精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第89話 悶絶と後悔と(別視点)
アランの姿は、イグニスの執務室に続く廊下にあった。
歩きながら、昨日のことを思い出す。
リズリーとマルティをフォレスティ王国から追い出すことに成功はした。
エヴァには想像以上に負担をかけたと思うと、あの二人の存在への憎しみが湧き上がる。しかし二人に別れを告げた際のエヴァの笑顔を思い出し溜飲を下げた。
彼女の笑顔は、バルバーリ王国で過ごした日々との決別を意味していたからだ。
これからは、今までの苦しみなど帳消し出来るくらい、この国で自由に生きて欲しいと心の底から願う。
まあそれはいい。
本当の問題はその後だ。
『私もあなたを……愛してる。この気持ちを、ずっとずっと、伝えたかった……』
昨日の夜、エヴァから伝えられた想い。
ずっとずっと片想いをしていたエヴァと、気持ちが通じ合った。長年抱き続けた想いをお互い伝え合い、異性の友人から恋人という関係へと変わった。
エヴァに告白しようと心には決めていたが、彼女のことだから、きっと返答は保留されると覚悟していたため、嬉しすぎる誤算だった。
(それも、俺がクロージック家で使用人として働いていたときから、好意を寄せていてくれていたなんて……)
彼女の気持ちが分からない、エヴァにとって自分は仲の良い友人の一人、だなんてウジウジ悩んでいた過去の自分に活を入れてやりたい。細かいことなど気にせず押せと言ってやりたい。
自分が正体を明かしたとき、エヴァに対して『大切な友人』と言ってしまったが、あのとき恐れずに告白していたならもっと早く望んでいた関係になれていたのではと思うと、後悔すらよぎる。
いやまあそれも全て、彼女の気持ちを知った今だからこそ、偉そうに言えることなのだが。
幸せな一時を過ごし、後ろ髪引かれる思いで別れた後も酷かった。
エヴァの前では必死で我慢していたが、部屋に戻り一人になった瞬間、うれし泣きで濡れる彼女の美しい表情や、言葉の一つ一つを思い出し、何度も何度も悶絶した。
喜びの声が外に洩れないようにうつ伏せになって枕に顔を埋めていたせいで、何度呼吸困難に陥ったか分からない。そのたびに顔を上げて空気を取り込むアランの顔は、苦しさ以外の理由で真っ赤になっていた。
ふと唇に触れると、エヴァの唇の柔らかさと温かさが蘇り、顔の熱が耳の先までのぼる。が、はたっと重大なことに気づき、息を止めた。
(俺、嬉しさのあまり、エヴァの同意もとらずにキスを……)
遅れてやってきた後悔に、ああああ……とアランは頭を抱えた。
それに、
(……初めてなら仕方ないって、エヴァのペースでいいからって、何で偉そうに言えたんだよ、あのときの俺っ‼)
幼い頃から普通ではなかったせいで恋愛ごとに縁遠かったアランにとって、エヴァは初恋の相手。
初めてはこちらも同じなのだ。
自分が彼女に言った発言は、『お前が言うな』と言わんばかりにまんまブーメランとして自分に刺さるわけで。
痛いほど突き刺さるわけで……
ぐっと胸を苦しそうに掴むと、あの時の謎なテンションに恐れを抱く。夜中書いた恋文を送ってはならないというあれに、近い話かもしれない。
だが幸いなことに、エヴァは嫌がっていなかった。
