精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第69話 マルティの計算(別視点)
「何なの、このお茶の温度は! 私は、熱々のお茶が好きなの。すぐに入れ直しなさいっ!」
「は、はいっ! 申し訳ございません……」
おずおずと頭を下げるフォレスティ王国の侍女を一瞥すると、マルティは鼻を鳴らし、ソファーの背もたれに体重を預けた。
自分付きの侍女ならこんな失態はしないのに、とお茶を入れ替えている侍女の前で堂々と不満を零すと、通された応接室を不躾に見回す。
部屋はそれほど広くはないが、数人で寛ぐには充分な広さだ。
今座っているソファーもテーブルも高級品だし、部屋を彩る調度品も価値がありそうな物ばかり。
(王都に来てから城に入るまでも思ったけれど、フォレスティ王国はバルバーリ王国よりも発展した国なのね)
今までバルバーリ王国を出たことのないマルティにとって、フォレスティ王国は田舎くさい辺鄙な国だと思っていた。
歴史的に、バルバーリ王国から決別した人間たちが興した国でもあるし、道具である精霊を敬っているような人間たちが暮らす国など、精霊を支配するバルバーリ王国の足下にも及ばないと見下していたのだ。
しかし実際訪れたフォレスティ王国は、祖国よりも豊かで発展した国だった。
現在バルバーリ王国で問題になっている水不足も、ここ王都エストレアには無縁の話。
王都の至る所に造られた水路にはたっぷりの水が流れており、それを見たリズリーの表情が悔しそうに歪んでいたのを思い出す。
正直、エヴァがいなくなったことで簡単に衰退に向かっているバルバーリ王国よりも、将来性がある。
(それに、アラン王弟殿下はあんなに素敵な男性だし)
先ほど出会ったこの国の王弟――アランの姿を思い出すと、口元の緩みが抑えられなくなる。
現在の婚約者であるリズリーも非常に整った容姿をしているが、マルティの男性の好みは、リズリーよりもアランに軍配が上がっていた。
それに最近のリズリーには不満もある。
精霊魔法が使えなくなり、国がおかしくなってきてから、マルティが望む物を以前のように与えてくれなくなったし、メルトア前王妃が帰って来てからは、ずっと翻弄されっぱなしだ。
挙げ句の果てには、王太子自らエヴァを迎えに行けと命令され、ホイホイ従う始末。
メルトアはマルティを貶した相手だ。
そんな相手からの命令に従う婚約者に、怒りと頼りなさを感じていた矢先、現れたのがアランだった。
自分の美しさに誰もが息を飲み瞬きすら忘れるのに、彼は顔色一つ変えなかった。
美しさを賞賛されることが常だと思っているマルティにとって、アランの反応は逆に新鮮だったのだ。
同時に、彼から向けられた涼やかな視線を、どうすれば蕩けるような甘いものに変えられるか、闘争心すら沸いてくる。
とはいえ、この自分を見て美しいと思わない男などいない。
きっと彼も表面上は冷静を装いつつも、内心は穏やかではなかったはずだ。
アランとリズリーの話し合いの場に同席出来ない立場だというのに、個人的に会う約束を取り付けることができたのは、彼が自分に興味を抱いているからに他ならない。
(もしかすると先ほどアラン殿下と出会えたのは、運命かもしれないわ)
うっとりしながら、お茶を入れ直した侍女に声をかけた。
「ねえ、あなた。この国の前国王様には、三人の御子がいらっしゃるのよね? 一番上の御子は、現在の国王様でいらっしゃるけれど、他のお二人は何をしていらっしゃるのかしら?」
「第二王子ノーチェ殿下は、フォレスティ王国の精霊魔法の発展のため、現在、他国で精霊魔法を研究なさっています。第三王子アラン殿下も、他国に渡っておられましたが、最近戻ってこられました。恐らく陛下から爵位を賜り、領地を治めることになるのではないかと」
「そうなのね。ちなみに、陛下に御子はいらっしゃるの?」
「はい。少し前に、オルジュ姫殿下がお生まれになりました」
