楽園 ~きみのいる場所~
3.許し



「敬語、やめない?」

 翌日。

 フォークでベーコンを刺しながら、言った。

「年、同じくらいだよね」

 今朝もお義姉さんは俺より早く起きていた。コーヒーの香りに誘われて目を覚ました俺は、今までのように「おはようございます」ではなく、「おはよう」と挨拶をした。もちろん、彼女は「おはようございます」と返した。

「同じ、です」

「え?」

「私の年、明堂さんと同じです」

「そうなの? 俺、自分の年とか言ったっけ?」

「結婚式の……プロフィールで……」と、お義姉さんはなぜか気まずそうに俯く。

「ああ。だったら、尚更敬語やめよ」

「でも――」

「雇い主ってことが気になるのかもしれないけど、姉弟(きょうだい)の関係も含めたら対等でしょ?」

「そんなこと――」

「――それに、ずっと一緒に居るのに他人行儀なのって、肩凝るし」

 今朝、彼女のいつもと変わらない態度に、少しムカついた。

 十日間一緒に暮らしてきて、俺は彼女を意識していた。彼女が五十代や六十代だったら、決して芽生えない感情。

 ずっと一緒に居るからかもしれないし、身体的な密着度のせいかもしれない。

 お義姉さんが早坂(過去)と重なるからかもしれない。

 とにかく、俺は近江楽という女性に惹かれている。

 もちろん、俺が既婚者で、彼女が義姉であることを忘れているわけではない。

 だが、妻の萌花とは恋愛結婚に似せた契約結婚で、それも、俺の事故によって破綻したも同然だという事実は、俺のお義姉さんへの感情を否定する理由になり得なかった。

 そう思ったら、今の雇用関係とか義姉弟の関係を、一刻も早く壊したくなった。

「――なんで、敬語はなしで! 同い年なら、気楽な友達感覚で、ね?」

「……はい」

 かなり強引な自覚はあるが、彼女に拒否権がないこともわかっていた。

「ついでに、明堂さんって呼び方もやめよ」

「え?」

「嫌いなんだよね。明堂、って名前」

「そうなんですか?」

「あ! 敬語」

 俺がフォークの先端を彼女に向けて指摘すると、彼女はまた俯いてしまった。俺はフォークの先端を下ろし、ウインナーに突き刺す。

「萌花から聞いてない? 俺のお家事情」

「……御兄弟とはお母様が違うことは……」

 彼女の敬語を崩すのには時間がかかりそうだな、と思った。

「いわゆる、愛人の子、ってやつでさ? それを知ったのも大学卒業間際で。しかも、俺の意志はそっちのけで戸籍弄られちゃって。だから、嫌いなんだよ、明堂って名前」

 忘れもしない。

 否応なくこの家を出て行かなければならなかった日。

 母さんの涙。

 こんな話、誰にもしたことなかった。

 出来るわけがない。

 世間的には、俺は生まれた時から身体が弱くて、田舎の親戚に預けられていたという設定になっていたから。
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