叶わぬ恋ほど忘れ難い

 夜番専属の準社員、田中さんからの着信が入ったのは、家に着いてすぐのことだった。

 連絡先は交換していたものの、実際に連絡が来るのは初めてで、何か緊急の話だろうか、と急いで応答すると、聞こえてきたのは田中さんの声ではなかった。

「崎田さん? 初めまして、こんばんは。今大丈夫? 一応シフト表で確認して、そろそろ家にいる頃かなって思って電話したんだけど」

 張りのある女性の声に一瞬戸惑い「あ、はい」とだけ返すと、女性は楽しげに笑って、自己紹介をしてくれた。
 彼女は涼子さん。田中さんの彼女とのことだった。

「武司から、スタッフさんたちの話はよく聞いているの」
 武司――田中さんのことだ。

「でね、いつか話してみたいなって思ってたんだけど、そっちの店に行く機会がなくて。じゃあ電話しちゃえって思ってね。武司から、崎田さんは優しくて平和な善人だから、声かけるならまず崎田さんがいいんじゃないって言われて。って言っても、夜番しか入らない武司が関わるスタッフさんなんて少ないし、その中で気軽に声をかけられる人なんて限られるんだけどね。で、電話しちゃった。いい?」

 とにかく明るくてよく喋る涼子さんは、初めて話す電話だというのに、猛スピードで距離を詰めて来るから、驚きつつも、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 わたしにもこういう経験はある。地元を離れ、あちこちを回っていた頃。右を見ても左を見ても知らない人しかいない場所で過ごすには、自ら進んで人との距離と詰めなくてはならなかったのだ。

 そしてあっと言う間に距離を詰め切った涼子さんは、なぜ今日、わたしに電話をくれたのかを話してくれた。

「武司って体力がなくて。終わるとすぐ寝ちゃうの。余韻なんて一切ないから、ひとり残されて退屈で退屈で。ねえ、たまにでいいから、電話してもいい? 勿論シフト表を見て大丈夫な日にするから。ちょっとだけお喋りに付き合ってくれない?」

 思いがけず職場の先輩の営みについて知ってしまったけれど、それよりも涼子さんの明るい声色に、さっきまで自分の中で渦巻いていたあの人への熱情が、和らいでいく気がして。涼子さんの申し出を受け入れた。

 今日は朝から晩まで、成人向けの話ばかりだったな、と。思い返しながら。


< 39 / 47 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop