精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第53話 大精霊の行方(別視点)

 マリアに呼び出され部屋を出たアランは、長い廊下を大股で歩いていた。

 ついさっきまでエヴァといい雰囲気で、さらに告白までできるチャンスだったのに、それをマリア――いや、イグニスによって壊され、歯痒いようなもどかしいような、何とも言えない苦々しい気持ちが、大股で歩くという行動に現れている。

 とはいえ、兄の命令に従ってやってきたマリアには罪はない。彼女に命令した兄の方が重罪だ。

 しかし、あの兄のことだ。
 今回の件に不満をぶつけようものなら、

「はははっ、それは悪かったなぁー」

と、全く悪びれた様子なく、むしろニヨニヨしながら口先だけで謝られて終わりなのが、目に見える。

 くそっ、と心の中で毒づきながら、アランは手をギュッと握った。

『どういう、意味?』

 少し掠れた声で、自分に問う彼女の声が耳の奥で響き、握った手のひらに、エヴァの温もりが蘇る。
 まだ涙で少し潤んだ紫色の瞳が自分を見下ろしながら、答えを待つ彼女の姿が、鮮明に思い出される。

(告白には、これ以上ない程の最高のシュチエーションだったのに)

 あんなチャンスが、今後も訪れるだろうか……
 可能性の低さを思うと、重いため息をつくしかできなかった。

 でも、今までのエヴァへのアプローチや、自身のヘタレ具合を思い出すと、告白直前まで持ち込めた自分を褒めてやりたい、という気持ちもある。

 フォレスティ王国に向かう馬車の中で、エヴァのことを『大切な友人』と言ってしまった頃のヘタレ具合を思い出すと、驚くべき成長だ。

 ……いや、あの時は決してヘタレたわけじゃないが。

(あそこまで言えば……あのエヴァだってさすがに俺の気持ちに九割……いや八割は気付いてくれるはず! 少なくとも、『アランってもしかして私のこと……』ぐらいの意識はして貰えているはず!)

 双眸を閉じ、握った拳を小さく下から上に突き出しながら、アランは自身を褒め称えた。

 まあ残念ながら、エヴァがアランの気持ちに『もしかして……』となったのは一瞬で、むしろ今はアランとの心の距離が遠くなった気がして落ち込んでいたりするわけだが。

(それにしても――)

 浮かれていた気持ちが、沈む。

 エヴァ自身のこと、そして自分たちがクロージック家に潜り込んでいた理由を伝えた時のことを、思い出したからだ。

 本当は、話したくはなかった。

 彼女の性格上、精霊女王であると知ったことで傲慢な態度に変わったり、強大な力を無造作に振るうことはないだろう。

 しかし、自身が精霊女王エルフィーランジュの生まれ変わりだという事実や、アランたち人間の手に届くことのない特別な力は、優しいエヴァの足枷になる。

 だから、話したくなかったのだ。

 だが、バルバーリ王国からエヴァの身柄引き渡しの話が来ている以上、話さないわけにはいかない。いつ話そうと悩んでいた矢先、カレイドスによってエヴァの正体が伝わってしまったのだ。

 彼女が自立したいと思うくらい生活も落ち着いていたと思うと、むしろ、話すタイミングとしては悪くなかっただろう。

 それに、

(話す内容が、あれだけで良かった)

 ホッと胸をなで下ろす。
 
 クロージック家にやってきた目的を、途中でルドルフが説明してくれたため、エヴァには何一つ矛盾を感じさせなかったはずだ。

 フォレスティ王家を巻き込み、それでも譲ることができずに国を飛び出した自分の目的は、決して話せない。

 長年、抱き続けた自分と同じ苦しみを、彼女には決して味わわせたくはない。

 イグニスの娘オルジュを抱いた時、涙を流したエヴァの姿が思い浮かんだ。

(……これ以上、エヴァには思い出させてはいけない。絶対に――)

 アランが奥歯を強く噛みしめ、心の中で静かに誓った時、低いしゃがれ声が廊下に響き渡った。

「アラン様」

 名を呼ばれ、アランは正面に顔を向ける。声の主は、イグニスがいる会議室の前に立つルドルフだった。

 一足先に部屋を出たルドルフは、途中でマリアと出会い、イグニスから呼び出されていると告げられたのだ。マリアがアランも呼びに行ったため、一緒に部屋に入ろうと、入り口で彼の到着を待っていたのだ。

