精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第74話 ようやく悟ったのね?

 私に左頬を打たれ倒れたマルティが、呆然とした様子で見上げている。

 容赦なく叩いたため、彼女の白い頬が赤く腫れているけれど、可哀想だとか、とんでもないことをしたとかは、全く思わない。

(これは、あなたが不幸を願ったアランのご家族の分よ)

 ――こんなものじゃ、生ぬるいくらいだけど。

 ようやく私に何をされたのか理解したマルティの表情が、獣のような形相へと変わっていく。

 口の周りは、目に見えて力が入っているのが分かるほど緊張し、唇は、寒がっているのかと錯覚してしまうほど大きく震えている。

 握っていた霊具を床に叩き付けると、赤く腫れた左頬を抑えながら、ゆらりと立ち上がった。
 ヘーゼルの瞳が、カッと見開かれる。

「こ、この私に手を上げるなんてっ‼ 許さないっ、絶対に許さないわっ‼」

 今度こそわからせてやろうとばかりに、マルティの右手が大きく振りかぶった。

 だけど、それはこっちの台詞。

 あなたみたいに、霊具よりも重い物を持ったことのないような人間の筋肉が、使用人として働かされ、鍛えられた私の筋肉に敵うわけがない。

 振り下ろされる腕が、まるで止まって見えるわ。

 マルティから驚き声が発されると同時に、パンッという小気味よい音が右頬から響き渡る。
 
 振り下ろされた右手首を掴むことで平手を防ぐと、空いていた右手の甲で、彼女の右頬を思いっきり打ったのだ。
 再び、マルティの身体が床に崩れ落ちる。

 ちなみにこれは、今まで私を虐げていた分よ。

「お、おねえ……さま……?」

 両頬を真っ赤にしたマルティが、激しく目を瞬きながら固まっている。

 もう私に対する嘲笑や、加虐心は見られない。
 代わりにあるのは、未知な存在を見るかのような恐怖だ。

 見下している私から、二度も反撃を食らうなんて微塵も思っていなかったみたい。人間って、全く想像していなかったことが起こると、こんな風に動けなくなるものなのね。

「世界の根幹たる精霊を蔑視するあなたのような人間が、アラン殿下の隣に立とうなど、おこがましいにもほどがあるわ。殿下やそのご家族、あなたが守るべき祖国への無礼な発言の数々、恥を知りなさい、マルティ」
「は、恥……ですって……?」

 固まっていたマルティが、我に返った。
 きつく私を睨みつけると、素早い動きで床に転がっていた霊具を手に取る。

 精霊魔法を使うつもりか、ギアスで精霊を捕らえるつもりなのかは分からない。
 
 どちらにしても、フォレスティ王国で霊具を使わせはしないわ。

 これ以上、捕らえられた哀れな精霊も、力を奪われて苦しむ精霊も、生み出したくはないから。

 だから願う。
 偉大な精霊たちに、強く、強く――

(マルティが持っている霊具を、潰して)

 次の瞬間、

「きゃぁっ、な、何っ⁉」

 マルティが甲高い悲鳴を上げて、手の中にあった霊具を放り出した。

 床に落ちた銀色の筒が、まるで見えない手が紙を丸めているかのように、へしゃげていく。それはひとりでに形を変え、最終的に、でこぼこした球体になって床に転がった。

「な、何なの、これは……い、一体何が起こったというの⁉」

 マルティは完全に腰を抜かしていた。だけど瞳は、霊具だった物から反らせずにいる。
 しかし私が、彼女の疑問に対して黙っていたため、何かを感じ取ったのだろう。

 震えながら、ゆっくりと私の方に顔を向ける。

「お……お姉さま……何か、した?」

 私は黙って微笑むと、転がっている霊具だった物を見た。
 心の中が苦しくなる。

 基本的に、一度霊具に閉じ込められた精霊を解放する方法はない。

 私が祈っても霊具から逃れられなかった精霊たちを、これ以上苦しめないようにするには、霊具を壊し、消滅させるしか方法はない。

 この方法が、本当に正しいのかは分からない。

 だけど霊具が潰れたとき、精霊の断末魔が聞こえなかったから、使役されて消滅するよりかは苦痛を感じない――のだと信じたい。

 目頭が熱くなる。
 精霊女王の生まれ変わりであっても、なせないことがあるのだと思うと、自分の非力さを思い知らされる。

 恐れながら私の返答を待つマルティの横を通り抜けると、テーブルの上に置かれていた霊具入りの小箱を手に取った。

 これで、霊具を持ち込んだ物的証拠は確保できたわ。

 マルティを一瞥すると、彼女はヒュッと息を飲み、反射的にスカートの側面を手で押さえていた。
 それを見て確信する。

(ああ、なるほど。まだそこに、隠し持っているのね)

 今はまだ追求しないけれど。

 小箱の中を再度確認し上蓋を閉じると、極度の緊張から、浅く早い呼吸を繰り返すマルティに静かに語りかける。

「そう言えばあなたはさっき、こんなことを言ってたわね。あなたは私と違って罪人ではないし、クロージック家という後ろ盾もある。それに聖女と讃えられる優れた力もある、と。だから、自分はアラン殿下の婚約者として相応しいのだと」
「そ、それが、どうしたと、いうの……よ……?」
「いいえ、たいしたことじゃないわ。ただ、あなたが誇るそれらが、今から失われるのだと思ったら、とっても気の毒に思えて」
「失われる……? ま、まさか……」

 息を吸い込む音が聞こえるほど荒い息づかいだったマルティの呼吸が、一瞬止まる。

 次の瞬間、止まっていた息の塊が大声となって迸った。

「霊具の件を密告するつもりなの⁉ ゆ、許さないわっ! 私に逆らってどうなるか、今までの経験上分かっているはずでしょう⁉」
「……まだ自分の立場が理解できていないのね」
「えっ?」

 私の意味深な言葉に、顔を引き攣らせながらマルティが聞き返す。

 これから先、何が起こるかまだ分かっていない可哀想な義妹に向かって、ニッコリと笑いかけた。

「リズリー殿下にもお伝えしたけれど、私はバルバーリ王国には戻らないわ。ここフォレスティ王国で生きると決めた以上、あなたの脅しは無意味なのよ」

 霊具の持ち込みが私にバレても、あれだけ不敬な発言をしても、マルティが平然としていたのは、私が彼女に決して逆らわないと、不利な行動をしないと疑いもしていなかったからだ。
 
 クロージック家でしか生きる場所が無かった私にとって、義両親やマルティの命令は絶対だった。
 だけど祖国を出て、ここフォレスティ王国で生きると決めた今、彼女の命令を聞く道理はない。

 理不尽に私の自由を妨げるものは、この国にはないのだから。

 ああ、その血の気の引いた顔。
 ようやく悟ったのね?

 自分が、追い詰められる立場だと――

「あなたとの別れがこのような形になるなんて……残念だわ、マルティ」

 私の言葉が終わるのと同時に、応接室の扉が開いた。
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