キスしたときも抵抗することなく受け入れてくれたし、抱きしめたときもそっと身体を委ねてくれた。
恋人関係になった瞬間、今まで保っていたエヴァとの距離感を突然バグらせたアランに、幻滅していない……はずだ。
(……多分)
自信なく心の中で呟いた瞬間、ああああ……と声を漏らし、アランの顔が枕の柔らかさに沈んだ。しばらくジタバタしながら悶絶していたが、ギュッと枕に顔を押しつけた後、仰向けになった。
先ほどとは違う、僅かな不安を滲ませた顔が現れる。
『私も……いたい。あなたの傍に、ずっと』
本当の婚約者になることを了承してくれたエヴァの口から紡がれた言葉。それを思い出したアランの唇が、きつく結ばれる。
「まさか……あの言葉が、エヴァの口から出るなんて……」
はぁっと大きく溜息をつくと、アランは身体を起こした。そして自分の両手をじっと見つめる。
(エヴァは……前世の記憶を取り戻そうとしているのかもしれない……)
精霊女王は本来前世もちだ。
その前提がある以上、今記憶がないからといって、これからもエヴァが前世の記憶を取り戻さないという確証はない。
むしろ、前世の記憶がないことのほうが、精霊女王にとって異常なのだ。
いや――
(異常なのは記憶に関することだけじゃない。精霊女王は歪められてしまった……三百年前、二人の男によって)
恐らくそのせいで、エヴァは前世の記憶がなく、精霊を視る目ももっていない。大精霊については、行方不明である理由すら判明していない。
精霊女王の本来あるべき姿を歪めたことは、数多ある生き物を育むこの世界にとって、許しがたい大罪だろう。
見つめていた両手を握りしめると、瞳を閉じた。
泣き濡れる美しい婚約者の顔を思い出しながら、胸の奥が痛くて堪らないほどの想いを吐露する。
「……それでも俺は、エヴァには思い出して欲しくない」
全てを思い出したそのとき、彼女が変わらず自分を愛し続けてくれるだろうか。
自分に向けられる彼女の笑顔が、恐怖に歪むかもしれないと想像しただけでゾッとする。
だが、不安になっても仕方ない。今はまだ、その不安が現実になってはいないのだ。今はエヴァと両想いだったことを、本当の婚約者になってくれたことを、純粋に喜びたい。
不安を無理矢理頭から振り払うと、アランは瞳を開いた。
(そうだ。明日、早速兄さんに報告しないと。エヴァが本当の婚約者になることを了承してくれたことを)
イグニスには、全く進展しないエヴァとの関係を相談し、兄は兄で頼んでもないのに色々とお節介を焼いてくれていた。
きっと今回の件を報告すれば、喜んでくれるだろう。
精霊魔法で灯されていた光がアランによって消され、部屋の中が闇につつまれた。今まで色々あったせいか、暗い部屋で横になっただけで、眠気が襲ってくる。
ウトウトしていたアランはゴロンと体勢を横向きに変えると、伸ばしていた両腕を見てふと思う。
(……もし結婚したら……ここにエヴァがいる……んだよな?)
アランの腕に頭を置いて眠るエヴァ。
彼女の瞳が不意に開き、唇が恥ずかしそうに笑みを作る。ゆっくりと身体を起こしたことでずり落ちた掛け布団の下は素肌で――
「わぁ――――っ‼」
次の瞬間、アランは跳ね起きた。
激しく脈打つ心臓の音が、頭にまで響いている。
(いや、た、確かに、夫婦になるってことは、そういうことも含まれるけどっ!)
