精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第96話 ごめん、無理かも

「アラン、大丈夫? 疲れてない?」
「うん、大丈夫だよ。体調の方はね」

 私たちは庭園の一番奥にある休憩用の建物内で、十日ぶりに顔を合わせていた。

 テーブルの上に置かれたお茶の湯気が揺れている。

 二人で庭園を散歩しているときこの場所で休憩することが多いため、いつごろからか、侍女の方たちが事前にお茶の準備をして待ってくださるようになっていた。

 優秀な侍女の方たちの心遣いを感じてありがたいのだけれど、準備が終わったらそそくさに退場しなくてもいいと思うのに……
 
 これも私たちを二人きりにしようという気遣いなのだろうけれど、立ち去る皆さんの表情が笑顔すぎるというか、なんというか……

 ちなみにこの場所は、あの日、アランから告白された場所。

 未だに二人でいるとき、ふとした拍子にあのときのことを思い出してしまって、恥ずかしさがこみ上げてくる。

 リズリー殿下とマルティをフォレスティ王国から追い出してから、すでに四十日以上の時間が経過していた。

 アランが陛下に私との関係について報告した後、私の身辺警護は強化された。

 しばらくは一人で庭園に出ることすら許されず、アランと二人でいるとき以外は、常にマリアか護衛騎士の常に傍についていたくらいだ。

 これも全て、リズリー殿下が私を拉致し、バルバーリ王国に連れ帰る計画に変更する可能性があったから。

 彼の性格を考えると可能性は低くはあったけれど、もしかすると私を連れ帰ることに失敗したさい、その尻拭いをする立場の者が従者の中に紛れている可能性だってゼロではないという、最悪を想定しての警護の強化だった。

 しかし、リズリー殿下たちがようやくバルバーリ王国領に入ったこと、それまで不審な動きをしていないことが監視役の諜報員たちから報告され、ようやく厳重な身辺警護は解除されることになった。

 とはいえ、さすがに一人で城下町に行く、なんてことは出来なくなったけれど。

 でもそれは、私がアランの婚約者という立場に変わったという理由もあるから仕方が無い。
 
 あのお店の御家族やカレイドス先生はお元気かしら?

 アランはアランで、私を婚約者にすると陛下に報告し、認められてから慌ただしくなった。

 さらに、リズリー殿下たちがもうすぐバルバーリ王国領内に入るという報告を受けてからは、さらに忙しくなってしまった。

 というのも私と結婚するつもりなら、王族の一員として責任を果たせと言われたかららしい。王位継承権を捨てているとはいえ王族である以上、責務からは逃れられないわけで。

 そういう経緯もあり、アランはイグニス陛下より爵位と国王直轄領の一部を拝領することが内定した。

 アランが治める領地としていくつかの候補を挙げられ、私の身辺警護が少し緩くなったタイミングで、領地視察のために王都を出ることが多くなった。

 今回も視察のため十日ほど王都を離れていたのだけれど、戻ってきて陛下に報告を終えた後、その足で私に会いに来てくれたのだ。

 アランが不在の間、私の気持ちはここから遠く離れた彼へと向けられていた。

 まだまだ恋人として婚約者として、どう振る舞えばいいのか迷い困る部分も多い。

 だけど、以前は毎日のように会っていた彼といざ会えないとなると、心の奥に穴が空いたような、大切な何かが欠けてしまったような、とても寂しい気持ちになる。

 アランが暫く王都を出ることが多くなることは、事前に聞かされていたし、分かっていたことなのに……

 でも沈んだ気持ちは、帰還した彼の顔を見た瞬間、綺麗サッパリなくなってしまった。

 欠けていたものが戻ってきて、本来あるべき姿になれた気がする。
 それだけ私にとって彼の存在は、なくてはならないものに変わっていた。

 そんなことを考えながら、久しぶりに見たアランの顔を見ながらホクホクしていると、

「ごめん、戻ってきたままの身なりで。本当は、ちゃんと身を清めてからって思ったんだけど……」

 少し皺が寄ったジャケットの表面を払いながら、アランが申し訳なさそうに言った。顔や手は洗ったからか綺麗だけれど、確かに服もよれているし靴にだって土汚れがついている。

 でも、そんなことを気にするほど私は潔癖な性格はしていないから安心して?

