精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第9話 その顔、反則すぎる

 私たちは、一刻も早くバルバーリ王国から脱出するために、先を急いでいた。

 王都から隣国フォレスティ王国の領土に入るまでは、馬車で三十日ほどはかかる。もちろん、順調に進んだ場合の話だ。その日のお天気一つで、どれだけ距離を稼げるかが決まるし、王都から離れれば離れるほど、未舗装の道が増えて、先に進みにくくなる。

 だからいつも朝目覚めると、私は空に向かってお祈りをした。以前、精霊の悲鳴を聞いたとき、アランたちに祈って欲しいと真剣にお願いされてから、何となく祈るようになっていた。

「……今日も一日、いいお天気でありますように……馬車が立ち往生してしまうようなトラブルが起きませんように……無事旅が進められますように」

 今日も、差し込む朝日に向かって、一日の無事を祈る。
 今まで、マルティに嫌がらせをされても、私の自尊心や心の自由までは奪えない、と思っていたから、何かに救いを求めたり祈るということはなかった。だけど、こうして何かの存在に願いを委ねるのも、悪くないかもしれない。

 さあ、野宿の後片付けをしないとね。

 馬車が一日で進める距離内に村や町がない場合は、野宿をしている。始めの頃は、さすがの私も物珍しくて楽しかったけど、やっぱりこうも続くと、そろそろお布団とベッドが恋しい。

 ……うーん、贅沢は言っては駄目ね。

「そう言えばマリア。もうそろそろ、フォレスティ王国領内に入れるんでしょう?」
「ええそうよ。少し行けば、セイリンという村があるわ。バルバーリ王国領内で、最もフォレスティ王国に近い村よ。そこを抜けて国境の関所を越えれば、いよいよフォレスティ王国よ。あと数日っていったところね」

 心底嬉しそうにマリアが答えてくれた。馬の様子を見ていたルドルフも、目尻に皺を作りながら微笑む。

「エヴァ嬢ちゃんも、よく頑張ったな。初めての旅が、これほど長旅になったんじゃからな」
「ううん、大変だったのは皆の方よ。私は、ただ馬車に乗ってただけだもの……」
 
 たった一人で国を出るのが、これほど大変だとは思っていなかった。ここまで来られたのは、三人が入念な準備をした上で、付いてきてくれたからなのは間違いない。
 そう思うと、自身の考えの浅はかさを感じ、心が沈む。

「私なんて、精霊魔法が使えないから、何の役にも立たなかったしね。だから、ここまで何事もなく来られたのは、皆のお陰よ。本当にありがとう」

 笑顔を作ろうとしたけど、少しだけ上手く口角が上げられなかった。ルドルフとマリアが、困惑したように互いの顔を見合わした時、

「何を言ってるんだ、エヴァ」

 後ろから、すっかり名前呼びに慣れた様子のアランの声が聞こえた。振り向くと、彼は両腕を組み、少しだけ怒っているように眉間に皺を寄せている。でも私と目が合うと、長い前髪の間の瞳を、ふっと細めた。

「エヴァが、何の役にも立っていないなんてそんなことないよ。俺もマリアもルドルフも、皆、エヴァの明るさに救われているんだから」
「明るさ?」
「そうよねー。私たち三人だけだったら、絶対に辛気くさい旅になったと思うわ。エヴァちゃんが、私たちに気遣って色々と話しかけてくれたから、凄く楽しい旅だったわ。あんなことがあって、一番辛いのはエヴァちゃんのはずなのに……」

 マリアが笑いながら、少しだけ顔を顰めた。
 あんなこととは、婚約破棄されたことだろう。実際、王都を逃げ出した時、今までの辛いことを思い出して泣いてしまったったものね。

 彼女の言葉に、アランも深く頷いている。

「それにエヴァは、毎日旅の安全を祈ってくれているだろ? 今日だって『無事旅が進められますように』って。今まで何事もなく無事に旅を続けられたのは、エヴァの俺たちを想って祈ってくれる優しさのお陰だよ」
「あっ、祈ってたの……知ってたの?」
「ああ、もちろん。毎朝、あれだけ大きな声で祈ってたら、嫌でも聞こえるよ」
「えええっ⁉ そ、そんなに大きな声だった⁉」

 周囲には誰もいなかったはずなのだけど、聞こえてたの⁉
 やだ、恥ずかしいんですけどっ‼
 
 羞恥で顔が熱くなった私に、アランの軽やかな笑い声が届く。

「ははっ、うそうそ。大声なんかじゃないよ」
「……で、でも、祈っている内容が分かっているってことは、アランには聞こえていたのでしょ? な、何故? 誰もいないところで祈っていたのに」
「ふふっ、エヴァちゃん、それはね……アランには読唇術という特技があるからよ?」
「ま、マリアっ‼」

 今まで余裕そうだったアランが、慌てた様子でマリアの言葉を遮った。しかし彼女はニヤニヤしながら、楽しくて仕方ない様子で言葉を続ける。

「読唇術は、唇の動きで相手の言葉を読み取るの。つまりこの子はね……エヴァちゃんがコッソリ祈っていることに気づくほど、そしてその呟きを読唇術で読むほど、あなたのことを見ていたってことね?」
「え、どうしてアランが私のことを?」
「んー、何故かしらね? アランに直接聞いてみ――い、痛たたっっ‼」
「そこまでにしておけ、マリア。見ろ、アランの表情を」

 マリアの耳を引っ張りながら、ルドルフが顎でアランをさした。俯いた彼の表情は分からなかったけど、握りしめた両手が小刻みに震えているのを見る限り、結構怒っているみたい。
 あ、ヤバッと一瞬だけ瞳を見開いたマリアは、誤魔化すように乾いた笑い声をあげて、さっさと荷物を積みに馬車の中に消えてしまった。
 ルドルフは、とっくにこの場から消えている。

 そ、そんなに私のこと、見ていてくれたの?
 真面目な彼のことだから、きっと純粋に私を心配してのことだと分かってるけど、心臓のドキドキが止まらない。

 ああ、勘違いしちゃだめ、私。

「と、とにかく! 旅を安全に、それも楽しく続けられたのは、エヴァの明るさとお祈りのお陰だ。その証拠に、旅の間、ずっと天気も良かったし、道中何一つトラブルはなかっただろ? だから何の役に立っていないだなんて、自分を卑下しないで」

 顔を上げたアランの手が、私の頭を軽くポンポンした。そして頭の上に置いた手が、この銀髪を滑りながら、下に下りていく。
 彼の指先が、耳や頬、首筋に触れた時、

「……んっ」

 こそばゆい感覚に身体が小さく震えて、喉の奥から声が洩れ出てしまった。それ聞いたアランの瞳が見開かれたかと思うと、ボソッと、

「……その顔、反則すぎる」

 そう言って自分の黒い髪の毛を、片手でゴシゴシ搔きむしると、足元の荷物を持って馬車に向かってしまった。チラッと見えた彼の耳たぶは、何故か真っ赤だった。

 反則すぎる顔だなんて……私、そんな酷い顔をしてた?
 まだ寝ぼけた顔していたのかな?

 ……もう一度、顔を洗ってこよう。
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