精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第84話 イグニスの祈り(別視点)
「……はっ‼」
「ん? どうした、マリア?」
マルティとエヴァの会話を含めた報告書を受け取っていたイグニスが、何事かとマリアを見た。
国の主の前で、失礼な態度をとってしまったとマリアが慌てて膝をつく。
「いっ、いえ……突然肩の荷が下りたようにすっきりした気持ちになったもので……大変申し訳ございません」
「そ、そうか。まあ特に問題がないならいいが……」
謝罪しつつも、どこかホワホワしているマリアに、この子大丈夫かな? という不安を視線に混じらせながら、イグニスは手にした報告書を机の端に置いた。
そして、頭を下げたまま微動だにしないマリアを、優しく労う。
「マリアも、今日は本当にご苦労だった。バルバーリ王国からの使者の監視や、隠れながらのエヴァの護衛、二人の行動記録など、多岐に渡る仕事を充分こなしてくれたと思っている。今日はゆっくり休み、また明日からこの国のために励んで貰いたい」
「身に余るお言葉恐縮です」
マリアは再び深く頭を下げると、イグニスの言葉に従って部屋を出て行った。
ドアが閉まると同時に、イグニスは国王としての真剣な表情を緩め、大きく息をついた。
周囲は自身の手腕を評価してくれるが、まだまだ国王という重責を果たすには未熟だと考えている。
時々、心を許せる相手――彼の妻であるエスメラルダの前で、抱えきれなくなった気持ちを吐露するときもある。情けない姿をさらしていることは重々承知しているが、そんな彼の弱さを、エスメラルダは微笑みながら受け止めてくれることが、唯一の救いだ。
自分の父親も、今の自分と同じように苦しんだのだろうが、それを子どもたちの前に全く見せなかったことを思うと、頭が下がる思いだ。
椅子の向きを変えると、後ろにある大きな窓から空を見上げた。
もう辺りは真っ暗だ。闇の中で輝く無数の星を見つめながら思う。
(私は今でも……アランが王位を継ぐべきだと思っている。それが……正しい形なのだと)
アランが十歳の時、初めて家族に見せた変貌の衝撃を思い出す。
バルバーリ王国の憎しみを吐き出す弟の表情は、両親ですら戦くほどの鬼気迫る激情で満ちていた。
言葉遣いも変わっていて、自分が知っているアランとは別人だと思えるほどの変貌だった。
最早、呪いとも言えるバルバーリ王国への憎悪に翻弄され、悩み、苦しみ、もがきながら生きてきた彼の過去を思うと、兄弟として何もしてやれない無力さに苛まれる。
『俺には、王になる資格なんてないよ。憎しみと復讐に燃える記憶に支配された人間が、上に立てばどうなるか、兄さんなら分かるだろ?』
アランがフォレスティ王国に帰還し、二人っきりになったとき、発した言葉が思い出された。同時に、エヴァといるときに見せた、弟の満ち足りた表情が重なる。
エヴァがアランのことを好いていることに気付かず、どうすれば自分の想いに気付いて貰えるかと延々と悩み続ける弟の姿を思い出すと、フフッと口角が意地悪く上がった。
(アランが、あんな表情を見せるようになったのも……全てエヴァのお陰だ。アランも、ようやく安息を手に入れたのだ。私の個人的な想いで、無理矢理王位を継がせる必要はない、か……)
どこか吹っ切れた表情を浮かべながら、イグニスは再び机に向き直った。卓上の両脇に積み上げられた書類の束の一番上にある紙を、つまみ上げる。
そこに書かれていたのは、エヴァを他国に逃がす計画だった。
万が一、バルバーリ王国がエヴァの提案を受け入れず、強硬手段に出ようとした際、すぐさま彼女を逃がせるように準備を進めていたのが、先ほど完了したのだ。
エヴァは、この国を救った精霊女王の生まれ変わり。
