精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第58話 二人で頑張ろうね
「エヴァ、手、繋ごうか?」
少し躊躇いがちな声が、私の意識を今へと連れ戻す。
声につられて顔を上げると、アランがこちらに向かって手を差し出していた。
そ、そうよね。
婚約者なら、手ぐらい自然に繋げて当然……よね?
私は小さく頷くと、おずおずとアランに向かって手を伸ばした。
ドキドキが指先にまで伝わってくる。
次の瞬間、私の手が彼の温もりに包まれた。
ギュッと握られると、心の奥まで握られたみたいに息苦しくなる。
今まで何度か手を繋いだけれど、やっぱり慣れない。肌が触れあい、お互いの体温を伝え合っているのだと思うと、恥ずかしくて堪らなくなると同時に、ときめく私の気持ちも伝わってしまわないか心配になる。
アランの顔が直視できない。
「エヴァ、少し肩の力を抜こう?」
「ええっ⁉ そ、そう⁉」
「もうガッチガチだよ? ヌークルバ関所でルドルフと手を繋いでいた時は、全然自然だったのになぁ……なんか俺、エヴァを緊張させるようなことしてる?」
「そ、そ、そんなこと、ないわっ!」
あなたの存在自体が原因なんですけど、なにか? とは、さすがに言えない。
アランの手が離れた。遠ざかる温もりが名残惜しくて、手の中に残るアランの温かさを噛みしめるように右手を握る。
彼の内心を探るように視線を向けると、アランは双眸を閉じ、少し考える素振りを見せていた。手を握るだけで緊張する私に困っているみたい。
「……ご、ごめんなさい。私のせいで、このままじゃ婚約者のフリをしてもバレちゃうね」
「謝らないで? でも……少し荒療治が必要かもね」
え、荒療治?
どういうこ――
と思った瞬間、私の両肩が重くなり、アランの顔が視界いっぱいに入ってきた。
どうやら立ち上がったアランが私の両肩に手を置き、かなりの近距離でこちらの顔を覗きこんでいるみたい。
突然の大好きな人の急接近に、息が止まる。
だけどアランの動きは、それだけじゃなかった。
肩に置かれた両手が首筋をなぞりながら上がり、私の頬に触れたのだ。そして手のひら全体で頬を包み込むと、そのままアランの方に顔を上げさせられてしまった。
息がかかりそうなほど顔を寄せている彼の瞳と、視線が絡み合う。
下手すれば、鼻先が当たってしまうほど近い。
この体勢ってもしかして――
私は咄嗟に目を閉じた。
目の前が暗闇になると、余計に自分の身体の状況が伝わってくる。いつになく早い心音が、胸を伝って脳に響く。スカートの上で握った両手は汗を掻き、全身は手を握った以上に強張っていた。
極度の緊張状態にありながらも、混乱で頭が真っ白になりながらも、身体はジッとその時がくるのを待っていた。
唇に、彼の温もりが触れるその瞬間を。
しばらくの間の後、深いため息が聞こえた。頬に触れていた手が離れると同時に、彼の気配が遠ざかっていく。
私が目を開けた時には、アランは元の席に座っていた。どこか疲れたような表情をしていたけれど、私の視線に気付くと取り繕うように笑った。
「突然ごめん。でもお互い、普段近づかない距離まで近づいたんだ。なら、この距離で手を握るなんて楽勝になるんじゃないかな?」
「……え?」
つまり手を握ること以上に刺激的なことを私にすることで、手を握るハードルを下げようとしたってこと?
荒療治って、このことだったのね!
彼にキスされるかもって期待――いえ、驚いて固まっていた自分が凄く恥ずかしくて堪らない。
アランは婚約者の練習をしていただけなのに、き、キスされるかも、だなんてふしだらなことばっかり考えてっ‼
どれだけ自意識過剰なの、私!
こんな気持ち、バレたら絶対に引かれちゃうっ!
「さ、俺の手を握ってみて?」
不真面目な私とは違い、婚約者の練習を続ける真面目なアランが、先ほどと同じように手を差し出した。それを躊躇無く握る私。
まあ、手を繋ぐハードルが下がったというよりも、自己嫌悪が強すぎて羞恥を越えているからなのだけれど。
だけど繋がった手を見つめるアランの瞳は、どこか満足そうだった。
下心満載な不浄な私には、純粋な気持ちで練習に付き合ってくれるアランの微笑みが清すぎる。
このまま浄化されて消滅してしまいそう。
アランは、何でいつもこんなに平然としてるのだろう。
私はフリだとはいえ、あなたと手を繋ぐだけでも平常心を保てないのに。
何だか悔しくなってきた。
私だって、アランに気持ちを伝えられるように頑張るって決めたんだもの。
確かに今は婚約者のフリをする練習だけれど、これを利用しない手はない。
もっと恋にずるくなるのよ、私!