(姫殿下……ということは、女ね)
確かフォレスティ王国の王位継承権は、バルバーリ王国と同じく男児にしかなかったはず。となると、第二王子であるノーチェが王位継承権第一位、そして第三王子であるアランが第二位というところか。
国王にはまだ、王位継承権をもつ子どもがいない。
王位継承権第一位であろう第二王子は、他国にいる。
(……アラン様が王位を継ぐ可能性は、充分にあるわね)
あらゆる点で劣った姉がリズリーと結婚し、自分よりも高い地位に君臨するなど許せなかった。
そのために彼を誘惑し、奪い、エヴァを国外に追い出すことに成功した。
もう少しで、王太子妃――未来の王妃という座を得て、豪華絢爛な生活ができると思っていた矢先、降りかかったバルバーリ王国の危機。
フォレスティ王国の発展を見た今、沈みかけた船となった祖国の王族に嫁いで本当にいいのか、自分も巻き込まれて沈むのではないかと、不安がよぎる。
それに、あの発言権の強いメルトアのことだ。
連れ戻したエヴァを、何としてでもリズリーと結婚させる可能性は大いにある。
ならば自分の立場はどうなるのだろうか。
(まさか私を側室に? ……あの無能よりも格下だなんて、冗談じゃないわ)
浮かんできた可能性に、奥歯を噛みしめる。
祖国とともに滅ぶのも、側室になるのも、ごめんだ。
エヴァを確保できたとしても、恐らくすぐにはバルバーリ王国に戻らないだろう。
帰りの準備もあるし、長旅の疲れを癒やすために数日はこの城に留まるはず。
ならば、帰るまでに何度かアランと会う機会を設け、リズリーと同じように誘惑し、自分の虜すればいい。
万が一、自分の立場が危うくなったときの、逃げ道として。
「ちなみに、アラン殿下にはもう決まったお相手がいるのかしら?」
マルティが尋ねると、侍女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「はい。先日、国王の賓客としてこの城に滞在されている女性と、婚約を発表されたのです」
「国王の賓客?」
「何でも、バルバーリ王国からやってこられたご令嬢だとか。アラン殿下と仲睦まじく、本当にお似合いのお二人だと噂になっております」
「バルバーリ王国の……令嬢?」
嫌な予感がする。
そんなわけがない、と心の中で思いつつも、湧き上がる疑念を振り払うことができない。
「それで、その婚約者のお名前は?」
今までの高く媚びた声ではなく、今の自分の気持ちが滲み出た暗い声色で侍女に質問すると、侍女は屈託のない笑顔を浮かべ、その名を口にした。
「クロージック公爵家のご令嬢でいらっしゃる、エヴァ・フォン・クロージック様です」
次の瞬間、マルティの頭の中が怒りで真っ白になった。
ダンッと大きな音を立てて立ち上がると、音に驚いた侍女に向かって、金切り声をあげる。
「ど、どういうことなの⁉ 今すぐ、お姉さまをここに連れてきてっ‼」
「し、しかし……エヴァ様は今、お話し合い中で……」
「言い訳は聞かないわっ! さっさと行きなさいっ‼ 連れてくるまで、ここに戻ってくることは許さないわっ‼」
怒鳴りつけると、侍女は怯えた表情を浮かべながら慌てて部屋から出て行った。
(お姉さまが、アラン殿下と婚約を結んだなんて……)
一人残ったマルティはソファーに座ると、形が整えられた親指の爪を噛んだ。
婚約破棄の場となった夜会で、満面の笑みを浮かべて立ち去った義姉の姿が思い出され、唇を噛みしめる。
「……あの無能が、私よりも幸せになるなんて……絶対に許さないわっ‼」
義姉への憎しみを叫ぶマルティの声が、部屋に響き渡る。
それを先ほど出ていった侍女――侍女に扮して監視していたマリアが、
「はぁ……相変わらずあのお嬢様は、何でも自分の思い通りになると思っているのね。エヴァちゃんとアラン様の仲に割り込もうだなんて、来世を懸けても無駄だってのに」
と、呆れたようにため息をついて聞いていたなど、マルティには知るよしもなかった。
