精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第85話 離れる心(別視点)

 リズリーは、国に着いたとき以上の憔悴しきった表情を滲ませながら、会議室から廊下へと出てきた。会議室の扉を守る護衛騎士が敬礼をするが、その動きすら、今のリズリーには見えていない。

 肉体的な疲労もかなりのものなのだが、それ以上の精神的疲労が、彼の足元をふらつかせる。顔からは血の気が引き、唇からは色が失われていた。

 まさに、引き返すという表現が正しい形でフォレスティ王国を発ったリズリーたち。
 フォレスティ王国に辿り着くだけでも長旅だったというのに、帰りは準備不足の中、同じ時間を費やして帰らない帰路は、最悪としか言いようがなかった。

 極度の疲労の中、祖国に帰ってきたリズリーを待っていたのは、父親である国王と祖母メルトア、そして親王家派閥の有力貴族たちによる、報告という名の尋問だった。 

 フォレスティ王国で起こった一件は、すでにバルバーリ国王の耳に入っていた。というのも、リズリーたちが祖国に戻る前に、フォレスティ国王の名の下に、今回の一件とそれに対する処罰、そして強い抗議文書が届いていたからだ。

 王命を達成出来ずに帰ってきたリズリーに、メルトアは激しい叱咤の言葉を浴びせた。
 特に、全てを台無しにしたマルティの行動には、貴族たちからも非難が相次ぎ、バルバーリ王国独自でも罰を与えるべきではないかという意見も出た。

 すでに、クロージック家の降爵が検討されている。
 これは当主であるヤードが、マルティの力を餌に、他の貴族たちから多額な報酬を巻き上げていたことや、無茶な要求をしていたことが明らかになったためだ。

 さらに、全てを知った上でエヴァを勘当したのではないかと、王国転覆を謀った疑いまでかけられている。
 もちろんヤードは否定しているが、これからの調査によっては、奪爵も充分あり得る。

 そもそも、ソルマン王がクロージック家に公爵を与えたのは、いずれクロージック家で産まれる精霊女王の力を、バルバーリ王家のものにするため。要であるエヴァがクロージック家にはいない以上、クロージック家を公爵家として存続させる理由はないのだ。

 だがリズリーにとって一番ショックだったのは、自分に甘い父が初めて自分に見せた失望の色。

 正直、息子に甘い父親のことだから、メルトアが何を言っても王太子の座は大丈夫だと、心のどこかでは思っていた。しかし父親の表情、そして一切リズリーを庇うことのなかった発言を思い出すと、足下の世界が崩れ落ちるような不安と恐怖に襲われる。

 エヴァの要求を伝えたときには、会議室内に轟くほどの怒声が響き渡った。

 現在、バルバーリ王家に莫大な利益を齎す霊具工匠を失うことは、王家と諸侯貴族たちのバランスを崩してしまう恐れがある。
 王家が享受している利益のおこぼれを預かっている親王家派の貴族が、こぞって反対するのは予想通りとも言えた。

 そして結局、どちらに転んでも自分たちにとっては最悪な結果となる現状況を作った、リズリーとマルティに怒りの矛先が向くことになった。

 エヴァと婚約破棄をしたとき、リズリーの判断とマルティの存在を褒め称えたというのに。

 全ての報告を終えたリズリーは、退室を命じられた。

 エヴァの提案も含め、今後の対策を話し合うということなのだが、その場にリズリーは同席させて貰えなかった。
 次期国王の立場であるにもかかわらず、王国の未来に関わる権利はないと、実質追い出されたのだ。

 その事実に、怒りがこみ上げてくる。
 両手を強く握り、唇を噛みしめながら、リズリーが自室に戻ろうとした時、聞き慣れた声が耳に入ってきた。

「殿下……」

 振り向くと予想通り、マルティが潤んだ瞳でこちらを見上げてながら立っていた。

 自分と同じく、マルティの顔にもかなりの疲労感が滲んでいる。フォレスティ王国からバルバーリ王国に戻ってくる間に、彼女の頬はこけ、美しかった髪から艶が失われている。
 ヘーゼルの瞳は充血し、濃いクマができていた。

 以前、マルティが色々な貴族への助けに奔走して体調を崩したとき、憔悴しきった彼女の姿をみて、哀れみと、自分の身を犠牲にしても周りに尽くす彼女への愛おしさで心がいっぱいになった。

 だが今は、何も感じない。
 正直、フォレスティ王国で美しく変わったエヴァを見てから、マルティの美しさに心を惹かれなくなったのだ。

(ここにいるのがエヴァだったら……あの男に向けていた表情が、愛を告げる言葉が、僕のものだったら……)

 そんな気持ちすら湧き上がる。

 今回、フォレスティ王国で見た婚約者の裏の顔を知り、リズリーの気持ちは明らかに変わっていた。

 部屋に潜んでいた護衛が残した会話記録には直接的な言葉はなかったが、マルティが身を引き裂かれるような気持ちをもって、エヴァと婚約者の交換を申し出たようには思えなかったのだ。
 むしろ、嬉々として提案しているようにすら感じられる。