「アラン、そこに立ってくれない?」
「え?」
「いいから、立って」
腑に落ちない表情を浮かべながらも、アランは私の指示に従い、テーブルから少し離れた場所に立った。
これでいい? と言わんばかりに小首を傾げて私を見ている。
今からすることを思うと、心臓が口から飛び出そうになる。
この一瞬で、百回ぐらい『止めよう』という単語が脳裏をよぎったけれど、グッと鳩尾に力を込めて弱気な言葉を振り払う。
もう彼の服の端っこを気付かれずに触るだけな私は卒業しないと!
勇気を出すのよ、エヴァ‼
私は立ち上がり、彼の横で立ち止まると手を伸ばした。
そして――
「え、エヴァ⁉」
アランの驚きの声を無視し、自分の両腕を彼の腕に絡めた。
自分の身体ができるだけ密着するように強く。
彼の腕は私の二の腕みたいに柔らかくはない。一件、細身に見えるのに、伝わってくるのは私やマリアにはない筋肉の硬さだ。
分かっていても、優しい彼だって男性なのだと改めて意識してしまう。今まで、この両腕でたくさん助けて貰ってきたのだと思うとなおさら。
アランはというと先ほどまで余裕が一変、激しい動揺を見せていた。瞬きを多くしながら、私の顔と絡みついた腕を交互に見ている。
「え、エヴァ、どう、して腕なんか……」
「だって婚約者なら腕ぐらいは組めないとって思ったから……」
「それならそうと、先に言ってくれないと。こ、心の準備が……」
言い淀むアランの姿を見て、サッと血の気が引いた。
アランが優しいから私、勘違いしてた。相手の気持ちも考えずに一人で突っ走っちゃって!
「ご、ごめんなさいっ! 練習とはいえ突然腕を組まれたら嫌、よね?」
慌てて腕を解こうとすると、アランが腕を組んでない方の手で、抜こうとしていた私の腕を押さえた。激しく首を横に振りながら、切羽詰まったような声色で叫ぶ。
「嫌じゃない! 全然嫌じゃないんだっ! 突然でびっくりしただけで……本当に嫌じゃないからっ!」
「本当に? 無理してない?」
「無理してないよ。それにエヴァのいうとおり、婚約者なら腕ぐらい自然と組めないとね。だからしばらくこのままでいて?」
「そ、それなら……」
私は腕を抜こうとしていた力を抜いた。それを感じたのか、私の腕を逃がすまいとしていた彼の力も抜ける。
私たちは腕を組んだまま、黙ってその場に立ち続けた。
きっと第三者が見たら、腕を組んだ私たちが顔を合わせずに突っ立っている、という不思議な光景に困惑するだろう。
いざ勇気を出して彼と腕を組んでみたけれど、私も意識を保つことに一杯一杯すぎて何かができるわけじゃない。
だけど、恥ずかしさの中にある達成感が私を高揚させる。
フォレスティ王国に来る途中の馬車で、彼の上着の裾に触れるだけで精一杯だった私から飛躍的に成長したはず。
「こんなことまで引き受けてくれて……本当にありがとう、アラン」
私の呟きのような小さな声は、ちゃんと彼の耳に届いたようだ。青い瞳が少し見開かれこちらを向く。
いつも優しく穏やかな光を湛える瞳を見つめ返しながら、私は微笑んだ。
「これから……二人で頑張ろうね?」
リズリー殿下やマルティにバレないように、頑張って婚約者の練習をしようね。
絡めた腕に力を込め、頭を彼の肩に乗せた次の瞬間、アランの身体が何故か膝から崩れ落ちた。
左手を地面につけ、右手で口元を覆いながら、何故か時折小刻みに震えている。
「ど、どうしたの、アラン⁉」
「……もう頑張れない」
「え? えええええ⁉」
「ご、ごめん……今日は、ここまでにしよう……これ以上続けたら……色々とヤバい」
何がヤバいの⁉
や、やっぱり嫌なのを無理していたの⁉
死にそうなくらい憔悴したアランだったけれど、頬や耳たぶは何故か真っ赤に染まっていた。
少し躊躇いがちな声が、私の意識を今へと連れ戻す。
声につられて顔を上げると、アランがこちらに向かって手を差し出していた。
そ、そうよね。
婚約者なら、手ぐらい自然に繋げて当然……よね?
