楽園 ~きみのいる場所~
思い出すのがツラそうだ。
肩を上下させて、浅い呼吸を繰り返す楽の背中をゆっくりと擦った。
「楽、もう――」
彼女は俺の言葉を遮るように、ブンブンと勢いよく首を振る。
俺は、ただ、彼女の背中をゆっくりと擦るしかできない。
「お母さんは、救急車で意識を取り戻した時、お父さんの名前と連絡先を伝えて、私……のために……、私を助けるために、必要なら自分の身体を使ってくれって……言ってたって……。自分だって死にそうになってるのに……、私の手術の同意書にサインしたって……聞い……て……っ――」
「楽、もういい。もう、わかったから」
「私の身体中に、お母さんの皮膚が移植されたの。顔……も、あちこち骨折してたのを治してもらって、それから皮膚を移植したから、すっかり別人に……なっちゃ……った」
楽の、息苦しさが伝染する。
俺まで、呼吸の仕方を忘れそうだ。
胸が苦しくて、苦しくて、吐き気さえする。
だけど、楽は俺なんかよりもっと苦しい。もっと、痛い。もっと――。
「私の……意識がはっきりしないうちに、お母さんはお骨になって、お母さんの両親のお墓に入っちゃって、私はお父さんの籍に入れられてた。学校も退学になってたし、住んでたアパートも処分されてた。私が退院したのは事故から二か月後で、それでも安静が必要で、お父さんが用意したアパートでじっとしてた。監視兼お手伝いさんのおばさんと一緒に、二か月くらい。だから、やっと外に出られた時は、街にはイルミネーションの飾り付けがされてて、ビックリしちゃった」
なんてことだ。
楽が怪我と戦っていた四カ月もの間、俺が楽を探したのは一カ月だけ。たった一カ月で、楽の転校を知らされて、あっさり諦めた。
連絡なんて……出来るはずがなかった――。
『ひどい彼女だね』
俺が早坂の話をした時、楽はそう言った。
『どんなに急でも、電話くらいできたはず』とも。
どんな気持ちで言ったのだろう。
連絡したくても出来なかった理由を説明するでもなく、俺を慰めるために自分を悪者にした。
あの時の、楽の悲しそうな顔が思い浮かんだ。
しかも俺は、追い打ちをかけるように言った。
『彼女に会いたい?』
そう聞いた彼女に、『彼女の顔とかちゃんと覚えてるわけじゃないから、どこかですれ違っても気づかないと思う』と言った。
楽はどんなに傷ついたろう。
俺は、覚えているべきだった。
ちゃんと、覚えているべきだったんだ。
俺だけは――――。
俺は首を回し、部屋のドアを見つめた。
十五年前、キスした場所。
嬉しくて堪らなかった、キス。
あの時、もっとキスをしていたら、何か変わっていただろうか。
帰ろうとする彼女を、強引にでも引き止めたら、何か変わっていただろうか。
抱き締めて離さずにいたら、何かが――――。
今更だ。
そうしていても何も変わらなかったかもしれない。
過去は変えられない。
だから、悔やむのだ。
もう、悔やみたくない。
「きみが生きていてくれて、良かった……」
一筋の涙が目尻から床に落ちた。