だがイグニスにとっては、大切な弟の心を救ってくれた恩人でもある。それにどうせ二人がくっつくのも時間の問題だろうと思っているため、すでに家族の一員だと考え、彼女を守ることに尽力していたのだ。
とはいえ、
(あのヘタレが、どこまで勇気を出せるかが問題だがなぁ……)
こっちがどれだけお膳立てしてやっても、今一歩踏み出せない弟のヘタレ具合――いやいや、純粋さにため息が出てしまう。
しかし、二人がモダモダしている姿を楽しみたいがため、二人の仲にそれ以上踏み込むつもりがないのが、イグニスの意地悪い部分だ。
アランが彼の本心を知れば、烈火のごとく怒るだろう。
まあ、ネタばらしをして怒るアランの顔を見るのも、凄く楽しみだったりするのだが。
摘まんだ書類を、脇に避けていた書類の束の上に、手のひらを押しつけるように置くと、イグニスは引き出しの中から、茶色の革表紙の本を取り出した。
金箔押しされた表紙に書かれているのは、エルフィーランジュの名。
そして下の方に書かれた著者名、ルヴァンの名。
この本は、精霊と精霊女王の役目について、彼女の夫であった初代国王ルヴァンが書き記したものだ。精霊女王自ら、自身のことや精霊のことについて語っている。
ルヴァンがエルフィーランジュから聞き出した情報は、その後、精霊魔法の更なる理解へと繋がった。この本は、初代国王が残した大きな功績の一つとも言える。
その本の横に、ルドルフが取りまとめたエヴァに関する報告書を置くと、内容を見比べながら小さく唸った。
(エルフィーランジュと、その生まれ変わりであるエヴァ……同じ精霊女王であるはずなのに、多くの相違がある)
まず第一に、精霊女王には親という存在がいない。
精霊と自然のバランスが崩れた土地に、すでに成人女性の肉体を纏った状態で降臨する。
そして本来は、六日間かけて自身が生み出した精霊で土地を満たし、光と闇の大精霊を通じて自然を蘇らせると、一日だけ土地を見守った後、肉体ごと消滅する。
大量の精霊を放出しながら――
だから精霊女王がこの世界に留まる時間は、極めて短い。フォレスティ王国に降臨し、ルヴァンが見いださなければ、今でも彼女の存在は知られていなかったかもしれない。
そして精霊女王は、前世もちだ。
今までこの世界に降臨した記憶を、全てもっていると書かれている。
しかし、エヴァは違う。
彼女には血肉を分け与えた両親がおり、前世の記憶をもっていない。
精霊女王を守るべき大精霊もそばにいないどころか、本来もっているはずの精霊を視る目もない。
いや、
(奪われている――アランはそう言ってたな)
それに、と思いながら、本の一節に目を通す。
『精霊女王の願いは、上位以下の精霊には伝わらない。上位以下の精霊には、オドがこもった言葉しか届かないからだ。そのため精霊女王の願いは、常に大精霊を介して上位以下の精霊に伝えられ、大精霊から与えられた指示を忠実にこなすことで叶えられている』
だが、エヴァの場合はどうだ。
大精霊がそばにいないにも関わらず、精霊たちはエヴァの願いに反応し、叶えようと常に行動している。
強い感情や心の底からの願いに限定されてはいる。
さらに司令塔である大精霊がいないため、精霊たちも上手く動けず、力が分散して効果が半減、もしくは予想外の結果が出てしまうような不安定な状況ではある。
しかし、それでもフォレスティ王国全体を<祝福>の魔法で満たすほどの強大な力だ。
大精霊なしでは、上位以下の精霊を動かすこともできなかったエルフィーランジュとは、大きな違いだ。
これら疑問の一部の回答は得ている。
だが大精霊の行方を含め、分からない部分は多い。
エヴァが精霊女王として、前世の記憶と精霊を視る目を取り戻せば、解決するかもしれないが、
(全てを明らかにすることが、本当にエヴァのためになるのか?)
