精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第57話 婚約者の練習
「あ、アランの、こ、婚約者?」
「え、えっと、兄さん?」
私たちの反応を見た陛下が堪らず噴き出された。右手で口元を覆いながら、左手をヒラヒラと振っている。
「あくまで婚約者のフリだ。だからもちろん、大々的に発表はしないし、バルバーリ王国の使者に関わる者たちだけに、お前たち二人が婚約者のフリをすることを伝えるつもりだ」
「で、でも兄さん、フリとはいえ、こ、婚約者になるなんて……」
「ヌークルバ関所では夫婦のフリをしたのだろう? バルバーリ王国に通行税を払いたくないっていう小さな理由で。ならエヴァを守るために婚約者のフリをするなど、簡単だろう?」
「いやあれは……なんというか、成り行きというか……」
「え、成り行き?」
「ち、違う、違うんだエヴァっ! あ、ああ、あれはえっと……」
横から口を出した私の疑問に、アランが慌てて首を横に振った。気まずそうに視線を反らすと、落ち着かない様子でこめかみ辺りを指で掻いている。
確か夫婦のフリをしたのって、バルバーリ王国にお金を落としたくないという理由だったはずなのに、どうしてそんなに慌てているのかしら?
ヌークルバ関所でアランが説明してくれたことを思い出していると、イグニス陛下が小さく咳払いをされた。
「まぁまぁエヴァ、過去の話は一先ず横に置いて話を元に戻そう。例えフリとはいえ、バルバーリ王国側には絶大な効果があるはず。こう見えてもアランはフォレスティ王家の人間だからな。バルバーリ王国も、フォレスティ王家の婚約者にそう簡単に手は出せまい」
「こう見えてもって言い方酷くないか、兄さん……」
「十年間も祖国を放り出していた放蕩弟に、ぴったりの表現だと思うが?」
「うっ……」
目が全く笑っていないイグニス陛下の笑顔を見て、アランはばつが悪そうに口をつぐんだ。
そんな二人のやりとりを見つつも、私の気持ちは別のところにあった。
(わ、私が、フリとは言えアランの婚約者に……?)
フリだって分かっているのに、私を守るための一時のことだって分かっているのに、想像しただけで心臓がバクバクいっている。
ど、どど、ど、どうしよう!
感情が、恥ずかしさと幸せの間を行ったり来たりしているせいで、情緒不安定になりそう!
「どうしたの、エヴァ? さっきから難しい顔をして……」
アランの目には、私が考え込んでいるように見えたらしい。
良かった。
若干暴走気味だった私の内心が、表情に出ていなくて。
テーブルに肘をついて頬杖しながら私を見るイグニス陛下が、何故か嬉しそうに目を細めていらっしゃるのが、少し気になるけれど。
「えっとその……アランはいいの? フリとはいえ、私なんかを婚約者にして……迷惑じゃない?」
「逆に聞きたいんだけど、エヴァはどう思ってる? フリとはいえ俺の婚約者だなんて嫌じゃない?」
こちらを見つめる青い瞳が、どこか不安そうに揺れている気がした。
嫌じゃないかと聞かれたら、私の答えは一つしかない。
「嫌、じゃない……わ」
むしろ、末永くよろしくお願いしますって、こちらから頭を下げたいくらいなのですが。
アランの表情が、パァッと音が聞こえるかと思うほど明るくなった。満面の笑みを浮かべながら、私の両腕を掴み顔を近づける。
「それなら良かった! もちろん俺も迷惑だなんて思ってない。むしろこんなことでエヴァを守れるなら、婚約者だろうが夫婦だろうが、なんでも引き受けるよ」
「ふ、夫婦⁉︎」
「か、仮の話だよ!」
そう付け加えると、アランはハッと息を飲み、慌てて私の腕から手を離した。
「ご、ごめん……思わず強く掴んでしまったけど痛くなかった?」
「だ、だいじょう、ぶ……」
全然大丈夫じゃないけれどっ!
腕から手は離れたけれど、未だにあなたの言葉と腕を掴まれたという事実が、心が鷲掴みにして離してくれないんですけれどっ!