「……まあその思い上がりも、今日で最後だろうけど」
と楽しそうに呟いていたことも。
「は、はいっ! 申し訳ございません……」
おずおずと頭を下げるフォレスティ王国の侍女を一瞥すると、マルティは鼻を鳴らし、ソファーの背もたれに体重を預けた。
自分付きの侍女ならこんな失態はしないのに、とお茶を入れ替えている侍女の前で堂々と不満を零すと、通された応接室を不躾に見回す。
部屋はそれほど広くはないが、数人で寛ぐには充分な広さだ。
今座っているソファーもテーブルも高級品だし、部屋を彩る調度品も価値がありそうな物ばかり。
(王都に来てから城に入るまでも思ったけれど、フォレスティ王国はバルバーリ王国よりも発展した国なのね)
今までバルバーリ王国を出たことのないマルティにとって、フォレスティ王国は田舎くさい辺鄙な国だと思っていた。
歴史的に、バルバーリ王国から決別した人間たちが興した国でもあるし、道具である精霊を敬っているような人間たちが暮らす国など、精霊を支配するバルバーリ王国の足下にも及ばないと見下していたのだ。
しかし実際訪れたフォレスティ王国は、祖国よりも豊かで発展した国だった。
現在バルバーリ王国で問題になっている水不足も、ここ王都エストレアには無縁の話。
王都の至る所に造られた水路にはたっぷりの水が流れており、それを見たリズリーの表情が悔しそうに歪んでいたのを思い出す。
正直、エヴァがいなくなったことで簡単に衰退に向かっているバルバーリ王国よりも、将来性がある。
(それに、アラン王弟殿下はあんなに素敵な男性だし)
先ほど出会ったこの国の王弟――アランの姿を思い出すと、口元の緩みが抑えられなくなる。
現在の婚約者であるリズリーも非常に整った容姿をしているが、マルティの男性の好みは、リズリーよりもアランに軍配が上がっていた。
それに最近のリズリーには不満もある。
精霊魔法が使えなくなり、国がおかしくなってきてから、マルティが望む物を以前のように与えてくれなくなったし、メルトア前王妃が帰って来てからは、ずっと翻弄されっぱなしだ。
挙げ句の果てには、王太子自らエヴァを迎えに行けと命令され、ホイホイ従う始末。
メルトアはマルティを貶した相手だ。
そんな相手からの命令に従う婚約者に、怒りと頼りなさを感じていた矢先、現れたのがアランだった。
自分の美しさに誰もが息を飲み瞬きすら忘れるのに、彼は顔色一つ変えなかった。
美しさを賞賛されることが常だと思っているマルティにとって、アランの反応は逆に新鮮だったのだ。
同時に、彼から向けられた涼やかな視線を、どうすれば蕩けるような甘いものに変えられるか、闘争心すら沸いてくる。
とはいえ、この自分を見て美しいと思わない男などいない。
きっと彼も表面上は冷静を装いつつも、内心は穏やかではなかったはずだ。
アランとリズリーの話し合いの場に同席出来ない立場だというのに、個人的に会う約束を取り付けることができたのは、彼が自分に興味を抱いているからに他ならない。
(もしかすると先ほどアラン殿下と出会えたのは、運命かもしれないわ)
うっとりしながら、お茶を入れ直した侍女に声をかけた。
「ねえ、あなた。この国の前国王様には、三人の御子がいらっしゃるのよね? 一番上の御子は、現在の国王様でいらっしゃるけれど、他のお二人は何をしていらっしゃるのかしら?」
「第二王子ノーチェ殿下は、フォレスティ王国の精霊魔法の発展のため、現在、他国で精霊魔法を研究なさっています。第三王子アラン殿下も、他国に渡っておられましたが、最近戻ってこられました。恐らく陛下から爵位を賜り、領地を治めることになるのではないかと」
「そうなのね。ちなみに、陛下に御子はいらっしゃるの?」
「はい。少し前に、オルジュ姫殿下がお生まれになりました」
(姫殿下……ということは、女ね)
