楽園 ~きみのいる場所~

 楽は俺の胸に突っ伏したまま、顔を上げようとしない。

「あの日のキスの後に戻れたら、間宮くんのお母さんが誘ってくれた夜ご飯、断らない。あの日、間宮くんが一緒に帰ろうって言ってくれたの、断らない! そうしたら……、こんなことには――」

 そうだ。

 俺の家に遊びに来た日、母さんとばあちゃんに早坂を取られて、俺は不貞腐れていた。二人に早坂を気に入ってもらえて嬉しかったのに、全然二人きりになれなくて。だから、見せたいものがある、なんてベタな理由をつけて彼女を部屋に連れて行った。

 俺が不貞腐れている理由に全く気が付かない早坂は、その理由を知って嬉しそうに笑った。その顔が可愛くて、俺はそっと彼女の唇に触れた。自分の唇で。

 そうしたら早坂は、今度は嬉しそうに泣いた。

 あの時は抱き締められた。

 涙を拭えた。

「好きだよ」と囁けた。

 母さんとばあちゃんは、早坂を晩ご飯に誘ったが、彼女は母親が帰って来るからと断った。

 その二日後、俺は早坂を誘ったが、彼女は母親と約束しているからと言った。「じゃあ、明日は?」と聞いた俺に、彼女は「うん」と頷いた。

 それが、俺が早坂を見た最後だった。

 俺は両腕を彼女の背中に回した。

 ギュッと、抱き締める。

「何があったんだよ」

「……」

「全部、話してくれ」

「……」

「頼むから。どんな話でも、受け止めるから」

「……まみ……やく――」

「どんな事情があったんだとしても、もう離さないから」

 縋る想いで、言った。

 偽りのない気持ちを、言った。

 絶対に貫くと決めた覚悟を、言った。

「事故に……遭って――」

 楽が、言った。

「目覚めた時は、全身が包帯に巻かれてて、お母さんはお墓に入れられてて、私は……近江楽になってたの――」

「――え?」



 事故――?



 俺の心拍数の変化に、楽は気づいたろう。

 彼女の頭がちょうど俺の心臓の真上にあるから仕方がない。

 腹の上の彼女の鼓動が急加速したことに俺も気づいたのだから、お互い様だ。

「学校で間宮くんと別れた後、お母さんと待ち合わせてご飯食べに行ったの。お母さん、ボーナスが入ったからって奮発してくれて、お寿司……食べたの。学校のこととか、進路のこととか話して、間宮くんのことも……話した。お母さんっ――、間宮くんに会いたいって……言って……た……のに……」

 震え、かすれていく楽の声。

 俺は、力の限り、彼女を抱き締めることしかできない。

「帰りに……トラックが歩道に――」

 きつく抱き締めすぎて、腕も胸も痛い。

 楽はもっと痛いはずだ。

 それでも、彼女も同じように俺に腕を絡ませていた。しがみつくように。互いの熱を確かめ合うように。

「トラックは私たちをはねて、そばのお店のショーウインドウに突っ込んだの。お母さんは……手術中に亡くなって、私は全身にガラスが刺さったけれど命は助かったけど、顔の傷がひどくて……、時間が経てば治る程度じゃなくて……、それで……」
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