私は小さく頷くと、おずおずとアランに向かって手を伸ばした。
ドキドキが指先にまで伝わってくる。
次の瞬間、私の手が彼の温もりに包まれた。
ギュッと握られると、心の奥まで握られたみたいに息苦しくなる。
今まで何度か手を繋いだけれど、やっぱり慣れない。肌が触れあい、お互いの体温を伝え合っているのだと思うと、恥ずかしくて堪らなくなると同時に、ときめく私の気持ちも伝わってしまわないか心配になる。
アランの顔が直視できない。
「エヴァ、少し肩の力を抜こう?」
「ええっ⁉ そ、そう⁉」
「もうガッチガチだよ? ヌークルバ関所でルドルフと手を繋いでいた時は、全然自然だったのになぁ……なんか俺、エヴァを緊張させるようなことしてる?」
「そ、そ、そんなこと、ないわっ!」
あなたの存在自体が原因なんですけど、なにか? とは、さすがに言えない。
アランの手が離れた。遠ざかる温もりが名残惜しくて、手の中に残るアランの温かさを噛みしめるように右手を握る。
彼の内心を探るように視線を向けると、アランは双眸を閉じ、少し考える素振りを見せていた。手を握るだけで緊張する私に困っているみたい。
「……ご、ごめんなさい。私のせいで、このままじゃ婚約者のフリをしてもバレちゃうね」
「謝らないで? でも……少し荒療治が必要かもね」
え、荒療治?
どういうこ――
と思った瞬間、私の両肩が重くなり、アランの顔が視界いっぱいに入ってきた。
どうやら立ち上がったアランが私の両肩に手を置き、かなりの近距離でこちらの顔を覗きこんでいるみたい。
突然の大好きな人の急接近に、息が止まる。
だけどアランの動きは、それだけじゃなかった。
肩に置かれた両手が首筋をなぞりながら上がり、私の頬に触れたのだ。そして手のひら全体で頬を包み込むと、そのままアランの方に顔を上げさせられてしまった。
息がかかりそうなほど顔を寄せている彼の瞳と、視線が絡み合う。
下手すれば、鼻先が当たってしまうほど近い。
この体勢ってもしかして――
私は咄嗟に目を閉じた。
目の前が暗闇になると、余計に自分の身体の状況が伝わってくる。いつになく早い心音が、胸を伝って脳に響く。スカートの上で握った両手は汗を掻き、全身は手を握った以上に強張っていた。
極度の緊張状態にありながらも、混乱で頭が真っ白になりながらも、身体はジッとその時がくるのを待っていた。
唇に、彼の温もりが触れるその瞬間を。
しばらくの間の後、深いため息が聞こえた。頬に触れていた手が離れると同時に、彼の気配が遠ざかっていく。
私が目を開けた時には、アランは元の席に座っていた。どこか疲れたような表情をしていたけれど、私の視線に気付くと取り繕うように笑った。
「突然ごめん。でもお互い、普段近づかない距離まで近づいたんだ。なら、この距離で手を握るなんて楽勝になるんじゃないかな?」
「……え?」
つまり手を握ること以上に刺激的なことを私にすることで、手を握るハードルを下げようとしたってこと?
荒療治って、このことだったのね!
彼にキスされるかもって期待――いえ、驚いて固まっていた自分が凄く恥ずかしくて堪らない。
アランは婚約者の練習をしていただけなのに、き、キスされるかも、だなんてふしだらなことばっかり考えてっ‼
どれだけ自意識過剰なの、私!
こんな気持ち、バレたら絶対に引かれちゃうっ!
「さ、俺の手を握ってみて?」
不真面目な私とは違い、婚約者の練習を続ける真面目なアランが、先ほどと同じように手を差し出した。それを躊躇無く握る私。
まあ、手を繋ぐハードルが下がったというよりも、自己嫌悪が強すぎて羞恥を越えているからなのだけれど。
だけど繋がった手を見つめるアランの瞳は、どこか満足そうだった。
下心満載な不浄な私には、純粋な気持ちで練習に付き合ってくれるアランの微笑みが清すぎる。
このまま浄化されて消滅してしまいそう。
アランは、何でいつもこんなに平然としてるのだろう。
私はフリだとはいえ、あなたと手を繋ぐだけでも平常心を保てないのに。
何だか悔しくなってきた。
私だって、アランに気持ちを伝えられるように頑張るって決めたんだもの。
確かに今は婚約者のフリをする練習だけれど、これを利用しない手はない。
もっと恋にずるくなるのよ、私!
