13歩よりも近い距離
 忍び泣く私の前、岳の口からジャリッと小さな音がして、彼はそれをゆっくり飲み込んでいた。

「すず、来て」

 自身の腰辺りのシーツをぽんぽんと叩き、私に移動するよう促す岳。私がそこに座れば、視線を交わす。

「俺が癌だって言われたのは、今年の三月。桜の蕾が少しずつ開いた頃だった。満開のタイミングですずに告白したけど、やっぱだめでさ。俺、その時決めたんだ。死ぬまでに、ぜってえすずを振り向かせてやるって」
「だから、入院もしないの……?放射線治療とかすれば、今からでも治るんじゃないの?」

 岳はううんと首を横に振る。

「もう治らないよ、すず。俺は末期だから」

 その瞬間、ガンッと頭に岩でも打ち付けられた衝撃を覚えた。

「治療はもう、微かな延命にしか過ぎない。そんなことで入院なんかしていられないよ。だったら俺はすずの側にいたい。たとえ願いが叶わなくたって、この十三歩の距離から遠いところへ行きたくない。余命を言われている人間が好きな子を掴みにいくなんて、相手からしたら迷惑だよな。だけどすずは知ってるだろう?俺が我儘だってこと」

 ははっと岳は照れ笑うけれど、私は涙腺が崩壊していくだけだった。

「すずへの愛が、死ぬことへの恐怖から俺を解放してくれたんだ。すずを想えば強くいられた。すずを想えば幸せになれた。すずを愛せて幸せだった」

 まるで最期の言葉を残すかのようにそう言われ、胸が詰まる。

「死なないで、岳っ……」
「すず……」
「もっともっと、岳と一緒にいたいっ……」

 五年後も十年後もその先も。私は岳の側にいたい。

 慣れ親しんだ香りが鼻からすとんと落ちてきて、岳に抱きしめられたのだと分かった。今までよりも薄い胸板。彼の背に手をまわせば、肩甲骨が羽のように突き出ていた。
 くぐもった声で、岳は言う。

「まだ死なねーよバーカッ。やっとすずと両思いになれたんだ。俺、お前とやりたいこといっぱいある」

 私は「なに?」と掠れた声で聞いた。

「えっと。チュウでしょ、ハグでしょ、手ぇ繋ぐし添い寝もするし」
「それ、今までもしたことあるけど」
「あ、そっか。じゃあやっぱ恋人といえばエッ──」

 私はバコンと岳を叩く。彼は両手で頭を押さえた。

「イッテエなっ。こっちは病人だぞっ。労われよっ」
「が、岳が変なこと言うからでしょ!?」
「まだ最後まで言ってねえよっ」
「でも言おうとしてたっ!」

 こんなにもお互い涙目なのに、結局いつも通りのやり取りをしていて。それに気付いてしまえばもう、勝手に笑みが溢れていく。
 
 泣いたり笑ったりを繰り返しながら話していると、岳が突然姿勢を正した。

「じゃあ改めて、俺、お前に告白していい?」

 はにかみながら、うんと頷き、私も背筋を伸ばした。

「大好きだよ、すず。俺と付き合って」

 気持ちを偽る為のテンプレートはもういらない。私の素直な想いを届ける。

「私も、岳が大好き」

 重なる唇は、ふたりの涙でしょっぱかった。
< 33 / 36 >

この作品をシェア

pagetop