精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第70話 義妹との再会
リズリー殿下との話し合いは終わった。
後からやってきた疲労感が、彼との話し合いの負担を言葉無く伝えてくる。アランがそばにいてくれたとはいえ、かなり消耗してしまったみたい。
とはいえ、言いたいこと、こちらの要求はすべて伝えられた今、私の気持ちは若干すっきりしていた。
(できれば少し休みたいところだけれど……そうも行かないみたいね)
視界の端に映った侍女――侍女に変装したマリアを見て、心の中でため息をつく。
彼女は今、マルティを監視するため、侍女に変装している。
茶色の髪を目立たないように黒く染め、いつもと違う化粧をしているだけで、これだけ変われるのかと関心してしまうほど、マリアの面影はない。
マルティも、まさか自分の世話をしてくれている侍女が、クロージック家で十年間働いていた給仕係だとは、思いもしないだろう。
私に気づき駆け寄ってきたマリアの顔が、みるみるうちにこちらを気遣う心配そうな表情へと変わる。
「エヴァちゃん! 話し合いは終わったの?」
「ええ、ついさっき終わったわ」
「それは良かったけれど……大丈夫? あの馬鹿王子に、酷いことを言われたりされたりしてない?」
馬鹿王子って……リズリー殿下のことよね?
何というか、正直過ぎる表現というか、ストレート過ぎるというか……
「心配してくれてありがとう、マリア。大丈夫よ。何もされていないし、酷いことも言われてないわ」
まあリズリー殿下の気を引きたいから私がアランと婚約した、という脳内妄想を聞かされた、という意味では、酷いことを言われた感があるけれど。
でも、
「アランがずっとそばにいてくれたから……」
ずっとそばで手を握ってくれていたアランの温もりが、じんわりと蘇る。
私の頬に、微かに触れた唇の感覚も。
マリアの瞳が軽く見開き、すぐに細められた。ふふっという笑い声が、私の耳の奥をくすぐる。
「とにかく、エヴァちゃんが無事で良かったわ。だけどその言葉は、私にじゃなく、アラン様に直接伝えてあげてね?」
「もちろん、全てが終わったらアランにもちゃんとお礼を言うわ」
「……うーん……そういうことじゃないんだけどなぁ……」
納得がいかない様子のマリアだったけれど、まあいいわ、と小さく呟くと表情を改めた。
それを見て、何故彼女が私を迎えにやってきたかを察する。
「疲れているところ、本当に申し訳ないわ、エヴァちゃん。だけど……」
「分かってるわ。マルティが私を呼んでいるのね?」
「私がエヴァちゃんとアラン様が婚約しているって話した瞬間、もの凄い剣幕で怒鳴ってきたわ」
「……ごめんなさい、マリア。怒鳴られて、気分悪かったでしょう?」
「大丈夫よ。あの我が儘お嬢様に怒鳴られるなんて、クロージック家では日常茶飯事だったし」
笑いながら、マリアは手をヒラヒラと振った。
言葉と表情に、無理をしている様子は窺えない。
ホッと胸をなで下ろすと、歩きながら、マルティの様子や、彼女に渡した情報について教えて貰った。
どうやら、他国の城に招待されているにも関わらず、あの子の横柄な態度は変わらないらしい。ちょっとしたことで怒り、文句を言い、フォレスティ城の人たちを困らせているのだとか。
他国の城に滞在しているというのに、徹底して変わらないマルティの態度には、呆れを越えて関心すらしてしまう。
そうしている間に、私たちはマルティが待つ応接室に辿り着いた。
マリアがドアをノックし、私の到着を告げると、
「お姉さま、遅すぎよ! ただでさえ、長旅で疲れている私を待たせるなんて、どういうこと⁉」
懐かしい金切り声が部屋に響き渡った。
少し時間が経って落ち着いたのか、マリアが言っていたほどの怒りは今のところ収まっているみたい。
ヘーゼルの瞳に私との再会の喜びは微塵も無く、ただ不機嫌そうに細められており、呼びつけた相手が来たというのに、ソファーから立ち上がりもしなかった。
しかし、部屋に入ってきた私の全身を視界に入れた瞬間、彼女の両眉が大きく上に動く。
目を瞬き、僅かに焦った様子を見せた。