大人同士なのだから当然のことだ、一般的なことだと納得しようとしても、感情がついてくるかは別問題なわけで。
収まっていたはずの顔の熱が、みるみるうちに上昇する。
「ああ、もうっ!」
相変わらず、自分のヘタレ具合に腹が立つ。
ベッドの上で胡座をかき頬杖をつきながら、冴えてしまった目をどうしようかと大きく溜息をついた。
(……まあ寝るのが遅くなったわりには、目覚めは良かったけれど)
兄のいる執務室の扉を見つめながら、そんなことを思う。
昨日の夜に予定したとおり、エヴァとのことを伝えるため、大切な話があるからとイグニスに朝食前に時間を作って貰ったのだ。
アランの到着を、扉を守る護衛が中に伝える。
すぐに中に招く兄の声が聞こえ、アランは緊張を逃すために息を吐き出すと、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
歩きながら、昨日のことを思い出す。
リズリーとマルティをフォレスティ王国から追い出すことに成功はした。
エヴァには想像以上に負担をかけたと思うと、あの二人の存在への憎しみが湧き上がる。しかし二人に別れを告げた際のエヴァの笑顔を思い出し溜飲を下げた。
彼女の笑顔は、バルバーリ王国で過ごした日々との決別を意味していたからだ。
これからは、今までの苦しみなど帳消し出来るくらい、この国で自由に生きて欲しいと心の底から願う。
まあそれはいい。
本当の問題はその後だ。
『私もあなたを……愛してる。この気持ちを、ずっとずっと、伝えたかった……』
昨日の夜、エヴァから伝えられた想い。
ずっとずっと片想いをしていたエヴァと、気持ちが通じ合った。長年抱き続けた想いをお互い伝え合い、異性の友人から恋人という関係へと変わった。
エヴァに告白しようと心には決めていたが、彼女のことだから、きっと返答は保留されると覚悟していたため、嬉しすぎる誤算だった。
(それも、俺がクロージック家で使用人として働いていたときから、好意を寄せていてくれていたなんて……)
彼女の気持ちが分からない、エヴァにとって自分は仲の良い友人の一人、だなんてウジウジ悩んでいた過去の自分に活を入れてやりたい。細かいことなど気にせず押せと言ってやりたい。
自分が正体を明かしたとき、エヴァに対して『大切な友人』と言ってしまったが、あのとき恐れずに告白していたならもっと早く望んでいた関係になれていたのではと思うと、後悔すらよぎる。
いやまあそれも全て、彼女の気持ちを知った今だからこそ、偉そうに言えることなのだが。
幸せな一時を過ごし、後ろ髪引かれる思いで別れた後も酷かった。
エヴァの前では必死で我慢していたが、部屋に戻り一人になった瞬間、うれし泣きで濡れる彼女の美しい表情や、言葉の一つ一つを思い出し、何度も何度も悶絶した。
喜びの声が外に洩れないようにうつ伏せになって枕に顔を埋めていたせいで、何度呼吸困難に陥ったか分からない。そのたびに顔を上げて空気を取り込むアランの顔は、苦しさ以外の理由で真っ赤になっていた。
ふと唇に触れると、エヴァの唇の柔らかさと温かさが蘇り、顔の熱が耳の先までのぼる。が、はたっと重大なことに気づき、息を止めた。
(俺、嬉しさのあまり、エヴァの同意もとらずにキスを……)
遅れてやってきた後悔に、ああああ……とアランは頭を抱えた。
それに、
(……初めてなら仕方ないって、エヴァのペースでいいからって、何で偉そうに言えたんだよ、あのときの俺っ‼)
幼い頃から普通ではなかったせいで恋愛ごとに縁遠かったアランにとって、エヴァは初恋の相手。
初めてはこちらも同じなのだ。
自分が彼女に言った発言は、『お前が言うな』と言わんばかりにまんまブーメランとして自分に刺さるわけで。
痛いほど突き刺さるわけで……
ぐっと胸を苦しそうに掴むと、あの時の謎なテンションに恐れを抱く。夜中書いた恋文を送ってはならないというあれに、近い話かもしれない。
だが幸いなことに、エヴァは嫌がっていなかった。
キスしたときも抵抗することなく受け入れてくれたし、抱きしめたときもそっと身体を委ねてくれた。
