精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第112話 愛称
次の日からルヴァンは私の元へとやって来た。
土地が蘇る様子をずっと傍で見続け、それが終わると水源に戻って会話をした。
彼は、私が自然を蘇らせたことでこの国に住む人々が救われていることや、自身のことなど、様々な話をしてくれた。
私がこの地に降臨してから五日経ったとき。
「もし君の役目が終わったら、私と一緒に町に出ないか?」
隣に座っていたルヴァンが、突然一つの提案をしてきた。
彼の口調や表情は、初めて会ったときから変わっていた。
【あなた】が【君】に変わり、声色から当初感じていた緊張感はない。
『町?』
「ああ。私の話だけだとつまらないだろう? それに君の知らない物がたくさんある」
顔を綻ばせながら語る彼に向かって、私は首を横に振った。
『それは無理。役目を終えた私は消えるから』
「きえ……る?」
ルヴァンの顔から笑みが消えた。
隣にあった彼の身体が私の方に大きく寄ると、眉間に皺を寄せながらこちらをのぞき込む。
「どういうことだ? 役目を終えたら、君はこの世界からいなくなるのか?」
私は大きく頷いた。
ルヴァンの顔が、ゆっくりと離れた。
視線はこちらを向いたままなのに、何も言わない。
もしかして、私の説明が足りず、理解できていないのだろうか。
だから困って、何も言えずにいるのではないか。
だから話した。
私の役目は、精霊と自然のバランスが崩れた土地を蘇らせることだけ。
六日間かけて土地を蘇らせると、一日だけ土地を見守るために残り、最後は肉体ごと消滅する。
つまり私がこの世界に存在する期間は、七日間だけなのだと。
「……君は、それでいいのか? まるで使い捨ての道具のように!」
何故そう問われたのか、分からなかった。
私が精霊女王として生まれてから、ずっとずっと繰り返してきたことだ。
それに役目を終えた私に、この世界に留まる理由などない。
だから頷く。
しかしルヴァンは激しく首を横に振った。
「駄目だ! この土地を蘇らせた君には、その恵みを一番に享受する権利があるはずだ! 君が齎した結果を受け取る権利がっ‼」
彼の両手が私の両肩を掴む。
掴んだ手から、震えが伝わってくる。
他人のことを自分のことのように怒りを見せる彼が、不思議でたまらなかった。
声を震わせながらルヴァンが訊ねる。
「……方法はないのか? 君が消滅しない方法は……」
『ある』
「えっ?」
ルヴァンが目を瞠った。
私の返答は、彼にとって想定外だったのだろう。
単純な理由だ。
私が七日間しか存在できないのは、何も食べないからだ。
だから、きちんと肉体に栄養を与え続ければ、七日間と言わず、設定された寿命まで生きていける。
しかし私が消滅すれば、消滅時に膨大な量の精霊が生み出されるのだ。
私が消滅しても、何ら問題はない。
「君はそれを本気で言っているのか⁉」
話を聞き終えたルヴァンが、何故か声を荒げる。そして私の両肩から手を離すと大きな溜息をつき、自身の手を額に当てた。
何かを考え込んでいるのか、微動だにしない。
『……ルヴァン?』
彼の沈んだ様子が気になり肩に触れると、ルヴァンはハッと顔をあげた。
少し潤んだ青い瞳が、私を見つめ返す。
結ばれた彼の唇に力が入る。
ルヴァンの両腕が私を捕らえた。
そのまま胸の中へと寄せ、強く抱きしめる。
初めてだった。
誰かに抱きしめられたことが。
身体の自由を奪われているはずなのに、伝わってくる温もりは、不思議と不快ではなかった。
ルヴァンは無言だった。
ただ時折、抱きしめる腕に力を込めるだけだった。
次の日、彼は姿を現さなかった。
私は変わらず土地を蘇らせ続けた。
隣には誰もいないはずなのに、私の視線は常に何かを探し続けていた。
私がこの地に降りたってから七日目になった。
日も落ち、辺りはもう暗い。
(私の肉体はもうすぐ消滅する)
水源の水面に浮かびながら考える。
荒廃したフォレスティの地は、精霊たちで満ちあふれた緑豊かな土地へと復活した。
私は役目を果たしたのだ。
