。

 身代わりなんてつもりはない。

 だが、二人を重ねて見ているのは確かだった。



 彼女の髪を解けたら、何か変わるだろうか。



 明日や明後日に出来ることではない。

 とにかくきつそうなあの髪ゴムを解くのは、骨が折れそうだ。そもそも、お義姉さんが素直に解かせてくれるはずがない。



 俺って、髪ゴムフェチか……?



 そんなくだらないことを思いながら、俺は目を閉じた。
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