会うことは決まっていた
2.
 偶然にも次の日、若旦那と道端で遭遇した。
 昼までのシフトが終わって帰ろうとした道すがらだった。
 呑気な様子で買い物袋を下げてぶらぶら歩いてくる。

(挨拶すべきかな。いやでも、また変なこと言われるのも嫌だし)

 余計なことを考えているうちにどんどん距離が縮まり、とうとう彼とすれ違った。
 軽く会釈だけしようと頭を下げると、意外にも向こうから声をかけてきた。

「こんにちは」

 はっとして顔を上げると、彼は表情のない目で私を見ている。
 それでも相変わらず息を呑むような真っ黒な瞳は、艶が出ていてどきりとさせられた。

「こ、こんにちは。先日はどうも……」
「いえ。それより頭痛、どう」
「どう……って。まあ……いつも通りです」

 薬は効いているけれど、油断するとすぐに痛みがぶり返すのは”いつも通り”だ。

(彼からは今日も私は欲求不満を抱えているように見えてるのかな)

 全て透かし見られているようで、居心地が悪い。
 恥ずかしいからもう立ち去りたいと思っていると、彼はごく自然に尋ねた。

「あなた、下の名前は?」
「え? 瑠璃……ですけど」

 下の名前を聞かれることなんてあまりないから、ちょっと驚いてしまう。
 それでも彼はお構いなしに一歩近づくと、手にしていたビニール袋を差し出した。

「瑠璃さんにこれ、あげる」
「え、私に?」

 差し出された袋には、商店街にある和菓子屋の豆大福が二つ入っていた。
 
(私も時々買ってるやつだ)

「豆類は頭痛予防にいいから。まあ、こんなお菓子にくっついた豆じゃさほど効果ないかもしれないけど。どうぞ」
「え、でも。草壁さんが食べるつもりで買ったんですよね」
「勧められて仕方なく買っただけだから。あと」

 わずかに眉間に皺を寄せ、クセのついた髪をくしゃりと撫でる。

「草壁さんって呼ばれるの慣れないから、これからは史って呼んでくれる?」
「わかりました。ふみさん……ですね」

(そんな親しくもないのに下の名前で呼ぶなんて、変な感じ)

「ほら、受け取って」
「あ、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて袋を受け取ろうとした瞬間――
 
(……っ)

 指が触れて、思わず袋を地面に落としてしまった。

「すみませんっ」

 慌ててしゃがんで袋を拾い上げると、彼は小さく喉を鳴らした。

(笑った?)

 顔を見るが、外からわかるほど表情を崩しているわけじゃない。
 ただ、私を見つめる目が、以前お店で見た時より優しい感じがした。
 ギラついていると思った黒い瞳も、日の光の下で見ると少し柔らかな印象になる。

(なんだろう、胸が少しむず痒いというか……ざわざわするというか。一人で意識しちゃってるみたいで恥ずかしいな)

 これ以上この人と向き合っていることが不自然に思えて、私はビニール袋についた砂をはらって頭を下げた。

「お菓子、ありがとうございました。今度何かお礼をお持ちします」
「ありがとう。でも、お礼とかは要らない。美味しく食べてくれるだけでいいよ」
「でも……」

 執着のない声で返事をする彼に、私はまだ申し訳なさが残った。
 そんな私の様子に気づいたのか、史さんは“なら……“と前置きしてから言う、

「気が向いたらまたお店に立ち寄ってよ。頭痛の対処法なら少し教えられるから」
「はい、お薬が必要な時はまたお立ち寄りします」
「うん」

 気だるい笑顔を浮かべると、史さんはそのまま私を通り越して去って行った。



 その日の夕方、私は今までにない不思議な感覚に襲われていた。

(史さん……薬局のお婿さんなのに。なんだろう……あの人を惹きつける特有の色気は)

 偶然触れてしまった指の感触。
 私を見つめるエキゾチックな黒い瞳。
 それらを思い出すと、立っていられないほどの疼きが下腹部に湧いてくる。
 こんなの、体を重ねた夫にすら感じたことのないものだ。

(すれ違って、大福をもらっただけなのに。なんでこんな感覚に?)

 気を紛らわそうと、いつもより複雑な料理を作ってみたり、シャワーを浴びてみたり。
 史さんのイメージが頭から消えるよう、いろんなことをした。

 でも消えない。
 それどころか、ふっと湧いてくるその衝動は強くなっていくばかりだ。

「いいや。もう、今日は寝てしまおう!」

 夕飯は要らないという夫の連絡を受け、私は作った夕飯を全て冷蔵庫に入れてベッドに入る。
 いつもは悲しくなるこの時間も、今日は特に何も感じない。
 それどころか、史さんのことを思い出してどこか救われた気持ちになっている。

(明日になったらこの気持ちも薄れているかな)

 ぎゅっと目を閉じて眠りに落ちるのを待つ。
 でもすぐに睡魔はやってこなくて、疼きが我慢できないほどになっていく。
 まるで媚薬を体に染み込まされたみたいだ。

「……っ」

(セクシーな漫画を読んだ時と似てるけど。それよりもっと甘いっていうか……切ないっていうか)
 
 感覚を散らそうと太ももを擦ると、触れただけでいつもと違う感覚が襲ってくる。

「ぁ……」

 自分の脚なのに、撫でただけでビリビリと痺れる感じがする。
 もうとっくに濡れていた陰部にはジリジリと焼けるような痛みすら感じた。

(このままじゃ眠れない)

 夫にしか触れさせてはいけない場所に、自分でそっと指を這わせる。
 でもその刺激は自分の指で触れている感覚ではない。
 まるで、誰かが私の手を使って愛撫しているかのようだ。

「まさか……だよね……んっ」

 恥ずかしい。こんなのはしたない。
 そう思うのに、史さんが耳元でその心を解除していく言葉を囁いた気がした。

『恥ずかしくない、はしたなくもない……それは瑠璃さんの当たり前の欲求だ」

「当たり前……」

『誰も見てないんだから、思いきり味わったらいいじゃない。ほら、もっと欲しい?』

「……っ」

 心臓の辺りが燃えるように熱くなると、そのまま子宮がびくりと痙攣した。
 こんなふうに中で絶頂を感じることは今までになかっただけに、心地いいと思うと同時に自分がちょっと変になってしまったのじゃないかと心配にもなった。

(自分でしたのに、幸せで満ち足りてるなんて……変なの)

 慢性的に痛みのあった頭痛もこの時ばかりは消えていて、史さんが言った通り、私は自分の体を満足させてあげていなかったのだと実感した。
 とはいえ、こんな現象はこの日だけだろうと思っていたし、あまり深く考えずにようやく訪れた睡魔に身を任せた。

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