精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第52話 私は逃げない
さっきまですぐ近くにあったと思っていたアランの気持ちが、今は見えない。
むしろ、どこか遠く離れてしまった気すらしてしまう。
もちろん、人には隠しておきたい秘密のひとつやふたつ、あるのは分かっている。
だけど、マリアの言葉にショックを受けたのはきっと、彼女には伝えられるのに、私には伝えてくれない、という対応の差があるからだと思う。
分かってるわ。
アランとマリアの関係、そしてアランと私の関係は、大きく違うってことぐらい。
ただのお友達の私と、信頼する臣下であるマリア。それだけでも、彼がどちらを信頼し託せるかは、安易に想像できる。
分かっているけれど、私が頼りない存在だと突きつけられたようで、悲しかった。
大好きな人に隠し事をさせてしまう自分が、情けなくて悔しくて堪らない。
……ううん、これ以上考えるのはやめやめ。
うじうじ悩むのは、性に合わないわ。
アランが私に本当の理由を話さないのは、きっと私に関係のないことだから。
私に話す必要がないと判断したからに過ぎない。
そういうことなのよ。
心の葛藤に無理矢理決着をつけた時、私の手を握っていたマリアの手に力がこもった。
「さっきアラン様も仰っていたけれど、エヴァちゃんをバルバーリ王国に引き渡すことは、決してないからね。だからエヴァちゃんは余計な心配しないで、陛下やアラン様に全てをお任せすればいいわ。もしエヴァちゃんに希望があれば、できる限り叶えてくださると思うし」
「うん、ありがとう……マリア」
彼女の力強い言葉に、私は微笑んで返した。そして彼女から手を離すと、ゆっくりと窓際に歩み寄った。
窓の外には、美しい王都が広がっている。
城から城下町へと続く大通りを目で追いながら、城を出てから今までのことを思い出していた。
城を出た時には、まさかこんな状況になるなんて想像もしなかった。正直、アランとルドルフの話を、どれだけ理解できているか、心の底から納得できているかは分からない。
だけどマリアの言うとおり、少しずつ受け入れていくしかないのかしら。
私が、精霊女王エルフィーランジュ様の生まれ変わりである、という事実を――
チラッとテーブルを見ると、空になったピッチャーが置いてあるのが見えた。
本当に私が精霊女王で、願ったことを精霊が叶えようとするなら……
瞳を閉じ、心の中で願いを思い浮かべる。
(ピッチャーの中身が、水で一杯になりますように……)
そしてゆっくり瞳を開く。だけど、テーブルの上には空のピッチャーが置いたままだった。
アランたちの話だと、私が願えば精霊が願いを叶えるために動くってことだったはず。
落胆と安堵が混じり合ったような気持ちを抱いた時、ふと、私の力について説明するアランの言葉を思い出した。
『エヴァの精霊女王としての力は、心の底から求め、強く願うことで発動する』
心の底から求め――ということは、ただの実験としてピッチャーの水を満たす行為は、心の底から私が求める願いではない、ということなのかもしれない。
それが本当なら、精霊女王の力は本気で願わなければ叶わないということになる。冗談で願ったことが叶っちゃった☆ なんていう、誤発動がなさそうなのは少しだけ安心かも。
軽く息を吐き出すと、再び窓の外に視線を向けた。
空は青く、雲一つない快晴が広がっている。
そう言えば、お昼をごちそうしてくれた店主さんが、ここのところずっと雨が来ていないから、そろそろ一雨来て欲しいと言っていたっけ。
日差しも強くて、道行く人たちの暑そうな表情や、広場で休息する人々が日陰を求めて木陰に集まっていた光景が脳裏をよぎった。
皆が、雨を求めているというのなら――