「え……あ、あなたは、エヴァお姉さま、なの?」
どうやら、一瞬私が分からなかったみたい。
焦った様子を見せたのはきっと、姉ではない相手に金切り声をあげたため、まずいと思ったからだろう。
彼女の言葉を、ニッコリ笑って肯定する。
「たった百日ほどで、ずっと一緒に暮らしていた姉の顔も見忘れるなんて悲しいわね、マルティ?」
「そ、そういうわけではありませんけど……お、思った以上にお元気そうでしたから……」
少し動揺した様子のマルティの視線が、私の頭のてっぺんからつま先の先まで何度も行き来している。
彼女のことだから、フォレスティ王国での私の暮らしが悲惨なものであり、惨めな格好をした私が現れるとでも予想していたのかしら。
でもご愁傷様ね。
惨めな格好どころか、今日はフォレスティ城の侍女の皆さんの力作だから。
「ところで……お姉さま? せっかく再会できたのですから、二人っきりでお話したいのですが、よろしいですよね?」
有無も言わせぬ威圧感を声色に含めながら、ヘーゼルの瞳が、私の後ろに控えていたマリアを睨みつけた。
振り返ると、マリアはマルティの視線を受けて、怯えたように顔を強張らせている。
気弱で無害な侍女だと印象付けるための演技だと分かっていても、本当にマリアなのかと疑ってしまうほど、別人に思えてしまうから凄い。
「分かったわ、マルティ。あなたもありがとう。後のことは私がするから、下がって貰えるかしら?」
「よ、よろしいのですか、エヴァ様。せめてお茶の準備だけでも……」
「必要ないわ。お茶ならここにあるもの」
マリアと私の会話に、マルティが割り込んできた。
彼女の言うとおり、私が座るであろう場所のテーブルの上に、お茶が入ったティーカップが置かれていた。湯気は立っていなかった。
それを見たマリアが、小さく声を上げる。
「そ、そのお茶は、先ほど私がお茶の温度の注意を受けた……」
「何か文句があるの?」
「い、いいえ……」
ギロリと睨まれ、マリアは口をつぐむと益々縮こまった。
湯気の立っていないティーカップと、マリアの言葉だけで、このお茶が一体どういった経緯でここにあるのか、そして何故マルティがこれを用意したのか、何となく察することができた。
私など、失敗作のお茶でも飲んでいなさいってことなのだろう。
安心させるように、マリアに向かって微笑んでみせる。
「私は大丈夫よ。だからあなたは、自分のお仕事に戻って?」
「は、はい……かしこまりました、エヴァ様」
マリアは私とマルティに頭を下げると、退室していった。
その瞳に、私への心配を浮かべながら。
部屋のドアが閉じると同時に、マルティの表情が、クロージック家で常に私を見せていた侮蔑に歪む。
もう誰も部屋にいないから、本性を出したのね。
心が、ギュッと萎縮する。
だけど、
(心の自由や誇りは、誰にも変えられない、誰にも奪えない、唯一のもの。だから大丈夫)
かつて私に強さを与えてくれたアランの言葉を胸に、マルティの前に座ると、彼女の視線を真っ直ぐに受け止めた。
後からやってきた疲労感が、彼との話し合いの負担を言葉無く伝えてくる。アランがそばにいてくれたとはいえ、かなり消耗してしまったみたい。
とはいえ、言いたいこと、こちらの要求はすべて伝えられた今、私の気持ちは若干すっきりしていた。
(できれば少し休みたいところだけれど……そうも行かないみたいね)
視界の端に映った侍女――侍女に変装したマリアを見て、心の中でため息をつく。
彼女は今、マルティを監視するため、侍女に変装している。
茶色の髪を目立たないように黒く染め、いつもと違う化粧をしているだけで、これだけ変われるのかと関心してしまうほど、マリアの面影はない。
マルティも、まさか自分の世話をしてくれている侍女が、クロージック家で十年間働いていた給仕係だとは、思いもしないだろう。
私に気づき駆け寄ってきたマリアの顔が、みるみるうちにこちらを気遣う心配そうな表情へと変わる。
「エヴァちゃん! 話し合いは終わったの?」
「ええ、ついさっき終わったわ」
「それは良かったけれど……大丈夫? あの馬鹿王子に、酷いことを言われたりされたりしてない?」
馬鹿王子って……リズリー殿下のことよね?
