精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第111話 出会い

 私には名前があった。
 私には果たすべき役目があった。
 私には役目を果たすための力があった。

 だけど――私にはそれしかなかった。

 精霊と自然のバランスが崩れた土地を蘇らせ、消滅する。
 再び精霊と自然のバランスが崩れれば、人の形を纏って降臨する。

 この【世界】の存続のため、受肉し、大地に降り立ち、役目を終えて消えていくことを繰り返し続けていた。

 役目を果たして消えるだけの私は、空っぽだった。
 発生し消える、その繰り返しに特別な感情などなかった。

 生きている実感も。
 役目を終えて消滅する恐怖も。

 それが私――【世界】に精霊女王という役目を、名を与えられた、エルフィーランジュの心すべてだった。

 私がこの地に降臨して二日目。
 蘇らせた水源に下半身だけ浸りながら、岸辺で微睡む私の身体を水の中から引き上げ、

「こんなところで何をしている! だ、大丈夫か⁉」

と、驚きと心配で満ちた表情で見下ろす、黒髪の男性と出会うまでは――


「いき……てる? ああ、よかった……でも何でこんなところに女性が一人で……」

 男性は私の様子を見ながら、ブツブツと呟いている。
 しかしその視線が身体に移動したかと思うとフイッと目を逸らし、

「と、とにかく、そんなずぶ濡れのままでは風邪をひく。これを――」

と、自分が着ていた上着を私にかけようとした。
 
 だけど、私はそれを首を横に振って拒否する。
 だって水で濡れた服など――

 肌に張り付いていた布が、突然柔らかさを取り戻した。サラッとした布の肌触りが伝わってくる。
 私の願いに応え、精霊たちが服を乾かしてくれたのだ。

 突然、ずぶ濡れだった服が乾き、男性が驚きの声をあげる。

「い、一体何が起こったんだ⁉ もしかして精霊魔法? いや、しかし呪文など唱えていなかったし……」

 ブツブツと呟きながら、先ほどまで濡れていた私の銀髪を一房手に取ると、湿り気がないかを指の腹で撫でて確認している。

 この男性が何者かは分からない。
 しかしここまでの行動や雰囲気を見る限り、私の役目に支障を与える人物には思えなかった。

 だからこのまま放置することにした。

 私には、【世界】に課された役目があるのだから。

 立ち上がると、男性の指からスルリと私の髪が抜けた。
 ブツブツ呟き、考え込んでいた男性の意識が、こちらに向けられる。

「待って! 裸足で一体どこへ!」

 訊ねられたので振り返り、口を開く。
 だけど声が出ない。

 ここに来てから一度も声を出していない。まだ発声器官が上手く働いていないのだろう。

 でも、問題はない。
 私と繋がっている光と闇の大精霊に願いを届けるのに、声は必要ないのだから。
 
 私は彼の質問に答えるのを諦め、歩いた。
 昨日蘇らせた木々の間をすり抜けると、目の前が一気に開け、荒廃した土地が目に飛び込んでくる。

 生命の存在を感じさせない、砂と岩の大地が広がっていた。風が吹くと砂埃が舞い上がり、遠くの景色にモヤがかかる。

 元はここにも豊かな自然があり、精霊たちと共存していたはず。
 何をすればここまで荒廃した土地になるのだろう。

 分からない。

「元々は、緑豊かな素晴らしい土地だった。しかしあの男のせいで……」

 いつの間にか隣にやってきた男性から、ギリッと歯ぎしりをする音が聞こえた。
 そして彼は、土地を見回っているとき、無かったはずの森が突然現れていることに気づき、ここにやって来て私を見つけたのだと続けた。

 私は両手を広げた。
 手のひらが温かくなる。

 光と闇の大精霊が現れたのだ。

 私の願いは、大精霊を通じてでしか、上位・下位精霊に伝えられない。

 膨大な数の精霊に私の願いを伝えることはできても、彼らの反応全てを受け取り、結果を観測することに、人間の肉体という器では限界があるためだ。

 しかし、精霊を生み出すために必要なオドは、肉体を纏わなければ生み出せない。

 だから、私の願いをどう叶えるか判断し、精霊たちに瞬時に指示を出せる別の存在――光と闇の大精霊がいる。

 その代わり、私のオドは精霊たちを生み出すこと、力を与えることだけに特化し、言葉にオドを纏わせることはできなくなった。

 大精霊たちに、私の願いを伝える。
 
(どうかこの土地を、自然を、蘇らせて。自然と精霊のバランスを調和のとれたものに)

