虎の威を借る狐姫と忍び


 昨日会った時よりも機嫌のよさそうな姫が、だらしない体勢から軽く姿勢を正して座りなおす。

「どうした。早く中に入れ。寒い」
「し、失礼いたします……」

 やはり今日も彼女の装いは男のようであった。
 袴の裾がバサバサと音を立てるのを左之助はぼんやりと見ていたが、姫に声をかけられて急いで室内に入った。
 視線で指示された位置に座せば、満足そうに姫は笑う。

「さて、改めて私は為景。城主である為虎の末子だ」
「私は上月左之助でございます。本日よりなにとぞよろしくお願いいたしまする」
「うえつき、か。あいわかった」

 余裕たっぷりといったように姫は胡坐をかいたまま膝に肘をつき、手で顎を支える。
 その様がやはり、城主為虎によく似ており、ますます左之助は姫の処遇に眉をひそめた。

「…………私はつい先日まで領地の外に居てな。一昨日に廣崎へ戻ってきたばかりだ。最近の城内については上月の方が詳しいだろうから、あまり期待してくれるなよ。ああ、あとはそうだな、先ほどお前を案内したのは私の侍女の菖蒲(あやめ)だ。これからこの離れのすべてを管理する。何か必要なものがあれば菖蒲に尋ねるといい」
「承知仕りました」
「それと、近日中で構わないが、忍びの詰所からこの屋敷に生活拠点を移してほしい。納戸が二つあるから、菖蒲と相談して部屋を決めろ。食事に関しては菖蒲が準備してくれるが、まあ暮らし始めてからで良いだろう」
「わかりました。明日中には荷物をまとめてこちらにお伺いいたします」
「ああ、よろしく頼む」

 つらつらと続く為景の説明がひと段落したところで、左之助は一番聞きたかったことについておずおずと尋ねてみる。

「……それで、為景様」
「なんだ」
「その、私は何のお仕事をお任せいただけるのでしょうか?」
「あ? あぁ……」
「忍びの村では、体術もですが、薬草や毒、暗号などについても学んでおりましたし、先日までは大殿直属の以組に所属しておりました。若輩者ではございますが、いかようにもお使いくださいませ」

 これから左之助は、他の同僚たちとは違い、津路家の忍び軍からは完全に独立した忍びとなる。
 為景の命にのみ従い、為景のために存在し、為景のために命を張る。
 大殿や忍び軍頭領の命令ですら、為景の言葉一つで破ることが出来てしまう。
 数日前までは考えたこともなかった特殊な立ち位置に己が置かれたことに、左之助はほんの少しの緊張と、高揚感を確かに覚えていた。どういう理由であれ偶然であれ、選ばれた、という事実が左之助の幼い矜持をくすぐっていた。

「そうだな、仕事……」
「はい」
「あ~……、仕事、しごと……」
「はい……!」

 どきどきと心臓が脈打つ。
 左之助は自分の主人の口が閉じたり開いたりするのをじっと見つめていた。




「うん。今日は掃除だな」
「…………へ?」




 そう言うと為景はすっくと立ちあがって障子に手をかけると、左之助に「ついてこい」と声をかけてきた。
 急いで左之助も立ち上がり、為景の背を追いかける。

「今日は菖蒲に付いてこの屋敷の掃除をしろ。広くはない屋敷だが、把握してほしい仕掛けもあるしな」
「え、えぇ、え?」
「まだ住まいの準備が整ってない。あと、菖蒲とお前の部屋も準備しなければな」
「掃除?」
「ああ」
「……わたくしは忍びなのですが、」
「知っているが、」

 廊下を進んだ先、とある戸の前で立ち止まった為景は、ガラリと大きな音を立てて中に入る。

「まぁ、人手が足りんからな」

 次に左之助の目の前に現れた彼女の手には、2本ずつ箒とはたきが握られていた。
 そのうちの一組をずいと手渡される。
 もう片方の組は、姫の手に握られたままである。

 つまりは、そういうことなのだろう。


(なんでお姫様が掃除する気満々なんだよ……)


「承知、いたしましたぁ……」

 上月左之助。津路家当主が末娘の忍び。
 そんな彼の初めての仕事は、職場の環境を整えることであった。


< 8 / 13 >

この作品をシェア

pagetop