精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第20話 アランの激高

 すぐ隣から、風が吹き抜けていく。
 不思議に思って横を見ると、頑丈な石壁が破壊されて大きな穴が空き、外の中央広場が見えていた。余程の衝撃がかかったのだろう。部屋の中が、土煙で充満している。

 呆然と、隣に開いた大きな穴を見ていると、

「う、ぁ……や、やめ……」
「お前か。エヴァを危険な目に遭わせたのは……」

 私を襲った兵士の苦しそうな声と、怒りに満ちたアランの低い声が、部屋に響き渡った。

 土煙が収まってくると、部屋の真ん中で、アランが兵士の首を掴みながら、その身体を持ち上げているのが見えた。男はアランの手から逃れようともがき、首を掴む手を掻きむしっている。爪がアランの手の甲を引っ掻き、赤い血が流れているけど、彼に動じた様子はない。

 いつも優しいアランからは想像できないほどの怒りと憎しみを、男に向けていた。

「あ、アラン!」

 私が声をかけると、怒りに満ちていた顔がこちらを向いた。申し訳なさと安堵で入り混じったような表情に変わると、男を放り出して私の方に駆け寄ってきた。

「エヴァ! 大丈夫だったか⁉︎ 検問場に戻っても、誰も呼んでないって言うし……いったい何があったんだ⁉︎」
「あ、アラン……怖かった……本当に怖かった……」

 彼の顔を見ると安心してしまったのか、膝から力が抜けて、アランにすがりつく形で座り込んでしまった。身体があの時の恐怖を思い出して震えてる。

 身体が強く抱きしめられた。
 アランの温もりに包まれながら、何があったのかを全て話すと、彼の表情がみるみるうちに、先ほど以上の怒りで染まっていく。そして私の話が終わると、喉元を押さえながら逃げようと走り出した兵士に向かって、指差し叫んだ。

「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ〈スプラッシュ〉」
「あがぁっ!」

 指先から、小さな水の塊がいくつも放たれ、男の足を打つ。物凄いスピードで飛ぶ水に撃たれた男は、その衝撃で足元をとられ、悲鳴を上げながら、うつ伏せに倒れてしまった。その顔は、激痛で歪んでいる。

 アランは男に近寄ると、しゃがみ込んだ。兵士の髪の毛を掴みあげると、男の身体を弓なりに反らせる。男の顔が正面にくると、アランはスッと無表情になった。ただ男の目をジッと見つめながら、恐ろしく静かな声で告げる。

「……お前たちバルバーリ人が他人の物を奪うのが好きなのは、昔から変わってないな? それはもう国民性か?」

 そう告げる口角が上がった。なのに前髪の隙間から見える青い瞳は、男を射殺さんばかりに見開かれ、全く笑っていない。

「き、きさまぁ……こ、この国の兵士である俺に、こ、こんな……」
「だからどうした? 適当な理由をつけて、()を捕らえるのか? ならその前に、さっき壁が破壊されたときの破片が刺さったという理由で、お前の喉を魔法で潰しておこうか?」
「そ、それは……」
「ああ……その汚い手で彼女に触れたのか? どこに触れたか、言ってみろっ‼」
「ひぃ、あががっ‼ や、やめろぉぉっ‼」

 薄い笑みを浮かべながら、アランの足が男の手を踏みにじった。

 アランが本気で怒るのを、初めて見た。とても静かだけど、背後から立ち上る鋭い殺気が、部屋中に漂っているのが分かる。

 怒りで我を忘れているみたい。
 本当にこの人を殺してしまうかもしれない危うさがあった。

 私は、悲鳴を上げる男をどこか楽しそうに見つめるアランを、背後から抱きしめた。

「アラン、もうやめて……お願いだから……」

 残酷に人を踏みにじる彼を、見たくなかった。
 私のために、人を殺める姿なんて、もっと見たくない。

 耳元で、ハッと息を飲む音が聞こえた。

「エ……ヴァ……」

 掠れた声で私の名を呼びながら振り返った彼の表情は、いつものアランだった。彼の手から力が抜け、男が床に倒れた。

 クシャリと黒い前髪を掴むと、うなだれる。

「……ごめん。エヴァがこの男に与えられた恐怖や屈辱、俺の不甲斐なさを思ったら……頭に血が上った。助けに来るのが遅くなって……いや、不用意に一人にしてしまって……ほんとごめん」
「ううん、そんなことないわ! 助けてくれて、本当にありがとう……あの壁だって、私を逃がすためにアランが壊してくれたんでしょ?」
「え?」

 アランの視線が、破壊された壁に向けられた。激しく目を瞬きながら、えっと……と返答に困った様子を見せている。

 ふふっ、今更隠さなくていいのに。

 その時、大勢の人のざわめきも聞こえてきた。どうやら騒ぎを聞きつけ、人が集まってきたみたい。
 アランは、再び男に向き直ると、瞳を細めて見下ろした。

「検問場を通り抜けた先は、中立地帯。つまり、この部屋は中立地帯にあるってことだ。これがどういうことか……兵士のお前なら分かるな?」

 そう言った瞬間、

「な、何があったんだ⁉」

 部屋に、甲冑を着込んだバルバーリの兵士と、緑に塗られた見たことのない軽装鎧を身につけた兵士が現れた。額には、草冠を模して作られたサークレットが着いている。

 この兵士たちは――

「中立地帯での騒ぎは、バルバーリ人が元凶の場合はフォレスティの兵士が、その逆であればバルバーリの兵士が対応することとなっている。相手が兵士だろうが平民だろうが、関係ない。大人しくフォレスティ兵に捕まり、罰を受けるんだな」
「うっ……」

 男は観念したように、ガクッと全身の力を抜いた。彼の周りを、アランから事情を聞いたフォレスティ国の兵士が取り囲み、縄で手首を縛る。
 そのとき、

「エヴァちゃんっ‼」
「エヴァ嬢ちゃん、アラン、大丈夫か⁉」
 
 壁の穴からマリアとルドルフが飛び出し、座り込んだままの私を抱きしめてくれた。

 こうして、事件は幕を閉じた。

 その後の話で、この男は検問場の兵士という立場を利用して、色々な悪事を働いていたことが分かった。それも、表に出そうになった悪事は、この兵士の立場を守るため、フォレスティ側にばれる前に、バルバーリが隠ぺいしていたのだとか。ほんと、ろくでもない。

 今回、フォレスティ側に男の卑劣な行為が知られたことで、彼は正当な罰を受けることになるだろう。

 それにしても、

(男を吹き飛ばしたあの力は、何だったの?)

 彼は私に、精霊魔法を使ったのかと叫んでいたけど、無能力者である私に、そんな力はない。アランの仕業なら、男を吹き飛ばした後、すぐに部屋に入ってきそうだし……

 何かしらのダメージを受け、勢いよく後ずさりすぎて、壁にぶつかったぐらいしか考えられない。
 けれど、あの人、精霊魔法で吹き飛ばしたのか? って言ってたし……

 正直、謎としか言いようがない。

(そういえば、リズリー殿下に迫られた時も、突然花瓶が割れて、逃げ出せたんだっけ)
 
 突然、吹き飛んだと思われる男。
 突然、割れた花瓶。

 背筋に、ゾクリと寒気が走った。

 本当に、単に運が良かっただけなの?

 それとも何かが――
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