 次の瞬間、金色の光の粒が空間を埋め尽くした。

 砂ばかりだった大地の色が変わり、肥沃な土へと変わっていく。
 湿り気を帯びた土から、今まで砂に埋もれ、じっと耐え続けていた種が、無数の芽を出す。

 小さな芽はみるみるうちに大きくなり、気付けば辺り一面、緑豊かな森へと変わっていた。
 いずれ、この土地を去った動物たちも戻ってくるだろう。
 
 今まで直接照りつけていた太陽の光が、木々の葉に遮られ丁度良い。
 吹き抜ける風が優しくて心地よい。

 蘇った土地に問題はなさそうだ。

 今日の役目を終え、元いた水源に戻ろうとしたとき、

「信じられない……私は……夢を見ているのか?」

 男性が声を震わせ、何度もせわしなく瞬きを繰り返しながら、目の前の自然を見つめている。

 人間には精霊の姿が視えない。
 だから彼には、何故この土地が蘇ったのかが分からないのだ。
 驚くのも無理はない。

「あ、あなたがこの土地を蘇らせたのか? さっきいた水源も、その周囲の自然も……」

 大きく見開かれた青い瞳が、こちらに向けられる。

 私は頷いた。
 男性が目を瞠った。

「あなたは……一体何者なのだ?」
(わたしは――)

 そう口を動かしたとき、声がでないことを思い出す。
 しかし、

「『わたしは』と今言ったのか?」

 私が僅かに口を動かした言葉を、彼は言い当てた。
 口元がフッと緩む。

「あなたと同じように、声が出ない妹がいてな。唇の動きを読んで会話をしていたものだ。だからもし声が出ないなら、唇を動かしてくれたらいい。私がそれを読む」

 まあ、その妹も今はいないが、と彼は小さく付け加えた。

 男性が、私の言葉を読み取ろうとじっとこちらを見つめている。
 
 だから私は名乗った。
 唇の動きを読んだ彼の瞳が、大きく見開かれる。

「精霊女王エルフィーランジュ? エルフィーランジュが名か?」
『そう』
「ならば精霊女王というのは……」
『私は精霊を生み出す。そして生み出した精霊とともに、土地を蘇らせるのが役目』
「ということは……あなたは偉大なる精霊たちの母たる存在、ということか? この荒廃したフォレスティの土地を蘇らせるため、ここにいるというのか?」

 フォレスティというものが何かは分からないが、彼の言葉に頷いた。
 
 彼は何か考え込んでいる。
 会話が終わったと思った私は、元いた水源に戻るため彼の横を通り過ぎた。

 咄嗟に肩を掴まれる。
 振り返ると、彼は慌てて私の肩から手を離し、身体に触れたことを小さな声で謝罪をした。

 そして少し視線を落とし、訊ねる。

「さっきの水辺に行けば、またあなたに会えるだろうか?」

 私は頷いた。
 今度は、何故か少し上ずった声で彼が訊ねる。

「また……会いに行ってもいいだろうか?」

 私は頷いた。
 役目の邪魔にならないのなら、問題ない。

 邪魔になるのなら、大精霊に排除して貰うだけだ。

 私の返答を見た男性の表情が、パッと明るくなった。
 そして地面に片膝をつくと、右手を胸に当て、私に向かって深く頭を下げた。

「フォレスティ王国の自然を蘇らせてくださったこと、感謝する。精霊女王エルフィーランジュ」

 そう言って顔を上げた彼の表情は、嬉しそうにも泣きそうにも見えた。

 何故かその表情に、心の奥がギュッと何かに掴まれたような気がした。

(あなたは……)

 初めてだった。
 自ら何かを知りたいと思い、行動したことが。

『あなたは……なに?』

 彼は、今気付いたとばかりに、小さく声をあげて立ち上がった。
 青い瞳が真っ直ぐ私を見つめる。

「自己紹介が遅くなってすまない。私の名は、ルヴァン・チェストネル・テ・フォレスティ。あなたが蘇らせた土地、フォレスティ王国の王だ」

 王――つまり、私と同じような存在?

『ならあなたは、何を生み出しているの?』
「……え?」
 
 私の唇を読んだルヴァンが、目をぱちくりさせた。少しの間の後、彼が噴き出したかと思うと、お腹を抱えて笑い出したのだ。

 何故彼が大笑いしているのかが、理解できなかった。
 だけど何故か、笑う彼を無視して立ち去ることができなかった。

 むしろ、

『どうして笑っているの?』
「いや、すまない。あなたの発言が面白くて……ふふっ」

 そう言って笑い続ける彼のことを、何故かもっと知りたいと思った。
< 111 / 156 >

この作品をシェア

pagetop