 アランは小走りをしてルドルフの前に立つと、申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「ルドルフ、待っていてくれたのか。遅くなってすまない」
「いえ。エヴァ嬢ちゃんは、落ち着きましたかな?」
「……ああ、とりあえずはね」

 告白を邪魔された苦々しさを思い出しながら、アランが答える。

 年の功で、アランとエヴァの間に何かあったと感じ取ったルドルフだが、アランの様子に大きな変化がないことから、エヴァとの進展はなかったのだろうと判断し、僅かに肩を落とした。

 その時、

「……雨、ですな」
「ああ、そうだな。エヴァか」
「そのようですな」

 廊下の窓を叩く滴の音を聞きながら、アランの言葉にルドルフが頷く。瞳が僅かに輝いているため、精霊の動きを見ているのだろう。

 窓から視線を反らすと、アランはルドルフに向き直った。

「ルドルフ、大精霊の件はどうなってる?」

 それを聞いたルドルフの瞳が輝きを失い、いつもの琥珀色に戻った。腕を組みながら、額に皺を寄せ、困惑顔を浮かべる。

「長年エヴァ嬢ちゃんを見守ってきたんじゃが、どこにもいないようじゃ。やはり、エヴァ嬢ちゃんのそばにいないのでしょうな」
「そうか……困ったな。これじゃ、エヴァの力が不安定なままだ」

 アランも腕を組むと、考え込むように両目を閉じ、うーんと小さく唸った。

 精霊女王のそばには必ず、光と闇の大精霊がいる。
 大精霊たちは精霊女王の守護者であり、彼女の願いを、上位・下位精霊たちに伝え、動かす司令塔の役目を担っているのだ。

 だが、エヴァが精霊女王であるにも関わらず、その大精霊たちがそばにいない。

 大精霊がいない、ということは、ただでさえ、人の悪意に狙われやすい精霊女王を守る存在がいないということになる。

 さらに、司令塔である大精霊が現在いないため、精霊たちに精霊女王の願いが上手く伝わっておらず、伝わっても精霊女王の願いという目指すべきゴールを、精霊たちが各々が決めて動いているため力が分散し、効果が半減、もしくは予想外の結果を生み出したりするのだ。

 それでも、人間たちが畏怖するには充分過ぎる力を、エヴァは持っているわけだが。

(光と闇の大精霊は守るべき主を放って、一体どこにいってしまったんだ)

 三百年前、エルフィーランジュのそばには間違いなくいたはずなのに――

「引き続き、大精霊の行方を捜索いたします」
「ああ、よろしく頼む、ルドルフ」

 胸に手を当てて頭を下げるルドルフに、大精霊の件を任せると、アランは会議室の扉を開くために手を伸ばした。が、ルドルフの呟きによって、ドアノブに伸ばされた手が止まる。

「……エヴァ嬢ちゃんが精霊を視る目を持っておれば……」

 大精霊の行方も分かるかもしれない、というルドルフの呟きは最後まで吐き出されることはなかった。
 
 何故なら、アランの動きが止まったかと思うと、ゆっくりとこちらを振り返ったからだ。
 
 黒髪の青年は、ただ静かにたたずんでいた。
 静寂の中にゆらりと立ち上るのは、憎しみという名の青い炎。

 若き王弟の変貌に、彼よりもずっと年上であるルドルフの口内がカラカラに乾いていく。静かながらも、ただならぬ怒りを纏わせた瞳から、視線を反らすことができない。

 恐怖で固まるルドルフの前で、アランがゆっくりと唇を動かす。

「ルドルフ、分かっていると思うがその話は……精霊女王たる彼女から、精霊を視る目が奪われていることは――他言無用だ」
「……申し訳ございません」
「そしてその話は……()の前でしないでいてくれると助かる。彼女を救えなかった己の無力さを……突きつけられる」
「……承知いたしました」

 ルドルフはアランの前に跪くと、深く頭を垂れた。

 それを見下ろすアランの表情が、みるみるうちに先ほどの柔らかさを取り戻す。

 はぁっと大きくため息をつき、前髪をクシャリと鷲づかみにすると、未だに跪いたまま微動だにしないルドルフに向かって手を差し出した。

「ごめん、ルドルフ。さあ、兄さんが俺たちを待ってる、行こう」
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