楽園 ~きみのいる場所~

 この家に帰ると決めたのは、明堂の家との決別も仕方がないと思ったから。むしろ、そうしたいと思ったから。萌花も、いずれ見切りをつけて離婚届を持ってくると思っていた。



 が、まさか、子作りを持ちかけられるとは――。



 俺は、膝掛けをめくり、我関せずと俯いているモノに触れた。左手で。温かくて柔らかい。きゅっと握り、考える。



 一人でスル時、どうしてた?



 目を閉じて、軽く手を動かす。

 やはり、無反応。

 興奮できる何かを考える。

 が、思い浮かばない。

 正確には、唯一興奮出来そうな想像を、避けた。

 ふと浮かんだ楽の姿を、打ち消す。

 こんなことで汚したくない。

 違う。



 楽でもダメなら、本当にダメだとわかってしまう。



「くそっ――!」

 痛いほど握り、痛くて手を離した。

 カラカラカラ、とゆっくりと玄関ドアが開く音がした。

 萌花が戻って来たのかと、肩をすくませた。

 が、すぐに違うとわかった。

「悠久さん……?」

 楽の声に、ホッとした。同時に、慌てた。俺は全裸で、身体中に口紅の痕。だが、隠しようも誤魔化しようもない。

 遠慮がちにドアから顔を覗かせた楽は、息を弾ませていた。

 今の自分が堪らなく恥ずかしくて、彼女と目を合わせられない。

 この状況からして、萌花とセックスしたと思われるのは当然で、それを否定するのもおかしい気がする。

『勃たなくて出来なかった』などと説明するのは、もっとおかしい。

「萌花は……」

「帰ったよ」

「そう……ですか」

「ごめんね」

「え? あ、いえ、私こそ気が利かなくて――」

 ソファの肩越しに、スウェットを差し出され、受け取った。

「シャワー……、お風呂にお湯を――」

「いいよ」

 セックスの汗を流してこいなどと、誤解でも彼女に言われたくなくて、言葉を遮った。やっぱり、誤解されたままは嫌だ。

「汗をかくようなこと、してないから」

「え?」

「そんなこと、出来ないから」

「……悠久さん?」

「したくても……出来ないんだよ」

 やっぱりシャワーを浴びなければ。

 身体中、萌花の感触が残っている。

 汗なんかかいていないはずなのに、身体が熱い。

 ソファから立ち上がろうと、杖を探す。床に転げて、テーブルの真下に横たわっていた。

 この場から逃げ出すこともできない。

 情けなくて、涙が出る。

 すぐそばにあった楽の気配が消え、水音が聞こえ、すぐに戻って来た。頬に柔らかくて温かい感触。

 楽が持って来てくれたお湯で濡らしたタオルが、俺の顔に押し当てられていた。

 彼女がいつものように俺の足元に跪き、丁寧に顔を拭いてくれる。

「萌花ってば、どれだけ濃い口紅を使ってるんでしょうね」

 嫌な顔をせずに、首や胸も拭いてくれる。

「どうして帰って来たの?」

 ようやく、楽の帰りがやけに早かったと気づいた。

「萌花から電話がありました。なんだかすごく怒って、悠久さんを病院に連れて行くように、って言うから、何かあったのかと思って……」

「……ああ」

「痛むところはありませんか?」

 そう言って俺の顔を覗き込む彼女の唇に、目が留まった。

 きっと、彼女の唇はベタベタしていないだろう。

 そう思った。

「勃たないのって、どこで診てもらえばいいんだろうね」

 楽の目の前だと言うのに、俺はピクリとも反応しないモノを、強く握りしめていた。
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