楽園 ~きみのいる場所~

「――逆だよ。楽の隣にいて恥ずかしくない男になりたかったのは、俺の方だ。ばあちゃんと母さんにも言われたんだぞ? 『彼女に愛想を尽かされないように、しっかりしなさい』って」

「そんな……」

「好きだよ、楽」

 楽の瞼の中に大きな雫が浮かぶ。

「あの頃も、今も、好きだよ」

 精一杯笑っているつもりだけれど、ちゃんと笑えているか自信はない。

 腕の中の楽が、俺の願望が見せる幻ではないかと、怖くなる。

 俺はまだ病院のベッドの上で、手も足も動かなくて、現実から逃げたくて都合のいい夢を見ているのではないかと、思えてくる。

 だから、そうではないと実感したかった。

「キスしていい?」

 十五年前も、聞いた。

 この場所で。

 帰り際、楽を抱き締めて。

 彼女は恥ずかしそうに視線を泳がせ、それから、小さく頷いた。

 そう、今の楽と同じように。

 俺はおずおずと顔を寄せ、唇を重ねた。

 彼女の唇は柔らかくて、熱を帯びていた。

 彼女の頬に触れている手に、生温かい湿り気を感じた。とめどなく流れる楽の涙が指の間に沁み込んでいく。

 十五年前、俺は自分がファーストキスじゃないことを悔やんだ。

 楽が初めてだったから。

 俺も初めてなら良かったと思った。



 彼女以外の唇なんて、知らなくて良かったのに。



 楽のファーストキスの記憶を美しく残したくて、俺は触れるだけのキスで我慢した。

 本当は、もっと深く、濃厚に舌を絡ませ、蕩けさせたかった。が、いきなりそんなことしては嫌われてしまうのではと、冷静に判断した。

 なけなしの、理性。

「好きだよ」

 格好つけて、慣れた顔して彼女を抱き締めた。

 本当は、口から心臓が飛び出そうなほど、緊張していたし舞い上がっていた。

 今だって、そうだ。

 十五年前のあの瞬間に戻りたくて、再現なんてしてみたけれど、実のところは息をするのもままならずに、唇を離してしまっただけ。

 それを誤魔化すように彼女を抱き締めただけ。

「私も、好き」

 十五年前は聞けなかった。

「あの頃も、今も、好きだよ」

 ようやく、時間が動き出した。

 それを確かめるために、俺はもう一度彼女に口づけた。

 温かい。

 夢じゃない。



 俺は今、確かに楽に触れている――。



 楽の上唇を食み、軽く吸う。

 彼女はほんの少しだけ唇を開き、俺の下唇を食む。

 あの頃と同じようで、違うキス。

 俺は楽の腰を強く抱き、更に両足で彼女の身体を囲った。

 舌を唇に這わすと、彼女もそれに応えた。

 舌同士が触れ、交差し、深く絡みつく。

 クチュッと淫靡な水音が廊下に響く。

 自然と、互いの呼吸が浅く早くなる。

「楽……」

 離れていた十五年を埋めるように、なんて言えば格好もつくが、実際は夢中になり過ぎてやめられなかっただけ。

 軽く触れて、舌を絡め合って、また軽く触れて。

 そんな風に、何度もキスをした。

 勃たない自分が恨めしかった。

 微かに反応はする。

 きっと、楽も感じている。

 彼女に触れたかった。
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