「では、婚約者のフリをすることを条件に、エヴァをバルバーリ王国からの使者と会わせること、そして彼女の要求を伝えることを認めるんだな? アラン」
「あ、ああ……仕方ないな」
「よし決まりだ。では今日の話はここまでにしよう」
返答を聞き、何故か更にニヨニヨを増した顔の陛下が、ゆっくりと席を立たれた。そしてアランの横を通り過ぎる際に彼の肩を叩くと、その耳元で何かを囁く。
次の瞬間、アランの顔が赤くなり、
「べ、別に兄さんの力がなくたって、だ、大丈夫だったし!」
と大声で叫んでいた。
アランがこんな反応をするなんて、陛下は一体何を言われたのかしら?
彼の叫びにイグニス陛下は鼻で笑って返すと、今度は私たち二人に交互に視線を送った。
「そうだ、これから婚約者同士の振る舞いの練習でもしたらどうだ? 今の状態では、バルバーリ王国からの使者にフリだと見破られてしまうぞ?」
婚約者の……練習?
言葉の意味を理解した瞬間、私たちは反射的に顔を見合わせていた。
動揺する私を映すアランの青い瞳が激しく瞬き、薄く開いた唇からは、えっと……という繋ぎ言葉だけが発される。
もちろん、何も言えないのは私も同じ。むしろ繋ぎ言葉すら出せず、黙って俯いてしまった分、アランよりもタチが悪い。
「頑張りなさい二人とも、はははっ!」
凄く楽しそうな陛下の笑い声は、部屋の扉が閉じると同時に聞こえなくなった。
アランと私の二人だけになった部屋に、静寂が訪れる。
「ええっと……」
アランの呟きが沈黙を破った。
彼は横の髪の毛を引っ張りながらどこか遠くを見ている。そして小さく息を吐き出すと、髪の毛を弄る指の動きを止めた。
少し上ずったアランの声が、私の視線を彼に向けさせる。
「して……みる? 婚約者の練習……」
「れ、練習って言われても……何をすればいいの?」
一応バルバーリ王国王太子の婚約者ではあったけれど、婚約者らしい扱いはされていないし、婚約者として、未来の妃として必要な教育も受けていないから、いざ婚約者の練習といわれても想像がつかない。
私の困惑が伝わったのか、アランは安心させるように微笑んだ。
「そんなに深刻にならなくても大丈夫だよ。きっと兄さんは、俺とエヴァの距離感について言っているんだと思う。ほら、ヌークルバ関所で夫婦のフリをしたときと同じような……」
「新婚なのに、手の一つ繋がないのはおかしいっていう感じ?」
「その通り。婚約したと言っても、俺たちがよそよそしければフリだとバレて、相手に付け入る隙を作ってしまうからね。だからそんな疑いを微塵も抱かせないぐらい、俺たちの相思相愛ぶりを見せつけてやろうってことかな」
「そ、そうしそうあい⁉」
「も、もも、もちろん、フリ! フリだから!」
あ、危なかったわ。
アランがフリだって強調してくれていなければ、相思相愛になった場面を想像して、二度と幸せな妄想から現実に戻れなくなるところだったわ……
もうっ!
一度鎮まれ、私の恋心。
これはあくまで、私がバルバーリ王国に連れ戻されないようにするためのお芝居。
アランは優しいから、それに付き合ってくれているだけ。
付き合ってくれているだ――
『俺は――』
不意に、マリアに続きを奪われたアランの言葉が蘇った。
マリアは絶対に告白の言葉だって言い切っていた。それが本当なら、どれだけ幸せなことだろう。
だけど、
『……残念だけど、アラン様がそのことについて、エヴァちゃんに話すことは……ないと思うわ』
浮き足立っていた気持ちがスッと冷める。
(アランは……本当は私をどう思っているの?)
