精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第73話 最後の情け

 マルティには、今まで散々苦しめられてきたけれど、これほどまでの怒りを感じたのは初めてかもしれない。

 私のことは、どれだけ貶してくれてもいい。
 だけど、

『……でも未来は分からないでしょう? 陛下やその御子、そして王位継承権第一位であるノーチェ殿下が今後どうなるかなんて……』

 あの発言だけは、許せなかった。
 私の大好きな人の――アランの家族の不幸を願うあの発言だけは、絶対に許せなかった。

 優しく接してくださったイグニス陛下とエスメラルダ妃殿下、そして愛らしいオルジュ姫殿下の姿が、脳裏をよぎる。

 ノーチェ殿下とはお会いしたことはないけれど、アランが帰ってくると聞き、遠い他国から急いで駆けつけようとされる家族想いの方だもの。陛下と同じく、国想いのお優しい方に違いない。

 マルティの手首を握った私の手が、怒りで震えている。

 全身の血が沸き立ち、頭に集中する。
 この国で私を助けてくださった大切な人たちを貶められ、悔しくて瞳の奥が熱くなる。 

 まるで物のやりとりかのような軽さで提案された、婚約者の交換も信じられなかった。

 マルティがアランを気に入り、私から奪おうと思うのは予想通りではあったけれど、まさかこんな提案を堂々としてくるとは思わなかったわ。

 バルバーリ王国の未来を担う王太子妃、やがては王妃となる立場を軽んじているとしか思えない発言に、腹が立った。
 こんなあっさり国を放り出す人間が王太子妃になるなんて、あってはならない。
 
 逆に考えれば、あれだけ執着していたリズリー殿下から、アランにあっさり乗り換えようと思うほど、今のバルバーリ王国の状況は酷いのかもしれないけれど。

 どちらにしても、リズリー殿下の婚約者であるマルティが口にしてはいけない発言には違いない。

「お、お姉さまっ! な、何故……」
「何故? ああ、薬を盛ったのに、何故眠っていないのかってこと?」

 薬、という言葉を聞き、マルティの表情が強張った。
 正直なところ、薬が盛られているという発言はカマかけだったけれど、図星だったみたいね。

 アランとマリアの予想通り――

「あなた、私が産みだしている精霊をギアスで捕らえるために、リズリー殿下に同行したのね? 私を薬で眠らせている間に、精霊を奪おうと……」

 足下に転がった銀色の筒を見つめながら問い詰めると、マルティは憎々しげに私の手を振り払い、床に落ちた霊具を拾った。

 しかし顔を上げた彼女に、霊具の持ち込みがバレた焦りは見えない。むしろ、よく分かったと言わんばかりに、得意げに口元を緩ませている。

「その通りよ。私はね、リズリー殿下からお話をお聞きする前から、お姉さまの力に薄々気付いていたのよ。あなたのそばでギアスを使うと、魔法の効果が大きい特別な霊具が作れたから」
「だから、私をいつもそばに置いていたのね? 婚約破棄された時、私をあなた付きの侍女にしようとしたのも……」
「ええ、そうよ。でも、あなたが追放を選び去ったあの日以降、私の用意していた特別な霊具が使えなくなったの。だからこうして、私自らがお姉さまの元に来て差し上げたのよ」

 どうやら、アランたちにお願いされて精霊の開放を祈った影響は、マルティの霊具にも及んでいたみたい。

 バルバーリ王国内で聖女と謳われていた力が、彼女の実力ではないと知られないために、こっそり私から精霊たちを奪いにやってきたわけね。

 マルティが霊具を握っている。
 彼女がこれから何をしようとしているか感じ取った私は、静かに警告した。

「ギアスで精霊を捕らえようとしているなら、止めなさい。フォレスティ王国では霊具を持ち込むことも、ギアスを使うことも禁止されているわ」
「ええ、リズリー殿下からお聞きしたわ。だけど私一人ぐらい問題ないでしょう? それに私が精霊を奪ったところで、フォレスティ王国が大きな不利益を被るわけじゃないのだし」
「数や不利益とか、そういう問題じゃないわっ! 霊具に閉じ込められ、消滅するまで使役される精霊たちの苦しみが……あなたには分からないの⁉」
「あはははっ‼ 精霊たちの苦しみ? なによ、それ。お姉さまは、想像力豊かなのですね?」

 お腹を抱えて笑うマルティの声が、部屋に響き渡る。
 もちろん、想像力豊かという発言は、私に対する嫌みだ。

 失念してたわ。

 バルバーリ王国の国民――いえ、ギアスを使う人間には、精霊の悲鳴が聞こえないのだって。そんな相手に、道具だと見下している精霊の苦痛を語ったところで、何一つ伝わるわけがないのに。

 これが、バルバーリ王国に住む人々の感覚だと思うと、ゾッとする。実際にギアスと霊具を捨てるとなったら……私が考えていた以上の反発と混乱が起こりそうね。

 私は、使われていない暖炉に視線を向けたあと、テーブルの上に置かれた小箱を見た。

 僅かにずれた上蓋の隙間から、中に詰まったたくさんの霊具が見えている。

「マルティ、霊具を持ち込んだことを正直に告白しましょう? 私からアラン殿下に、口添えをしてあげるわ」
「口添え、して……あげる?」
「ええ、罪を軽くしてくださいって。だってあなたは……私の妹だもの」
「私の妹……ですって?」

 瞳をつり上げながら、マルティは左手で私の編み下ろされた髪を掴みあげた。頭の地肌に痛みが走ると同時に、身体が上へと持ち上げられる。

 マルティは髪を引っ張って私を立たせると、こちらの顔を覗きこんだ。彼女の荒い鼻息が、私の前髪を揺らす。

「口の利き方に気をつけなさいっ‼ このさい言っておくけれど、お前はすでにクロージック家から勘当されて、私とは赤の他人なのよっ⁉」

 髪の毛を引っ張る力が、ますます強まった。
 マルティが普段人前で隠している嗜虐心が、私の前で姿を現す。

「霊具の持ち込みを告白しろっですって? 何様のつもりなの⁉ 二度と私に楯突かないよう躾をし直す必要があるようね? お前は黙って私に従い、その力を差し出せばいいのよ、この無能がっ‼」

 躾と称したマルティの右手が、振り下ろされる。

 クロージック家にいたときは、素直に打たれていた。頬を打たれ、倒れた身体を足蹴にされながらも、いつかは彼女が飽きて終わるだろうと耐え続けていた。

 私が反抗することで、アランたちに迷惑がかかるかもしれないと恐れていたから。

 だけど……今は違う。

 最後に情けをかけたつもりだったけど、やっぱりアランの言うとおり、全く意味はなかったわね。

 肌を打つ乾いた音とマルティの甲高い悲鳴、そして一呼吸置いて何かが床に倒れ込む音が部屋に響く。

「そう。それが……あなたの答えなのね?」

 そう告げる私の目の前には、左頬を打たれ、信じられない様子でこちらを見上げるマルティの丸い瞳があった。
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