確かフォレスティ王国の王位継承権は、バルバーリ王国と同じく男児にしかなかったはず。となると、第二王子であるノーチェが王位継承権第一位、そして第三王子であるアランが第二位というところか。
国王にはまだ、王位継承権をもつ子どもがいない。
王位継承権第一位であろう第二王子は、他国にいる。
(……アラン様が王位を継ぐ可能性は、充分にあるわね)
あらゆる点で劣った姉がリズリーと結婚し、自分よりも高い地位に君臨するなど許せなかった。
そのために彼を誘惑し、奪い、エヴァを国外に追い出すことに成功した。
もう少しで、王太子妃――未来の王妃という座を得て、豪華絢爛な生活ができると思っていた矢先、降りかかったバルバーリ王国の危機。
フォレスティ王国の発展を見た今、沈みかけた船となった祖国の王族に嫁いで本当にいいのか、自分も巻き込まれて沈むのではないかと、不安がよぎる。
それに、あの発言権の強いメルトアのことだ。
連れ戻したエヴァを、何としてでもリズリーと結婚させる可能性は大いにある。
ならば自分の立場はどうなるのだろうか。
(まさか私を側室に? ……あの無能よりも格下だなんて、冗談じゃないわ)
浮かんできた可能性に、奥歯を噛みしめる。
祖国とともに滅ぶのも、側室になるのも、ごめんだ。
エヴァを確保できたとしても、恐らくすぐにはバルバーリ王国に戻らないだろう。
帰りの準備もあるし、長旅の疲れを癒やすために数日はこの城に留まるはず。
ならば、帰るまでに何度かアランと会う機会を設け、リズリーと同じように誘惑し、自分の虜すればいい。
万が一、自分の立場が危うくなったときの、逃げ道として。
「ちなみに、アラン殿下にはもう決まったお相手がいるのかしら?」
マルティが尋ねると、侍女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「はい。先日、国王の賓客としてこの城に滞在されている女性と、婚約を発表されたのです」
「国王の賓客?」
「何でも、バルバーリ王国からやってこられたご令嬢だとか。アラン殿下と仲睦まじく、本当にお似合いのお二人だと噂になっております」
「バルバーリ王国の……令嬢?」
嫌な予感がする。
そんなわけがない、と心の中で思いつつも、湧き上がる疑念を振り払うことができない。
「それで、その婚約者のお名前は?」
今までの高く媚びた声ではなく、今の自分の気持ちが滲み出た暗い声色で侍女に質問すると、侍女は屈託のない笑顔を浮かべ、その名を口にした。
「クロージック公爵家のご令嬢でいらっしゃる、エヴァ・フォン・クロージック様です」
次の瞬間、マルティの頭の中が怒りで真っ白になった。
ダンッと大きな音を立てて立ち上がると、音に驚いた侍女に向かって、金切り声をあげる。
「ど、どういうことなの⁉ 今すぐ、お姉さまをここに連れてきてっ‼」
「し、しかし……エヴァ様は今、お話し合い中で……」
「言い訳は聞かないわっ! さっさと行きなさいっ‼ 連れてくるまで、ここに戻ってくることは許さないわっ‼」
怒鳴りつけると、侍女は怯えた表情を浮かべながら慌てて部屋から出て行った。
(お姉さまが、アラン殿下と婚約を結んだなんて……)
一人残ったマルティはソファーに座ると、形が整えられた親指の爪を噛んだ。
婚約破棄の場となった夜会で、満面の笑みを浮かべて立ち去った義姉の姿が思い出され、唇を噛みしめる。
「……あの無能が、私よりも幸せになるなんて……絶対に許さないわっ‼」
義姉への憎しみを叫ぶマルティの声が、部屋に響き渡る。
それを先ほど出ていった侍女――侍女に扮して監視していたマリアが、
「はぁ……相変わらずあのお嬢様は、何でも自分の思い通りになると思っているのね。エヴァちゃんとアラン様の仲に割り込もうだなんて、来世を懸けても無駄だってのに」
と、呆れたようにため息をついて聞いていたなど、マルティには知るよしもなかった。
「……まあその思い上がりも、今日で最後だろうけど」
と楽しそうに呟いていたことも。