大切な友人って言ってくれたことを思うと、好感度は高い方だと思う。
だけど一線を引かれているみたいで、少し心の奥がチクチクする。
……ううん、今はそんなことに気を取られていては駄目。
バルバーリ王国の一件が終わり、私が本当の自由を手に入れたその時に聞いてみよう。
あの時の言葉の続きを――
「え、えっと、兄さん?」
私たちの反応を見た陛下が堪らず噴き出された。右手で口元を覆いながら、左手をヒラヒラと振っている。
「あくまで婚約者のフリだ。だからもちろん、大々的に発表はしないし、バルバーリ王国の使者に関わる者たちだけに、お前たち二人が婚約者のフリをすることを伝えるつもりだ」
「で、でも兄さん、フリとはいえ、こ、婚約者になるなんて……」
「ヌークルバ関所では夫婦のフリをしたのだろう? バルバーリ王国に通行税を払いたくないっていう小さな理由で。ならエヴァを守るために婚約者のフリをするなど、簡単だろう?」
「いやあれは……なんというか、成り行きというか……」
「え、成り行き?」
「ち、違う、違うんだエヴァっ! あ、ああ、あれはえっと……」
横から口を出した私の疑問に、アランが慌てて首を横に振った。気まずそうに視線を反らすと、落ち着かない様子でこめかみ辺りを指で掻いている。
確か夫婦のフリをしたのって、バルバーリ王国にお金を落としたくないという理由だったはずなのに、どうしてそんなに慌てているのかしら?
ヌークルバ関所でアランが説明してくれたことを思い出していると、イグニス陛下が小さく咳払いをされた。
「まぁまぁエヴァ、過去の話は一先ず横に置いて話を元に戻そう。例えフリとはいえ、バルバーリ王国側には絶大な効果があるはず。こう見えてもアランはフォレスティ王家の人間だからな。バルバーリ王国も、フォレスティ王家の婚約者にそう簡単に手は出せまい」
「こう見えてもって言い方酷くないか、兄さん……」
「十年間も祖国を放り出していた放蕩弟に、ぴったりの表現だと思うが?」
「うっ……」
目が全く笑っていないイグニス陛下の笑顔を見て、アランはばつが悪そうに口をつぐんだ。
そんな二人のやりとりを見つつも、私の気持ちは別のところにあった。
(わ、私が、フリとは言えアランの婚約者に……?)
フリだって分かっているのに、私を守るための一時のことだって分かっているのに、想像しただけで心臓がバクバクいっている。
ど、どど、ど、どうしよう!
感情が、恥ずかしさと幸せの間を行ったり来たりしているせいで、情緒不安定になりそう!
「どうしたの、エヴァ? さっきから難しい顔をして……」
アランの目には、私が考え込んでいるように見えたらしい。
良かった。
若干暴走気味だった私の内心が、表情に出ていなくて。
テーブルに肘をついて頬杖しながら私を見るイグニス陛下が、何故か嬉しそうに目を細めていらっしゃるのが、少し気になるけれど。
「えっとその……アランはいいの? フリとはいえ、私なんかを婚約者にして……迷惑じゃない?」
「逆に聞きたいんだけど、エヴァはどう思ってる? フリとはいえ俺の婚約者だなんて嫌じゃない?」
こちらを見つめる青い瞳が、どこか不安そうに揺れている気がした。
嫌じゃないかと聞かれたら、私の答えは一つしかない。
「嫌、じゃない……わ」
むしろ、末永くよろしくお願いしますって、こちらから頭を下げたいくらいなのですが。
アランの表情が、パァッと音が聞こえるかと思うほど明るくなった。満面の笑みを浮かべながら、私の両腕を掴み顔を近づける。
「それなら良かった! もちろん俺も迷惑だなんて思ってない。むしろこんなことでエヴァを守れるなら、婚約者だろうが夫婦だろうが、なんでも引き受けるよ」
「ふ、夫婦⁉︎」
「か、仮の話だよ!」
そう付け加えると、アランはハッと息を飲み、慌てて私の腕から手を離した。
「ご、ごめん……思わず強く掴んでしまったけど痛くなかった?」
「だ、だいじょう、ぶ……」
全然大丈夫じゃないけれどっ!
腕から手は離れたけれど、未だにあなたの言葉と腕を掴まれたという事実が、心が鷲掴みにして離してくれないんですけれどっ!