消滅することは怖くはない。
何度も繰り返してきたのだから。
しかしいつもと違うのは――
(ルヴァンの顔が……忘れられない)
たった数日、ともにいただけなのに。
胸の奥が何故か重い。
こんな感覚、今まで経験したことはなかった。
しかしこの不可解な気持ちも、もう終わる。
消滅すれば本来の私に戻れる。
そっと瞳を伏せた時、
「エルフィーランジュっ‼」
私を呼ぶ声が響いた。
頭で理解する前に、身体が反射的に動いていた。
だけど急に体勢を変えたため、水面に浮いていた身体が水の中に沈んでしまう。
大精霊がすぐさま反応し、沈んでいた身体が浮き上がった。
顔が水面に出ると、
「だ、大丈夫か⁉ だから水の上で浮かんで寝ることはやめるよう、私は何度も言ったのだっ‼」
大精霊の存在を知りながらも、水に飛び込んだルヴァンが私の身体を持ち上げながら声を荒げる。そして岸へ上がると、彼は大きく息を吐き、こちらを見つめた。
「よかった……まだ消滅していなかった……」
そう呟くと、私の身体を強く抱きしめる。
抱きしめながら、今にも消えそうな声で懇願した。
「……消滅しないでくれ。君に……消えて欲しくない」
真っ先に浮かんだのは疑問。
だから彼から少し身体を離し、訊ねる。
『どうして? 私が消滅すれば、大量の精霊がこの土地を豊かに――』
「違うっ、そうじゃないっ‼」
鋭い声が私の鼓膜を突き刺した。
ルヴァンが俯く。
「確かに、道具のように使い捨てられる君の立場に怒りを感じた。だけど……それだけじゃなかった。本当は、ほんとう、は……」
ゆっくりと顔を上げた彼の表情は、泣きそうな笑顔だった。
「君のそばにいたい……七日間だけでなく、これから先もずっと、君と話し、色んな物を見たい。それだけ、だ」
ルヴァンは立ち上がると、岸に放り出していた袋の中を探り、何かを持ってきた。
私と向き合って座ると、彼の手の中にあったそれを差し出す。
「……どうか、食べてくれないか?」
差し出されたそれは、赤いリンゴだった。
艶を放つ果実を見て、私は何と答えようか迷った。
私は何もしなければ七日後に消滅するが、消滅しなければならないわけじゃない。
望めば、引き続き世界に存在することは許されている。
ただ、存続する理由がなかっただけだ。
でも今世は――
私はリンゴを受け取ると、齧り付いた。
口の中いっぱいに広がった酸味をかみ砕き、飲み込む。唇の端から、かじりついた際に漏れ出た果汁が、零れ落ちる。
飲み込んだ食べ物が体内に入ると、身体の中がじわっと熱くなるのを感じた。
声帯が震えた。
「わ、たしも……いたい。あなたの、そばに、ずっと」
私の言葉は、心を重くしていた何かを途端に軽くした。
初めて喉から声となったものは、掠れていてほとんど聞こえない小ささだった。
だけど、
「……ありがとう、エルフィーランジュ」
彼が微笑む。
頬には一筋の涙が流れていた。
それを私が指先で拭う。
「かなしいの?」
「悲しくない」
「でも人は、悲しいと泣くのでしょう?」
「……人は、嬉しい時も泣く」
「ルゥ、変なの」
悲しい時と嬉しい時。
相反する感情なのに、同じ行動をしてしまう人間が不思議だった。
しかしルヴァンの注意をひいたのは、別の所だった。
「ルゥ? それは私のことか?」
「あなたの名前……上手く呼べないから」
どうしても、【ヴァ】の発音が上手くできなかった。
まだ話すことに慣れていないからか、複雑な発音ができないのだ。
それを聞き、ルヴァンは小さく肩を震わせた。
「ふふっ、だから【ルゥ】か……うん、まあ悪くないか。なら私も、君を愛称で呼んでもいいか?」
「あい、しょう?」
「ああ。二人きりの時にだけ呼ぶ、君の愛称だ」
「二人きり? どうして?」
「……え、ま、まあ……偉大なる精霊の母を人前で愛称で呼ぶのは不敬だから……かな」
なぜかルヴァンが口ごもりながら返答する。
二人きりという限定に疑問を感じたが、特に断る理由もなかったので頷いて了承した。
ルヴァンは少し考えた後、
「フィー」
そう私を呼んだ。
エルフィーランジュでもなく、精霊女王でもなく、ただ一人から呼ばれる特別な名前。