初めてイグニスの娘であるオルジュを抱いたとき、涙を流しながら困惑するエヴァを思い出し、首を横に振る。
『あんな辛い記憶をもつのは、俺だけで十分だ。エヴァには何も知らず、毎日を楽しく、自由に生きて欲しい……今度こそ、幸せになって欲しいんだ』
そう語るアランの辛そうな表情が思い出された。
胸の奥が苦しくなり、イグニスは強く唇を噛んだ。
そして卓上に両肘をつくと、両手を組み、額に当てる。
祈りを捧げるように。
(どうかあの二人に、安息を。そして……)
前世では得られなかった、幸せを――
「ん? どうした、マリア?」
マルティとエヴァの会話を含めた報告書を受け取っていたイグニスが、何事かとマリアを見た。
国の主の前で、失礼な態度をとってしまったとマリアが慌てて膝をつく。
「いっ、いえ……突然肩の荷が下りたようにすっきりした気持ちになったもので……大変申し訳ございません」
「そ、そうか。まあ特に問題がないならいいが……」
謝罪しつつも、どこかホワホワしているマリアに、この子大丈夫かな? という不安を視線に混じらせながら、イグニスは手にした報告書を机の端に置いた。
そして、頭を下げたまま微動だにしないマリアを、優しく労う。
「マリアも、今日は本当にご苦労だった。バルバーリ王国からの使者の監視や、隠れながらのエヴァの護衛、二人の行動記録など、多岐に渡る仕事を充分こなしてくれたと思っている。今日はゆっくり休み、また明日からこの国のために励んで貰いたい」
「身に余るお言葉恐縮です」
マリアは再び深く頭を下げると、イグニスの言葉に従って部屋を出て行った。
ドアが閉まると同時に、イグニスは国王としての真剣な表情を緩め、大きく息をついた。
周囲は自身の手腕を評価してくれるが、まだまだ国王という重責を果たすには未熟だと考えている。
時々、心を許せる相手――彼の妻であるエスメラルダの前で、抱えきれなくなった気持ちを吐露するときもある。情けない姿をさらしていることは重々承知しているが、そんな彼の弱さを、エスメラルダは微笑みながら受け止めてくれることが、唯一の救いだ。
自分の父親も、今の自分と同じように苦しんだのだろうが、それを子どもたちの前に全く見せなかったことを思うと、頭が下がる思いだ。
椅子の向きを変えると、後ろにある大きな窓から空を見上げた。
もう辺りは真っ暗だ。闇の中で輝く無数の星を見つめながら思う。
(私は今でも……アランが王位を継ぐべきだと思っている。それが……正しい形なのだと)
アランが十歳の時、初めて家族に見せた変貌の衝撃を思い出す。
バルバーリ王国の憎しみを吐き出す弟の表情は、両親ですら戦くほどの鬼気迫る激情で満ちていた。
言葉遣いも変わっていて、自分が知っているアランとは別人だと思えるほどの変貌だった。
最早、呪いとも言えるバルバーリ王国への憎悪に翻弄され、悩み、苦しみ、もがきながら生きてきた彼の過去を思うと、兄弟として何もしてやれない無力さに苛まれる。
『俺には、王になる資格なんてないよ。憎しみと復讐に燃える記憶に支配された人間が、上に立てばどうなるか、兄さんなら分かるだろ?』
アランがフォレスティ王国に帰還し、二人っきりになったとき、発した言葉が思い出された。同時に、エヴァといるときに見せた、弟の満ち足りた表情が重なる。
エヴァがアランのことを好いていることに気付かず、どうすれば自分の想いに気付いて貰えるかと延々と悩み続ける弟の姿を思い出すと、フフッと口角が意地悪く上がった。
(アランが、あんな表情を見せるようになったのも……全てエヴァのお陰だ。アランも、ようやく安息を手に入れたのだ。私の個人的な想いで、無理矢理王位を継がせる必要はない、か……)
どこか吹っ切れた表情を浮かべながら、イグニスは再び机に向き直った。卓上の両脇に積み上げられた書類の束の一番上にある紙を、つまみ上げる。
そこに書かれていたのは、エヴァを他国に逃がす計画だった。
万が一、バルバーリ王国がエヴァの提案を受け入れず、強硬手段に出ようとした際、すぐさま彼女を逃がせるように準備を進めていたのが、先ほど完了したのだ。
エヴァは、この国を救った精霊女王の生まれ変わり。