「では、婚約者のフリをすることを条件に、エヴァをバルバーリ王国からの使者と会わせること、そして彼女の要求を伝えることを認めるんだな? アラン」
「あ、ああ……仕方ないな」
「よし決まりだ。では今日の話はここまでにしよう」
返答を聞き、何故か更にニヨニヨを増した顔の陛下が、ゆっくりと席を立たれた。そしてアランの横を通り過ぎる際に彼の肩を叩くと、その耳元で何かを囁く。
次の瞬間、アランの顔が赤くなり、
「べ、別に兄さんの力がなくたって、だ、大丈夫だったし!」
と大声で叫んでいた。
アランがこんな反応をするなんて、陛下は一体何を言われたのかしら?
彼の叫びにイグニス陛下は鼻で笑って返すと、今度は私たち二人に交互に視線を送った。
「そうだ、これから婚約者同士の振る舞いの練習でもしたらどうだ? 今の状態では、バルバーリ王国からの使者にフリだと見破られてしまうぞ?」
婚約者の……練習?
言葉の意味を理解した瞬間、私たちは反射的に顔を見合わせていた。
動揺する私を映すアランの青い瞳が激しく瞬き、薄く開いた唇からは、えっと……という繋ぎ言葉だけが発される。
もちろん、何も言えないのは私も同じ。むしろ繋ぎ言葉すら出せず、黙って俯いてしまった分、アランよりもタチが悪い。
「頑張りなさい二人とも、はははっ!」
凄く楽しそうな陛下の笑い声は、部屋の扉が閉じると同時に聞こえなくなった。
アランと私の二人だけになった部屋に、静寂が訪れる。
「ええっと……」
アランの呟きが沈黙を破った。
彼は横の髪の毛を引っ張りながらどこか遠くを見ている。そして小さく息を吐き出すと、髪の毛を弄る指の動きを止めた。
少し上ずったアランの声が、私の視線を彼に向けさせる。
「して……みる? 婚約者の練習……」
「れ、練習って言われても……何をすればいいの?」
一応バルバーリ王国王太子の婚約者ではあったけれど、婚約者らしい扱いはされていないし、婚約者として、未来の妃として必要な教育も受けていないから、いざ婚約者の練習といわれても想像がつかない。
私の困惑が伝わったのか、アランは安心させるように微笑んだ。
「そんなに深刻にならなくても大丈夫だよ。きっと兄さんは、俺とエヴァの距離感について言っているんだと思う。ほら、ヌークルバ関所で夫婦のフリをしたときと同じような……」
「新婚なのに、手の一つ繋がないのはおかしいっていう感じ?」
「その通り。婚約したと言っても、俺たちがよそよそしければフリだとバレて、相手に付け入る隙を作ってしまうからね。だからそんな疑いを微塵も抱かせないぐらい、俺たちの相思相愛ぶりを見せつけてやろうってことかな」
「そ、そうしそうあい⁉」
「も、もも、もちろん、フリ! フリだから!」
あ、危なかったわ。
アランがフリだって強調してくれていなければ、相思相愛になった場面を想像して、二度と幸せな妄想から現実に戻れなくなるところだったわ……
もうっ!
一度鎮まれ、私の恋心。
これはあくまで、私がバルバーリ王国に連れ戻されないようにするためのお芝居。
アランは優しいから、それに付き合ってくれているだけ。
付き合ってくれているだ――
『俺は――』
不意に、マリアに続きを奪われたアランの言葉が蘇った。
マリアは絶対に告白の言葉だって言い切っていた。それが本当なら、どれだけ幸せなことだろう。
だけど、
『……残念だけど、アラン様がそのことについて、エヴァちゃんに話すことは……ないと思うわ』
浮き足立っていた気持ちがスッと冷める。
(アランは……本当は私をどう思っているの?)
大切な友人って言ってくれたことを思うと、好感度は高い方だと思う。
だけど一線を引かれているみたいで、少し心の奥がチクチクする。
……ううん、今はそんなことに気を取られていては駄目。
バルバーリ王国の一件が終わり、私が本当の自由を手に入れたその時に聞いてみよう。
あの時の言葉の続きを――