 十七年間、クロージック家で使用人として働いてきた中で、今のアラン以上に汚れたことだってあるのだから、この程度の汚れなんて全く気にならないし、さ、更に言うなら、自身の身なりを整えるよりも、私に会いたい気持ちの方が強かったという事実が一番嬉しいわけで。

 ああ……私の婚約者は今日もとっても素敵です。

 いえ、昔のアランだってこれから先のアランだって、ずっとずっと素敵なのは間違いないのだけれど!

 という、気を抜くと迸りそうになる愛情という名の熱量をぐっと喉の奥に押し込めると、私は安心させるように微笑んだ。

「汚れなんて全然気にならないわ。あ、でも――」

 アランの顔に近付くと、後頭部からぴょこんと跳びだした黒い髪を摘まむ。

「こんなところに寝癖」
「あっ……ほら、もう王都に帰るだけだったし……」

 恥ずかしそうに言い訳をしながら、アランは跳ねた髪の毛を整えようとしたけれど、寝癖はしぶとく、何度撫でつけても起き上がってくる。

 少し唇を尖らせながら寝癖と格闘するアランが可愛いすぎて、思わずフフっと笑いがこみ上げた。

 笑う私に少しだけ不服そうにしていたアランだったけれど、何度やっても起き上がる自分の髪の毛を摘まんでため息をつくと、私につられるように笑った。

「アラン、そういえばさっき体調の方は大丈夫だって言っていたけれど……もしかして精神的に辛いの?」

 先ほど交わした会話を思い出し、少し不安になった。
 ほら、精神的な辛さはいつか身体にも影響を及ぼすものだから。

 ただでさえ、アランには私のせいで色々と負担をかけているわけだし……

「そう……だね」

 アランがそう言いながら、まるで溜まった疲労を吐き出すようにため息をついた。
 彼の行動と言葉に、やっぱりと罪悪感で胸がいっぱいになって、思わず俯いてしまう。

 しかし、

「視察中、ずっと辛かったかな。だってエヴァと会えなくて……すごく寂しかったから」
「……え?」

 思わず顔をあげた私の視界に、瞳を細めながらこちらを見つめる彼の顔が映った。大きな手が私の肩を抱き寄せ、彼のぬくもりが上半身を包み込む。

 互いの身体が密着する。
 十日ぶりに触れあう体温に、心臓の鼓動が自然と大きくなる。 

「あ、アラン?」
「少しだけ……このままでいさせて?」

 首筋に顔をうずめたアランの息が、銀髪を僅かに揺らす。今まで堪えていた寂しさの大きさを伝えるように、彼の腕がこの身体を強く抱きしめる。

 抱きしめられる息苦しさが、今は愛おしくて堪らない。
 同じ気持ちを共有するかのように、互いの息づかいが重なる。

「……好き、大好き……俺のエヴァ……」

 囁きのような、少し掠れた呟きとともに、首筋や頬にキスをされる。
 絶え間なく耳の奥に吹き込まれる甘い言葉と、言葉が途切れた合間に鳴るリップ音に、頭の芯がジンッと熱を帯びる。

 それにしても、さっきから彼の愛情表現が止まらない。
 羞恥が嬉しさを越えてしまう。

「アラン、ちょっと待って……」

 痛いほど高鳴る心臓の振動を胸の奥で感じながら、私は彼の行動を制しようとした。

 本当は待って欲しくない。
 でもこれ以上純粋すぎる愛情を表現され続けたら、私の心臓がきっともたない。

 首筋に埋めていた彼の顔が、僅かに浮いた。

「ずっと溜め込んでた気持ちを全部出さないと、倒れそう。だから――」

 一瞬途切れた言葉の続きが、声にならない囁きとなって耳の奥をくすぐる。

「ごめん、無理かも」

 彼の唇が耳たぶに触れ、輪郭をなぞった。

 こそばゆい感覚に、双眸を瞑る。
 思わず唇から漏れ出そうになった声を必死で飲み込む。

 私も彼の首筋に顔を寄せると、背中に腕を回してギュッとしがみついた。

 幸せ過ぎてだらしなく緩む自分の顔を、アランに見られたくなかったから――
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