恋人関係になった瞬間、今まで保っていたエヴァとの距離感を突然バグらせたアランに、幻滅していない……はずだ。
(……多分)
自信なく心の中で呟いた瞬間、ああああ……と声を漏らし、アランの顔が枕の柔らかさに沈んだ。しばらくジタバタしながら悶絶していたが、ギュッと枕に顔を押しつけた後、仰向けになった。
先ほどとは違う、僅かな不安を滲ませた顔が現れる。
『私も……いたい。あなたの傍に、ずっと』
本当の婚約者になることを了承してくれたエヴァの口から紡がれた言葉。それを思い出したアランの唇が、きつく結ばれる。
「まさか……あの言葉が、エヴァの口から出るなんて……」
はぁっと大きく溜息をつくと、アランは身体を起こした。そして自分の両手をじっと見つめる。
(エヴァは……前世の記憶を取り戻そうとしているのかもしれない……)
精霊女王は本来前世もちだ。
その前提がある以上、今記憶がないからといって、これからもエヴァが前世の記憶を取り戻さないという確証はない。
むしろ、前世の記憶がないことのほうが、精霊女王にとって異常なのだ。
いや――
(異常なのは記憶に関することだけじゃない。精霊女王は歪められてしまった……三百年前、二人の男によって)
恐らくそのせいで、エヴァは前世の記憶がなく、精霊を視る目ももっていない。大精霊については、行方不明である理由すら判明していない。
精霊女王の本来あるべき姿を歪めたことは、数多ある生き物を育むこの世界にとって、許しがたい大罪だろう。
見つめていた両手を握りしめると、瞳を閉じた。
泣き濡れる美しい婚約者の顔を思い出しながら、胸の奥が痛くて堪らないほどの想いを吐露する。
「……それでも俺は、エヴァには思い出して欲しくない」
全てを思い出したそのとき、彼女が変わらず自分を愛し続けてくれるだろうか。
自分に向けられる彼女の笑顔が、恐怖に歪むかもしれないと想像しただけでゾッとする。
だが、不安になっても仕方ない。今はまだ、その不安が現実になってはいないのだ。今はエヴァと両想いだったことを、本当の婚約者になってくれたことを、純粋に喜びたい。
不安を無理矢理頭から振り払うと、アランは瞳を開いた。
(そうだ。明日、早速兄さんに報告しないと。エヴァが本当の婚約者になることを了承してくれたことを)
イグニスには、全く進展しないエヴァとの関係を相談し、兄は兄で頼んでもないのに色々とお節介を焼いてくれていた。
きっと今回の件を報告すれば、喜んでくれるだろう。
精霊魔法で灯されていた光がアランによって消され、部屋の中が闇につつまれた。今まで色々あったせいか、暗い部屋で横になっただけで、眠気が襲ってくる。
ウトウトしていたアランはゴロンと体勢を横向きに変えると、伸ばしていた両腕を見てふと思う。
(……もし結婚したら……ここにエヴァがいる……んだよな?)
アランの腕に頭を置いて眠るエヴァ。
彼女の瞳が不意に開き、唇が恥ずかしそうに笑みを作る。ゆっくりと身体を起こしたことでずり落ちた掛け布団の下は素肌で――
「わぁ――――っ‼」
次の瞬間、アランは跳ね起きた。
激しく脈打つ心臓の音が、頭にまで響いている。
(いや、た、確かに、夫婦になるってことは、そういうことも含まれるけどっ!)
大人同士なのだから当然のことだ、一般的なことだと納得しようとしても、感情がついてくるかは別問題なわけで。
収まっていたはずの顔の熱が、みるみるうちに上昇する。
「ああ、もうっ!」
相変わらず、自分のヘタレ具合に腹が立つ。
ベッドの上で胡座をかき頬杖をつきながら、冴えてしまった目をどうしようかと大きく溜息をついた。
(……まあ寝るのが遅くなったわりには、目覚めは良かったけれど)
兄のいる執務室の扉を見つめながら、そんなことを思う。
昨日の夜に予定したとおり、エヴァとのことを伝えるため、大切な話があるからとイグニスに朝食前に時間を作って貰ったのだ。
アランの到着を、扉を守る護衛が中に伝える。
すぐに中に招く兄の声が聞こえ、アランは緊張を逃すために息を吐き出すと、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。