「アラン、そこに立ってくれない?」
「え?」
「いいから、立って」
腑に落ちない表情を浮かべながらも、アランは私の指示に従い、テーブルから少し離れた場所に立った。
これでいい? と言わんばかりに小首を傾げて私を見ている。
今からすることを思うと、心臓が口から飛び出そうになる。
この一瞬で、百回ぐらい『止めよう』という単語が脳裏をよぎったけれど、グッと鳩尾に力を込めて弱気な言葉を振り払う。
もう彼の服の端っこを気付かれずに触るだけな私は卒業しないと!
勇気を出すのよ、エヴァ‼
私は立ち上がり、彼の横で立ち止まると手を伸ばした。
そして――
「え、エヴァ⁉」
アランの驚きの声を無視し、自分の両腕を彼の腕に絡めた。
自分の身体ができるだけ密着するように強く。
彼の腕は私の二の腕みたいに柔らかくはない。一件、細身に見えるのに、伝わってくるのは私やマリアにはない筋肉の硬さだ。
分かっていても、優しい彼だって男性なのだと改めて意識してしまう。今まで、この両腕でたくさん助けて貰ってきたのだと思うとなおさら。
アランはというと先ほどまで余裕が一変、激しい動揺を見せていた。瞬きを多くしながら、私の顔と絡みついた腕を交互に見ている。
「え、エヴァ、どう、して腕なんか……」
「だって婚約者なら腕ぐらいは組めないとって思ったから……」
「それならそうと、先に言ってくれないと。こ、心の準備が……」
言い淀むアランの姿を見て、サッと血の気が引いた。
アランが優しいから私、勘違いしてた。相手の気持ちも考えずに一人で突っ走っちゃって!
「ご、ごめんなさいっ! 練習とはいえ突然腕を組まれたら嫌、よね?」
慌てて腕を解こうとすると、アランが腕を組んでない方の手で、抜こうとしていた私の腕を押さえた。激しく首を横に振りながら、切羽詰まったような声色で叫ぶ。
「嫌じゃない! 全然嫌じゃないんだっ! 突然でびっくりしただけで……本当に嫌じゃないからっ!」
「本当に? 無理してない?」
「無理してないよ。それにエヴァのいうとおり、婚約者なら腕ぐらい自然と組めないとね。だからしばらくこのままでいて?」
「そ、それなら……」
私は腕を抜こうとしていた力を抜いた。それを感じたのか、私の腕を逃がすまいとしていた彼の力も抜ける。
私たちは腕を組んだまま、黙ってその場に立ち続けた。
きっと第三者が見たら、腕を組んだ私たちが顔を合わせずに突っ立っている、という不思議な光景に困惑するだろう。
いざ勇気を出して彼と腕を組んでみたけれど、私も意識を保つことに一杯一杯すぎて何かができるわけじゃない。
だけど、恥ずかしさの中にある達成感が私を高揚させる。
フォレスティ王国に来る途中の馬車で、彼の上着の裾に触れるだけで精一杯だった私から飛躍的に成長したはず。
「こんなことまで引き受けてくれて……本当にありがとう、アラン」
私の呟きのような小さな声は、ちゃんと彼の耳に届いたようだ。青い瞳が少し見開かれこちらを向く。
いつも優しく穏やかな光を湛える瞳を見つめ返しながら、私は微笑んだ。
「これから……二人で頑張ろうね?」
リズリー殿下やマルティにバレないように、頑張って婚約者の練習をしようね。
絡めた腕に力を込め、頭を彼の肩に乗せた次の瞬間、アランの身体が何故か膝から崩れ落ちた。
左手を地面につけ、右手で口元を覆いながら、何故か時折小刻みに震えている。
「ど、どうしたの、アラン⁉」
「……もう頑張れない」
「え? えええええ⁉」
「ご、ごめん……今日は、ここまでにしよう……これ以上続けたら……色々とヤバい」
何がヤバいの⁉
や、やっぱり嫌なのを無理していたの⁉
死にそうなくらい憔悴したアランだったけれど、頬や耳たぶは何故か真っ赤に染まっていた。