何というか、正直過ぎる表現というか、ストレート過ぎるというか……
「心配してくれてありがとう、マリア。大丈夫よ。何もされていないし、酷いことも言われてないわ」
まあリズリー殿下の気を引きたいから私がアランと婚約した、という脳内妄想を聞かされた、という意味では、酷いことを言われた感があるけれど。
でも、
「アランがずっとそばにいてくれたから……」
ずっとそばで手を握ってくれていたアランの温もりが、じんわりと蘇る。
私の頬に、微かに触れた唇の感覚も。
マリアの瞳が軽く見開き、すぐに細められた。ふふっという笑い声が、私の耳の奥をくすぐる。
「とにかく、エヴァちゃんが無事で良かったわ。だけどその言葉は、私にじゃなく、アラン様に直接伝えてあげてね?」
「もちろん、全てが終わったらアランにもちゃんとお礼を言うわ」
「……うーん……そういうことじゃないんだけどなぁ……」
納得がいかない様子のマリアだったけれど、まあいいわ、と小さく呟くと表情を改めた。
それを見て、何故彼女が私を迎えにやってきたかを察する。
「疲れているところ、本当に申し訳ないわ、エヴァちゃん。だけど……」
「分かってるわ。マルティが私を呼んでいるのね?」
「私がエヴァちゃんとアラン様が婚約しているって話した瞬間、もの凄い剣幕で怒鳴ってきたわ」
「……ごめんなさい、マリア。怒鳴られて、気分悪かったでしょう?」
「大丈夫よ。あの我が儘お嬢様に怒鳴られるなんて、クロージック家では日常茶飯事だったし」
笑いながら、マリアは手をヒラヒラと振った。
言葉と表情に、無理をしている様子は窺えない。
ホッと胸をなで下ろすと、歩きながら、マルティの様子や、彼女に渡した情報について教えて貰った。
どうやら、他国の城に招待されているにも関わらず、あの子の横柄な態度は変わらないらしい。ちょっとしたことで怒り、文句を言い、フォレスティ城の人たちを困らせているのだとか。
他国の城に滞在しているというのに、徹底して変わらないマルティの態度には、呆れを越えて関心すらしてしまう。
そうしている間に、私たちはマルティが待つ応接室に辿り着いた。
マリアがドアをノックし、私の到着を告げると、
「お姉さま、遅すぎよ! ただでさえ、長旅で疲れている私を待たせるなんて、どういうこと⁉」
懐かしい金切り声が部屋に響き渡った。
少し時間が経って落ち着いたのか、マリアが言っていたほどの怒りは今のところ収まっているみたい。
ヘーゼルの瞳に私との再会の喜びは微塵も無く、ただ不機嫌そうに細められており、呼びつけた相手が来たというのに、ソファーから立ち上がりもしなかった。
しかし、部屋に入ってきた私の全身を視界に入れた瞬間、彼女の両眉が大きく上に動く。
目を瞬き、僅かに焦った様子を見せた。
「え……あ、あなたは、エヴァお姉さま、なの?」
どうやら、一瞬私が分からなかったみたい。
焦った様子を見せたのはきっと、姉ではない相手に金切り声をあげたため、まずいと思ったからだろう。
彼女の言葉を、ニッコリ笑って肯定する。
「たった百日ほどで、ずっと一緒に暮らしていた姉の顔も見忘れるなんて悲しいわね、マルティ?」
「そ、そういうわけではありませんけど……お、思った以上にお元気そうでしたから……」
少し動揺した様子のマルティの視線が、私の頭のてっぺんからつま先の先まで何度も行き来している。
彼女のことだから、フォレスティ王国での私の暮らしが悲惨なものであり、惨めな格好をした私が現れるとでも予想していたのかしら。
でもご愁傷様ね。
惨めな格好どころか、今日はフォレスティ城の侍女の皆さんの力作だから。
「ところで……お姉さま? せっかく再会できたのですから、二人っきりでお話したいのですが、よろしいですよね?」
有無も言わせぬ威圧感を声色に含めながら、ヘーゼルの瞳が、私の後ろに控えていたマリアを睨みつけた。
振り返ると、マリアはマルティの視線を受けて、怯えたように顔を強張らせている。
気弱で無害な侍女だと印象付けるための演技だと分かっていても、本当にマリアなのかと疑ってしまうほど、別人に思えてしまうから凄い。
「分かったわ、マルティ。あなたもありがとう。後のことは私がするから、下がって貰えるかしら?」
「よ、よろしいのですか、エヴァ様。せめてお茶の準備だけでも……」
「必要ないわ。お茶ならここにあるもの」
マリアと私の会話に、マルティが割り込んできた。
彼女の言うとおり、私が座るであろう場所のテーブルの上に、お茶が入ったティーカップが置かれていた。湯気は立っていなかった。
それを見たマリアが、小さく声を上げる。
「そ、そのお茶は、先ほど私がお茶の温度の注意を受けた……」
「何か文句があるの?」
「い、いいえ……」
ギロリと睨まれ、マリアは口をつぐむと益々縮こまった。
湯気の立っていないティーカップと、マリアの言葉だけで、このお茶が一体どういった経緯でここにあるのか、そして何故マルティがこれを用意したのか、何となく察することができた。
私など、失敗作のお茶でも飲んでいなさいってことなのだろう。
安心させるように、マリアに向かって微笑んでみせる。
「私は大丈夫よ。だからあなたは、自分のお仕事に戻って?」
「は、はい……かしこまりました、エヴァ様」
マリアは私とマルティに頭を下げると、退室していった。
その瞳に、私への心配を浮かべながら。
部屋のドアが閉じると同時に、マルティの表情が、クロージック家で常に私を見せていた侮蔑に歪む。
もう誰も部屋にいないから、本性を出したのね。
心が、ギュッと萎縮する。
だけど、
(心の自由や誇りは、誰にも変えられない、誰にも奪えない、唯一のもの。だから大丈夫)
かつて私に強さを与えてくれたアランの言葉を胸に、マルティの前に座ると、彼女の視線を真っ直ぐに受け止めた。