今まで空っぽだった私の心が、温かいもので満たされていくのを感じた。
土地が蘇る様子をずっと傍で見続け、それが終わると水源に戻って会話をした。
彼は、私が自然を蘇らせたことでこの国に住む人々が救われていることや、自身のことなど、様々な話をしてくれた。
私がこの地に降臨してから五日経ったとき。
「もし君の役目が終わったら、私と一緒に町に出ないか?」
隣に座っていたルヴァンが、突然一つの提案をしてきた。
彼の口調や表情は、初めて会ったときから変わっていた。
【あなた】が【君】に変わり、声色から当初感じていた緊張感はない。
『町?』
「ああ。私の話だけだとつまらないだろう? それに君の知らない物がたくさんある」
顔を綻ばせながら語る彼に向かって、私は首を横に振った。
『それは無理。役目を終えた私は消えるから』
「きえ……る?」
ルヴァンの顔から笑みが消えた。
隣にあった彼の身体が私の方に大きく寄ると、眉間に皺を寄せながらこちらをのぞき込む。
「どういうことだ? 役目を終えたら、君はこの世界からいなくなるのか?」
私は大きく頷いた。
ルヴァンの顔が、ゆっくりと離れた。
視線はこちらを向いたままなのに、何も言わない。
もしかして、私の説明が足りず、理解できていないのだろうか。
だから困って、何も言えずにいるのではないか。
だから話した。
私の役目は、精霊と自然のバランスが崩れた土地を蘇らせることだけ。
六日間かけて土地を蘇らせると、一日だけ土地を見守るために残り、最後は肉体ごと消滅する。
つまり私がこの世界に存在する期間は、七日間だけなのだと。
「……君は、それでいいのか? まるで使い捨ての道具のように!」
何故そう問われたのか、分からなかった。
私が精霊女王として生まれてから、ずっとずっと繰り返してきたことだ。
それに役目を終えた私に、この世界に留まる理由などない。
だから頷く。
しかしルヴァンは激しく首を横に振った。
「駄目だ! この土地を蘇らせた君には、その恵みを一番に享受する権利があるはずだ! 君が齎した結果を受け取る権利がっ‼」
彼の両手が私の両肩を掴む。
掴んだ手から、震えが伝わってくる。
他人のことを自分のことのように怒りを見せる彼が、不思議でたまらなかった。
声を震わせながらルヴァンが訊ねる。
「……方法はないのか? 君が消滅しない方法は……」
『ある』
「えっ?」
ルヴァンが目を瞠った。
私の返答は、彼にとって想定外だったのだろう。
単純な理由だ。
私が七日間しか存在できないのは、何も食べないからだ。
だから、きちんと肉体に栄養を与え続ければ、七日間と言わず、設定された寿命まで生きていける。
しかし私が消滅すれば、消滅時に膨大な量の精霊が生み出されるのだ。
私が消滅しても、何ら問題はない。
「君はそれを本気で言っているのか⁉」
話を聞き終えたルヴァンが、何故か声を荒げる。そして私の両肩から手を離すと大きな溜息をつき、自身の手を額に当てた。
何かを考え込んでいるのか、微動だにしない。
『……ルヴァン?』
彼の沈んだ様子が気になり肩に触れると、ルヴァンはハッと顔をあげた。
少し潤んだ青い瞳が、私を見つめ返す。
結ばれた彼の唇に力が入る。
ルヴァンの両腕が私を捕らえた。
そのまま胸の中へと寄せ、強く抱きしめる。
初めてだった。
誰かに抱きしめられたことが。
身体の自由を奪われているはずなのに、伝わってくる温もりは、不思議と不快ではなかった。
ルヴァンは無言だった。
ただ時折、抱きしめる腕に力を込めるだけだった。
次の日、彼は姿を現さなかった。
私は変わらず土地を蘇らせ続けた。
隣には誰もいないはずなのに、私の視線は常に何かを探し続けていた。
私がこの地に降りたってから七日目になった。
日も落ち、辺りはもう暗い。
(私の肉体はもうすぐ消滅する)
水源の水面に浮かびながら考える。
荒廃したフォレスティの地は、精霊たちで満ちあふれた緑豊かな土地へと復活した。
私は役目を果たしたのだ。
消滅することは怖くはない。
何度も繰り返してきたのだから。
しかしいつもと違うのは――
