突然ですが、契約結婚しました。
にっこりと微笑みかけてから、明るい声に切り替える。
「たかが数年の付き合いの部下の戯言なんて聞かずに、主任はこれまで通り、主任が思う通りに穂乃果さんを好きでいたらいいと思います。ここまで言っておいて今更ですが、私には口出しする権利なんてないですし」
権利も理由も、義理もない。
それなのに、腹正しかったのはなんでなのかな。
「出掛けます。私ばかり一方的に言ってすみません」
踵を返して部屋を出た。主任は最後まで、何も言葉を発しなかった。
ハンドバッグを手にマンションを後にした。宛てもなく電車に乗って、ひとまず主要駅まで出る。
どうしたもんか。飛び出したはいいけど、目的地なんてない。
こういう時、気軽に呼び出せる人がいればよかったんだけど。そういう人の連絡先は、あの1件の後に全て削除した。
「……そうだ」
頭に浮かんだのは、1軒の隠れ家のようなお店。目の前が真っ暗で覚束ない足取りの中、偶然にも辿り着いたあの場所。
まだ少し早いから、どこかで時間を潰す必要があるけど……。
「いるかな」
話を聞いてほしいわけじゃなくて、ただ、あの空間に身を置きたいと思った。
駅直結のショッピングモールで時間を潰してから、スマホのナビを頼りにお店を目指した。
夕刻。開店とほぼ同時に扉を開くと、ダークブラウンのその向こうには見知った姿があった。
「いらっしゃいませ……って、タマちゃん?」
「お久しぶりです」
バーカウンターの向こうに立っていたのは、記憶よりも随分と髪のトーンが暗くなったタイガさん。彼は私の姿を見るなり、すぐに私の名前を口にした。
「すごい、タイガさん。私、あれ以降お店に来られてなかったのにすぐに気付いてくれるなんて」
驚きと共に言うと、タイガさんは柔らかい雰囲気を更に柔くして、くしゃっと笑った。店内にまだ他の客の姿はない。
「仲良い友達の奥さんだからね。何より、あんな場面を見せられて忘れるはずないよ」
「あはは。入籍までの一部始終、見てましたもんね」
「証人にもなったよ」
「そうでした。その節は大変お世話になりました」
タイガさんに促されて、カウンターチェアに腰掛ける。外の世界はまだ明るいけれど、ここはすっかり落ち着いた空間だ。
「何飲む? ノンアルも作れるよ」
「ありがとうございます。けど、お酒が飲みたい気分。ちょっとスパイシーなのを、お任せで」
「了解」
「たかが数年の付き合いの部下の戯言なんて聞かずに、主任はこれまで通り、主任が思う通りに穂乃果さんを好きでいたらいいと思います。ここまで言っておいて今更ですが、私には口出しする権利なんてないですし」
権利も理由も、義理もない。
それなのに、腹正しかったのはなんでなのかな。
「出掛けます。私ばかり一方的に言ってすみません」
踵を返して部屋を出た。主任は最後まで、何も言葉を発しなかった。
ハンドバッグを手にマンションを後にした。宛てもなく電車に乗って、ひとまず主要駅まで出る。
どうしたもんか。飛び出したはいいけど、目的地なんてない。
こういう時、気軽に呼び出せる人がいればよかったんだけど。そういう人の連絡先は、あの1件の後に全て削除した。
「……そうだ」
頭に浮かんだのは、1軒の隠れ家のようなお店。目の前が真っ暗で覚束ない足取りの中、偶然にも辿り着いたあの場所。
まだ少し早いから、どこかで時間を潰す必要があるけど……。
「いるかな」
話を聞いてほしいわけじゃなくて、ただ、あの空間に身を置きたいと思った。
駅直結のショッピングモールで時間を潰してから、スマホのナビを頼りにお店を目指した。
夕刻。開店とほぼ同時に扉を開くと、ダークブラウンのその向こうには見知った姿があった。
「いらっしゃいませ……って、タマちゃん?」
「お久しぶりです」
バーカウンターの向こうに立っていたのは、記憶よりも随分と髪のトーンが暗くなったタイガさん。彼は私の姿を見るなり、すぐに私の名前を口にした。
「すごい、タイガさん。私、あれ以降お店に来られてなかったのにすぐに気付いてくれるなんて」
驚きと共に言うと、タイガさんは柔らかい雰囲気を更に柔くして、くしゃっと笑った。店内にまだ他の客の姿はない。
「仲良い友達の奥さんだからね。何より、あんな場面を見せられて忘れるはずないよ」
「あはは。入籍までの一部始終、見てましたもんね」
「証人にもなったよ」
「そうでした。その節は大変お世話になりました」
タイガさんに促されて、カウンターチェアに腰掛ける。外の世界はまだ明るいけれど、ここはすっかり落ち着いた空間だ。
「何飲む? ノンアルも作れるよ」
「ありがとうございます。けど、お酒が飲みたい気分。ちょっとスパイシーなのを、お任せで」
「了解」