(マルティは結局、僕を愛していなかったのか? ただ王太子妃の座が欲しかっただけで……だから、この国や僕を見捨て、簡単にあの男に乗り換えるなど……)

 だが、婚約者への疑惑と、離れつつある心に見なかったふりをして、いつものように微笑みかける。

「どうしたんだ? 自邸で休んでいるはずでは……」
「それが、突然呼び出されまして……」
「ああ……そういえば、会議が一段落ついたら、マルティから詳しい話を聞くと言っていたな……」

 リズリーの言葉を聞いたマルティの身が、恐怖で竦む。

 マルティは恐れていた。
 ただでさえ、短時間だったとはいえ、罪人としてフォレスティ王国内でこの身を引き回される屈辱を受けたのだ。さらに、自身が起こした罪は、バルバーリ王国内だけではなく、周辺諸国にも知られている。

 バルバーリ王家としては、今回の火消しのため、マルティに何かしらの罰を与えるだろう。
 自分を守ってくれるはずのクロージック家は、かつてない危機に瀕し、実際罪を犯した娘を庇う余裕などない。

 唯一、味方になってくれそうなのは、目の前の婚約者だけ。
 しかし、

(帰路の途中、リズリー殿下はずっと私に冷たかったわ……)

 一緒の馬車の中で、リズリーはマルティを責めなかった。だが代わりに、ほとんど言葉を交わすこともなかった。
 それどころか、途中、リズリーは自身の馬車をマルティに与え、別の馬車に移動してしまったのだ。

 フォレスティ王国に発ったときは、一時も離れなかったというのに。

 マルティの気持ちはアランに傾いたが、姉から婚約者を奪えなかっただけでなく、他国の罪人という烙印を押された以上、リズリーに縋るしかないのだ。

 いくら傾きかけた国であっても、彼は王太子。
 下手に別の貴族に嫁ぐよりも、何倍もいい。

 何とかリズリーの気持ちを引き留めなければと、彼が部屋を出てくるのを見計らって、待ち伏せしていたのである。

 マルティは、リズリーの胸に飛び込んだ。双眸を閉じ、か細い声を震わせる。

「殿下、私、怖いのです……」
「怖い? ああ、これから皆の前で話さなければならないから――」
「いいえ、違います」

 彼の言葉を遮ると、マルティは顔を上げ、婚約者の瞳を見据えた。

「貴方さまの心が離れてしまうことが……とても……とても怖いのです」

 リズリーの心臓が跳ね上がった。
 マルティの身体が、ますます密着する。

「罪人となった私など、貴方さまの婚約者には相応しくないと、周囲は言うでしょう。周囲から何と言われても構いません。しかし……貴方さまにそのような目で見られるのだけは、耐えられないのです……」
「し、しかし、君が霊具を持ち込んだのは、この国のためだったのだろう? 自身を悪者にしてまで国のために尽くそうとしてくれた君を、嫌うわけなど――」

 そうは言ってはみたが、エヴァとマルティの会話記録を思い出すと、本当に国のためだったのかと疑問が湧く。
 しかし別れ際、マルティを捨てるなと、アランの挑発的な言葉を思い出し、唇を噛んだ。

 だが疑問も怒りも、密着する身体の柔らかさと熱によって、情欲へと塗り替えられてしまう。
 心は離れつつあるとはいえ、抱きしめ返す腕が、肌を楽しむような怪しい動きへと変わっていく。

 しかしマルティは、彼の求めを拒絶するように距離をとった。初めて見せる拒絶に、リズリーは抱きしめた形で残った両腕をダランと下ろす。

「……マルティ?」
「ほんとう、ですか? 私のことを、まだ愛していらっしゃいますか?」
「も、勿論だ。僕の愛する女性は、君、たった一人だけ、だ……」

 愛の言葉など、今まで散々口にしてきたはずなのに、エヴァの姿が脳裏をよぎり、言葉が途切れ途切れになってしまう。
 
 そんな婚約者のハッキリしない態度に、マルティは心の中で苛立ちと焦燥感を募らせる。
 だから、懸けにでた。

「なら、そのお気持ちが本当であるか、証拠を見せて頂けませんか? 私を、貴方さまの妻にしてくださる気持ちが変わっていない証拠を……」
「証拠?」

 リズリーの問いかけに、マルティは大きく頷いた。
 その瞳には、強い不安と、証拠を見せなければ、決してこの身を許さないという決意が見える。

 正直、気持ちはエヴァに傾いている。
 しかし、抱き慣れた相性の良い若い身体を手放すのも惜しい。

 それに今、欲望を満たせる相手は彼女しかいないのだ。 

「分かったよ、マルティ。一緒に来てくれ。案内したいところがある」

 己の欲情を押し隠しながら、リズリーは穏やかな笑みを浮かべ、マルティに手を差し伸べた。
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