だがイグニスにとっては、大切な弟の心を救ってくれた恩人でもある。それにどうせ二人がくっつくのも時間の問題だろうと思っているため、すでに家族の一員だと考え、彼女を守ることに尽力していたのだ。
とはいえ、
(あのヘタレが、どこまで勇気を出せるかが問題だがなぁ……)
こっちがどれだけお膳立てしてやっても、今一歩踏み出せない弟のヘタレ具合――いやいや、純粋さにため息が出てしまう。
しかし、二人がモダモダしている姿を楽しみたいがため、二人の仲にそれ以上踏み込むつもりがないのが、イグニスの意地悪い部分だ。
アランが彼の本心を知れば、烈火のごとく怒るだろう。
まあ、ネタばらしをして怒るアランの顔を見るのも、凄く楽しみだったりするのだが。
摘まんだ書類を、脇に避けていた書類の束の上に、手のひらを押しつけるように置くと、イグニスは引き出しの中から、茶色の革表紙の本を取り出した。
金箔押しされた表紙に書かれているのは、エルフィーランジュの名。
そして下の方に書かれた著者名、ルヴァンの名。
この本は、精霊と精霊女王の役目について、彼女の夫であった初代国王ルヴァンが書き記したものだ。精霊女王自ら、自身のことや精霊のことについて語っている。
ルヴァンがエルフィーランジュから聞き出した情報は、その後、精霊魔法の更なる理解へと繋がった。この本は、初代国王が残した大きな功績の一つとも言える。
その本の横に、ルドルフが取りまとめたエヴァに関する報告書を置くと、内容を見比べながら小さく唸った。
(エルフィーランジュと、その生まれ変わりであるエヴァ……同じ精霊女王であるはずなのに、多くの相違がある)
まず第一に、精霊女王には親という存在がいない。
精霊と自然のバランスが崩れた土地に、すでに成人女性の肉体を纏った状態で降臨する。
そして本来は、六日間かけて自身が生み出した精霊で土地を満たし、光と闇の大精霊を通じて自然を蘇らせると、一日だけ土地を見守った後、肉体ごと消滅する。
大量の精霊を放出しながら――
だから精霊女王がこの世界に留まる時間は、極めて短い。フォレスティ王国に降臨し、ルヴァンが見いださなければ、今でも彼女の存在は知られていなかったかもしれない。
そして精霊女王は、前世もちだ。
今までこの世界に降臨した記憶を、全てもっていると書かれている。
しかし、エヴァは違う。
彼女には血肉を分け与えた両親がおり、前世の記憶をもっていない。
精霊女王を守るべき大精霊もそばにいないどころか、本来もっているはずの精霊を視る目もない。
いや、
(奪われている――アランはそう言ってたな)
それに、と思いながら、本の一節に目を通す。
『精霊女王の願いは、上位以下の精霊には伝わらない。上位以下の精霊には、オドがこもった言葉しか届かないからだ。そのため精霊女王の願いは、常に大精霊を介して上位以下の精霊に伝えられ、大精霊から与えられた指示を忠実にこなすことで叶えられている』
だが、エヴァの場合はどうだ。
大精霊がそばにいないにも関わらず、精霊たちはエヴァの願いに反応し、叶えようと常に行動している。
強い感情や心の底からの願いに限定されてはいる。
さらに司令塔である大精霊がいないため、精霊たちも上手く動けず、力が分散して効果が半減、もしくは予想外の結果が出てしまうような不安定な状況ではある。
しかし、それでもフォレスティ王国全体を<祝福>の魔法で満たすほどの強大な力だ。
大精霊なしでは、上位以下の精霊を動かすこともできなかったエルフィーランジュとは、大きな違いだ。
これら疑問の一部の回答は得ている。
だが大精霊の行方を含め、分からない部分は多い。
エヴァが精霊女王として、前世の記憶と精霊を視る目を取り戻せば、解決するかもしれないが、
(全てを明らかにすることが、本当にエヴァのためになるのか?)
初めてイグニスの娘であるオルジュを抱いたとき、涙を流しながら困惑するエヴァを思い出し、首を横に振る。
『あんな辛い記憶をもつのは、俺だけで十分だ。エヴァには何も知らず、毎日を楽しく、自由に生きて欲しい……今度こそ、幸せになって欲しいんだ』
そう語るアランの辛そうな表情が思い出された。
胸の奥が苦しくなり、イグニスは強く唇を噛んだ。
そして卓上に両肘をつくと、両手を組み、額に当てる。
祈りを捧げるように。
(どうかあの二人に、安息を。そして……)
前世では得られなかった、幸せを――