(ルヴァンの顔が……忘れられない)
たった数日、ともにいただけなのに。
胸の奥が何故か重い。
こんな感覚、今まで経験したことはなかった。
しかしこの不可解な気持ちも、もう終わる。
消滅すれば本来の私に戻れる。
そっと瞳を伏せた時、
「エルフィーランジュっ‼」
私を呼ぶ声が響いた。
頭で理解する前に、身体が反射的に動いていた。
だけど急に体勢を変えたため、水面に浮いていた身体が水の中に沈んでしまう。
大精霊がすぐさま反応し、沈んでいた身体が浮き上がった。
顔が水面に出ると、
「だ、大丈夫か⁉ だから水の上で浮かんで寝ることはやめるよう、私は何度も言ったのだっ‼」
大精霊の存在を知りながらも、水に飛び込んだルヴァンが私の身体を持ち上げながら声を荒げる。そして岸へ上がると、彼は大きく息を吐き、こちらを見つめた。
「よかった……まだ消滅していなかった……」
そう呟くと、私の身体を強く抱きしめる。
抱きしめながら、今にも消えそうな声で懇願した。
「……消滅しないでくれ。君に……消えて欲しくない」
真っ先に浮かんだのは疑問。
だから彼から少し身体を離し、訊ねる。
『どうして? 私が消滅すれば、大量の精霊がこの土地を豊かに――』
「違うっ、そうじゃないっ‼」
鋭い声が私の鼓膜を突き刺した。
ルヴァンが俯く。
「確かに、道具のように使い捨てられる君の立場に怒りを感じた。だけど……それだけじゃなかった。本当は、ほんとう、は……」
ゆっくりと顔を上げた彼の表情は、泣きそうな笑顔だった。
「君のそばにいたい……七日間だけでなく、これから先もずっと、君と話し、色んな物を見たい。それだけ、だ」
ルヴァンは立ち上がると、岸に放り出していた袋の中を探り、何かを持ってきた。
私と向き合って座ると、彼の手の中にあったそれを差し出す。
「……どうか、食べてくれないか?」
差し出されたそれは、赤いリンゴだった。
艶を放つ果実を見て、私は何と答えようか迷った。
私は何もしなければ七日後に消滅するが、消滅しなければならないわけじゃない。
望めば、引き続き世界に存在することは許されている。
ただ、存続する理由がなかっただけだ。
でも今世は――
私はリンゴを受け取ると、齧り付いた。
口の中いっぱいに広がった酸味をかみ砕き、飲み込む。唇の端から、かじりついた際に漏れ出た果汁が、零れ落ちる。
飲み込んだ食べ物が体内に入ると、身体の中がじわっと熱くなるのを感じた。
声帯が震えた。
「わ、たしも……いたい。あなたの、そばに、ずっと」
私の言葉は、心を重くしていた何かを途端に軽くした。
初めて喉から声となったものは、掠れていてほとんど聞こえない小ささだった。
だけど、
「……ありがとう、エルフィーランジュ」
彼が微笑む。
頬には一筋の涙が流れていた。
それを私が指先で拭う。
「かなしいの?」
「悲しくない」
「でも人は、悲しいと泣くのでしょう?」
「……人は、嬉しい時も泣く」
「ルゥ、変なの」
悲しい時と嬉しい時。
相反する感情なのに、同じ行動をしてしまう人間が不思議だった。
しかしルヴァンの注意をひいたのは、別の所だった。
「ルゥ? それは私のことか?」
「あなたの名前……上手く呼べないから」
どうしても、【ヴァ】の発音が上手くできなかった。
まだ話すことに慣れていないからか、複雑な発音ができないのだ。
それを聞き、ルヴァンは小さく肩を震わせた。
「ふふっ、だから【ルゥ】か……うん、まあ悪くないか。なら私も、君を愛称で呼んでもいいか?」
「あい、しょう?」
「ああ。二人きりの時にだけ呼ぶ、君の愛称だ」
「二人きり? どうして?」
「……え、ま、まあ……偉大なる精霊の母を人前で愛称で呼ぶのは不敬だから……かな」
なぜかルヴァンが口ごもりながら返答する。
二人きりという限定に疑問を感じたが、特に断る理由もなかったので頷いて了承した。
ルヴァンは少し考えた後、
「フィー」
そう私を呼んだ。
エルフィーランジュでもなく、精霊女王でもなく、ただ一人から呼ばれる特別な名前。
今まで空っぽだった私の心が、温かいもので満たされていくのを感じた。