わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

10.わたしは夫のことを、

 わたしの名前を呼びながら、ヴェルナーが激しく息を切らす。随分走り回っていたらしい。汗が滝のように流れている。


「ヴェルナー……」


 イゾルデさまを横目で見ながら、わたしはひっそりと息を呑んだ。


『あなたはヴェルナーさまのことを、愛してなんていないのよ!』


 今しがた彼女に言い放たれた言葉が、心の中で暴れている。
 本当は、今すぐヴェルナーの元に駆け寄りたい。わたしはもう、彼の願いを優先出来ない――――そういう意味では、イゾルデさまの言う通りなのかもしれない。


(わたしは……それでもわたしは…………)

「アルマ!」


 ヴェルナーは走って来た勢いをそのままに、わたしのことを抱き締めた。切なさに胸がギュッと締め付けられる。ヴェルナーを抱き返しながら、わたしはそっと顔を上げた。


「ヴェルナー、わたし……」

「行かないでくれ!」


 それは、夜を切り裂くような切ない叫び声だった。骨が折れてしまうんじゃないかって程、強く強く抱き締められて、顔を埋められた肩が熱い。涙が服に染み込んで、わたしの目頭が熱くなった。


「ヴェルナー、あの……」

「ごめん! 俺、何がいけなかったのか、全然分からなくて……。悪いところがあったら全部直す! アルマが望むこと、何でもする!
……だから頼む! 俺を置いて行かないでくれ! 俺はアルマと一緒に居たいんだ!」


 ヴェルナーの身体は小刻みに震えていた。縋る様にわたしを抱き締め、何度も何度も、腕に力を込め直す。


「ヴェルナー、違うの。あなたが悪かったわけじゃない。悪いのは寧ろわたしの方。
わたしは……わたしはもしかしたら…………あなたを愛していないのかもしれない」

「…………え?」


 涙が止め処なく零れ落ち、嗚咽が漏れる。心が壊れそうな程に苦しい。


(こんなこと、認めたくなかった)


 ヴェルナーは戸惑いつつも、わたしを真っ直ぐに見つめ続ける。何度か深呼吸を繰り返し、わたしは徐に口を開いた。


「あなたの望みを――――願いを叶えてあげることが、わたしには出来ない。寧ろ邪魔したいとすら思っている。
だってわたしは……ヴェルナーがわたし以外の人を――イゾルデさまを愛するなんて嫌! 二人が一緒になる未来なんて見たくないし、ヴェルナーの隣にいるのはわたしだけが良い。ヴェルナーの居ない何処かになんて、本当は行きたくないの!」


 胸が燃えるように熱く、収まりそうにない。ヴェルナーは驚きに目を見開きつつ、わたしの頭を優しく撫でた。


「わたしには何の力もないから、イゾルデさまみたいに、もっと良い魔術師団を紹介することも、爵位を用意することも出来ない。
イゾルデさまと一緒に居たら、ヴェルナーは幸せになれるんだって分かってる。
それでもわたしは、ヴェルナーにわたしだけを想って欲しい。ずっと一緒に居て欲しいって思うの!」

『愛とは、己よりも相手を大切に思うこと』


 いつかのイゾルデさまの言葉が木霊する。

 彼女の言う通り、ヴェルナーの気持ちを――幸せを第一に思えないわたしは、ヴェルナーのことを愛していないのかもしれない。

 だけどわたしは、それでもヴェルナーの側に居たい。
 自己中心的だって言われたとしても、わたしの望みはいつだって、ヴェルナーの側に居ることだった。

 離れたくなんてない。二人で泣いて、笑って、抱き締め合いたい。これから先の人生を、ヴェルナーの隣で送りたいと、心の底からそう願う。


「――――アルマ」

 ヴェルナーが徐に口を開く。
 いつだって流されてばかりのわたし。何かを選んだことも、欲したことも、こんな形で気持ちを露にしたことだって全然ない。ヴェルナーが何て答えるのか物凄く怖くて、反射的にギュッと目を瞑った。


「俺さ……アルマからめちゃくちゃ『愛されてるなぁ』って思うよ」

「…………え?」


 ヴェルナーの言葉に恐る恐る目を開ける。すると、彼は満面の笑みを浮かべていた。涙が朝日でキラキラ光り輝き、心の中に染み込んでいく。
 ギュッと力強く抱き締められ、わたしはまた、涙を流した。


「あの人になんて言われたかは分からない。
だけど、俺の望みはアルマと一緒に居ることだよ。アルマを幸せにしたい――――それ以外の夢なんてないんだ」


 ヴェルナーの言葉が真っ直ぐ心に突き刺さる。
 その瞬間、イゾルデさまは眉間に皺を寄せ、ふいと踵を返した。


「俺が魔術騎士団に入りたかったのは、アルマをしっかりと養いたかったからだ。苦労をかけたくないし、出来る限り良い暮らしをさせてあげたいって、幼い頃から思ってた。
本当は学園卒業後すぐじゃなく、就職して、ある程度お金を貯めてからプロポーズするべきだったんだと思う。恋人同士になって、もっと俺を好きになってもらうべきだって分かっていた。
だけど……もしも他に男が現れて、アルマを掻っ攫って行ったらって思うと、気が気じゃなかった。だから、アルマが断らないって分かってて、あの日、君にプロポーズをした。
全部が全部アルマのためじゃなかった。俺がどうしてもアルマと一緒に居たかったら――――そういう意味でいえば、俺のためだった。
アルマ――――そんな俺を、君は軽蔑する? アルマのことを『愛していない』って、そう思う?」


 ヴェルナーはそう言って、困ったように微笑む。


「ううん……思わない」


 愛おしさを胸に、わたしは彼に手を伸ばす。
 ヴェルナーはいつだって、わたしのことを大切にしてくれた。それらは純粋に、わたしの幸せだけを願ったものではなかったのかもしれない。
 だけど、そんなことは関係なかった。彼と過ごす日々は楽しかったし、嬉しかった。とても幸せだったから。


「アルマの望みは俺の望みだ。だから、俺達は何があっても離れちゃいけない。……大丈夫。これから先、アルマが不安になったとしても、俺が絶対に放さない。愛してるって伝えるし、アルマにも愛してもらえるように努力する。
だからさ――――俺の側に居てよ。一生、ずっと一緒に居て?」


 ヴェルナーはそう言って、わたしのことを抱き締める。
 彼の瞳にはずっと、わたししか映っていなかった。


「…………っ! ………………っ‼」


 イゾルデさまはもう、何も言わなかった。夜明けの町に向けて駆け出す靴音が、微かに耳に届く。
 どのぐらい時間が経っただろう。気づけば夜の帳が明け、朝日が町を包み込んでいた。


「帰ろう、アルマ」


 二人きり、たっぷり抱き締め合った後、ヴェルナーはわたしに手を差し出す。


「――――うん」


 ニコリと微笑み返しつつ、わたしは彼の手を握った。
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