(どうかフォレスティ王国に、雨が来ますように……少しの時間でいい。雨の恵みが、皆の上に等しく降り注ぎますように……)
瞼の裏に、店主さんや木陰で休む人々を思い浮かべながら、瞳を閉じて願った。
それと同時に、祖国では決して経験できなかった、安らぎと自由に満ちたフォレスティ王国での日々が思い出される。
これ以上、イグニス陛下やこの国に迷惑をかけたくない。
アランの言うとおり、他国に逃げるのが最善だと思う。
(だけど――)
窓枠に置いた手に力がこもる。
できることなら、この美しく優しさで満ちあふれたこの国で、ずっと過ごしたい。
少しの時間しか過ごしていないけれど、祖国よりも大好きになったこの国で、生きていきたい。
一生懸命働いて自立して、たまには街に出て好きなことをして、マリアと一緒にお買い物をしたり、ルドルフやカレイドス先生に精霊魔法を学んだり、そしてアランとは――
もしここで他国に逃げたとしても、バルバーリ王国は必ず追いかけてくる。
新天地に移っても、結局は彼らからの追跡に怯える日々が続く。
そんなの……私が望んだ自由じゃない。
本当の自由じゃない。
この身も心も、誰にも縛られない。
心の自由や誇りは誰にも変えられない、誰にも奪えない唯一のもの。
それならば――恐れる必要なんてない。
「……あ、雨が」
マリアの声に、私はゆっくりと瞳を開いた。
先ほどまで雲一つない晴天だった空が、いつの間にか灰色の厚い雲に覆われていた。
小さな水滴が、どんどんと窓の外側を濡らしていく。濡れた窓から見える外の景色が、揺らいでいく。
強い音を立て、王都に恵みの雨が降り注ぐ。
「……マリア、アランに伝えて欲しいの」
私はマリアの方に向き直った。
そして、どこか畏怖を湛えた瞳をこちらに向ける彼女に向かって、
自分の気持ちを、
決意を、
口にした。
「バルバーリ王国への身柄引き渡しの件、私が直接、殿下とマルティに戻らないことを伝えたいって」
雨の音はもうしない。
雲の隙間から漏れた光が、部屋に差し込む。
私は、
――逃げない。
むしろ、どこか遠く離れてしまった気すらしてしまう。
もちろん、人には隠しておきたい秘密のひとつやふたつ、あるのは分かっている。
だけど、マリアの言葉にショックを受けたのはきっと、彼女には伝えられるのに、私には伝えてくれない、という対応の差があるからだと思う。
分かってるわ。
アランとマリアの関係、そしてアランと私の関係は、大きく違うってことぐらい。
ただのお友達の私と、信頼する臣下であるマリア。それだけでも、彼がどちらを信頼し託せるかは、安易に想像できる。
分かっているけれど、私が頼りない存在だと突きつけられたようで、悲しかった。
大好きな人に隠し事をさせてしまう自分が、情けなくて悔しくて堪らない。
……ううん、これ以上考えるのはやめやめ。
うじうじ悩むのは、性に合わないわ。
アランが私に本当の理由を話さないのは、きっと私に関係のないことだから。
私に話す必要がないと判断したからに過ぎない。
そういうことなのよ。
心の葛藤に無理矢理決着をつけた時、私の手を握っていたマリアの手に力がこもった。
「さっきアラン様も仰っていたけれど、エヴァちゃんをバルバーリ王国に引き渡すことは、決してないからね。だからエヴァちゃんは余計な心配しないで、陛下やアラン様に全てをお任せすればいいわ。もしエヴァちゃんに希望があれば、できる限り叶えてくださると思うし」
「うん、ありがとう……マリア」
彼女の力強い言葉に、私は微笑んで返した。そして彼女から手を離すと、ゆっくりと窓際に歩み寄った。
窓の外には、美しい王都が広がっている。
城から城下町へと続く大通りを目で追いながら、城を出てから今までのことを思い出していた。
城を出た時には、まさかこんな状況になるなんて想像もしなかった。正直、アランとルドルフの話を、どれだけ理解できているか、心の底から納得できているかは分からない。
だけどマリアの言うとおり、少しずつ受け入れていくしかないのかしら。
私が、精霊女王エルフィーランジュ様の生まれ変わりである、という事実を――
チラッとテーブルを見ると、空になったピッチャーが置いてあるのが見えた。
本当に私が精霊女王で、願ったことを精霊が叶えようとするなら……
瞳を閉じ、心の中で願いを思い浮かべる。
(ピッチャーの中身が、水で一杯になりますように……)
そしてゆっくり瞳を開く。だけど、テーブルの上には空のピッチャーが置いたままだった。
アランたちの話だと、私が願えば精霊が願いを叶えるために動くってことだったはず。
落胆と安堵が混じり合ったような気持ちを抱いた時、ふと、私の力について説明するアランの言葉を思い出した。
『エヴァの精霊女王としての力は、心の底から求め、強く願うことで発動する』
心の底から求め――ということは、ただの実験としてピッチャーの水を満たす行為は、心の底から私が求める願いではない、ということなのかもしれない。
それが本当なら、精霊女王の力は本気で願わなければ叶わないということになる。冗談で願ったことが叶っちゃった☆ なんていう、誤発動がなさそうなのは少しだけ安心かも。
軽く息を吐き出すと、再び窓の外に視線を向けた。
空は青く、雲一つない快晴が広がっている。
そう言えば、お昼をごちそうしてくれた店主さんが、ここのところずっと雨が来ていないから、そろそろ一雨来て欲しいと言っていたっけ。
日差しも強くて、道行く人たちの暑そうな表情や、広場で休息する人々が日陰を求めて木陰に集まっていた光景が脳裏をよぎった。
皆が、雨を求めているというのなら――
(どうかフォレスティ王国に、雨が来ますように……少しの時間でいい。雨の恵みが、皆の上に等しく降り注ぎますように……)
瞼の裏に、店主さんや木陰で休む人々を思い浮かべながら、瞳を閉じて願った。
それと同時に、祖国では決して経験できなかった、安らぎと自由に満ちたフォレスティ王国での日々が思い出される。
これ以上、イグニス陛下やこの国に迷惑をかけたくない。
アランの言うとおり、他国に逃げるのが最善だと思う。
(だけど――)
窓枠に置いた手に力がこもる。
できることなら、この美しく優しさで満ちあふれたこの国で、ずっと過ごしたい。
少しの時間しか過ごしていないけれど、祖国よりも大好きになったこの国で、生きていきたい。
一生懸命働いて自立して、たまには街に出て好きなことをして、マリアと一緒にお買い物をしたり、ルドルフやカレイドス先生に精霊魔法を学んだり、そしてアランとは――
もしここで他国に逃げたとしても、バルバーリ王国は必ず追いかけてくる。
新天地に移っても、結局は彼らからの追跡に怯える日々が続く。
そんなの……私が望んだ自由じゃない。
本当の自由じゃない。
この身も心も、誰にも縛られない。
心の自由や誇りは誰にも変えられない、誰にも奪えない唯一のもの。
それならば――恐れる必要なんてない。
「……あ、雨が」
マリアの声に、私はゆっくりと瞳を開いた。
先ほどまで雲一つない晴天だった空が、いつの間にか灰色の厚い雲に覆われていた。
小さな水滴が、どんどんと窓の外側を濡らしていく。濡れた窓から見える外の景色が、揺らいでいく。
強い音を立て、王都に恵みの雨が降り注ぐ。
「……マリア、アランに伝えて欲しいの」
私はマリアの方に向き直った。
そして、どこか畏怖を湛えた瞳をこちらに向ける彼女に向かって、
自分の気持ちを、
決意を、
口にした。
「バルバーリ王国への身柄引き渡しの件、私が直接、殿下とマルティに戻らないことを伝えたいって」
雨の音はもうしない。
雲の隙間から漏れた光が、部屋に差し込む。
私は、
――逃げない。