政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません
ケイトリンとの対面は僅か半時間程だったが、それ以上に思えた。

部屋から出て私は足に力が入らず、謀らずも皆さんの……ルイスレーンの部下の方たちの前でお姫様抱っこをされてしまった。

「大丈夫ですか?」

ぐったりとルイスレーンに寄り掛かる私を見て、漏れ聞こえてきた話から外にいた人達が心配して訊ねる。

「大事ない。体力を消耗しただけだ。ここでの話は他言無用で頼む。もしオリヴァー殿下や陛下に訊ねられたら、私から報告すると伝えてくれ」
「心得ております」

彼らにどこまで聞かれたかわからない。全て聞こえていたとしても、意味がわからなかっただろう。
彼らはリンドバルク侯爵家の人達同様、見聞きすることについて口をつぐむべきことを心得ているのだろう。

「少し休んでから行くか?」

馬車に着き私を座席に座らせてからルイスレーンが気遣って訊ねてくれた。
私は首を横に振り、早く帰りたいと呟いた。

「わかった。出来るだけゆっくり走らせる。具合が悪くなったら言いなさい」

私の横に座り、ルイスレーンは膝枕をしてくれた。黙って私はそれに従う。筋肉質で硬いルイスレーンの膝枕は快適ではなかったが、髪を撫でてくれる手つきと馬車の振動で私はいつの間にか眠っていた。

「着いたぞ」

馬車が止まり、ルイスレーンの声で目が覚めると、もうリンドバルク侯爵家の玄関先だった。

「よく眠れたか?」

起き上がって目を擦る私の乱れた髪を整えながら優しく問いかけられ、黙って頷いた。

「疲れただろう。今日はもう風呂に入って休もう。軽めの夕食を部屋に運んでもらうから」
「はい」

精も根も尽き果てたとは、まさにこのことだ。ダルい体をもう一度ルイスレーンに抱えられ、心配してマリアンナたちが後ろからついてきてくれた。

ほかほかと体が温まり、湯船から上がると部屋にサラダとサンドイッチ、何種類かの焼き菓子が用意されていた。
ルイスレーンも既に自分の部屋で入浴を済ませ、先に出て待っていてくれた。

「話をしても大丈夫か?」

「はい」

「君と彼女の問題だったかも知れないのに、余計な口出しをしてすまなかった」

ルイスレーンが私の変わりに彼女を諌めようとしたことを謝った。

「いいえ、私は彼女に対して何も言えなかった。彼女……変わりに言っていただけて嬉しかった」

「最初に私の知らない言葉で話していた。あれは前の世界の言葉なんだな」

「そうです。『日本語』と言います」
「彼女も、君と同じなのだな」
「はい。私と同じ頃に思い出したそうです」

私の前世の記憶が甦ったのは戦争が終わる少し前。彼女がカメイラからエリンバウアに来たのも戦争が終わった頃。まったく同時期ではないが、近いことに何か因果関係があるのだろうか。

「愛理の夫だった男はどうしたのだ。何か意味のわからないことを言っていたが……」
「あの人は……多分、彼女より先に死んだと思います。破産して、お金を借りれるだけ借りて返せなくなって。闇の組織にお金のために葬られたらしいです」
「よくあることなのか?」
「……わかりません。噂には聞いたことがありますが、本当にあるかどうかは……あちらでは臓器移植と言って、内臓疾患で機能障害に陥った臓器を取り替える技術があります。合法的な方法で回ってこない人が、お金に糸目をつけずに闇マーケットで買うために、無理矢理誰かから奪うことがあると聞きました。あの人は、そのために拐われた。彼女はそう言っていました」

「愛理を裏切ってまで手に入れたものを全て失い、金銭のために命を落としたか……そしてその女も……」

前世ではようやく手に入れた地位を奪われた挙げ句病に倒れ、今回も罪を犯して幽閉同然の生活を送ることになった有紗。
誰かに恨みをぶつけたくなる気持ちもわかる。
それが全部私に…愛理とクリスティアーヌに向かった。

「一歩間違っていれば、私も彼女のようになったかもしれません」

夫に裏切られ失意のうちに死んでいったことを無念に思い、今度こそはと足掻いた道が一本でも違っていたら、自分も同じ穴に落ちたかも知れない。

「だが、君は道を踏み外さなかった。私から逃げようとはしたことは問題だったが、誰も恨まず、新しく生きようとした」

結婚を白紙にして欲しい言ったことを彼は今でも気にしている。

「人を変えることは難しい。彼女がああだからと言って君が悲しむ必要はない。人を変えるのではなく、自分が変わろうとしなければ、ずっとあのままだろう」

「ヴァネッサや叔父の策略で拐われ、せっかく救いに来てくれたルイスレーンの忠告を守らず、またケイトリンとバーレーンに連れ去られてしまった私も愚かでした。そのせいで多くの方に迷惑をかけました。軽率な考えのない行動だったと反省しています。皆が認めてくれて、ちやほやしてくれて、こんな風に見守って大事にしてくれる夫がいて……浮かれて何でも出来る気でいました。実際は、何の力もないくせに」
「腕力や権力だけが力ではない。君には君にしかない魅力と価値がある。それをわかってくれる人達もいれば、そうでない人もいるということだ。ケイトリンやヴァネッサ、君の叔父やオヴァイエたちのように、あそこまで悪意を向けてくる者もそうそういないだろうが、この先も現れない保証はない。同じ過ちが起こらないよう、気を付ければいい」
「私の……魅力?」

ルイスレーンが私に手を伸ばし、頬に触れる。

「王家の血を引き、リンドバルク侯爵夫人で、軍の高官の妻。クリスティアーヌとして世間がまず注目するのはその点だろう」

金色の目を彼が覗き込む。

「でも、それは私が勝ち取ったものではありません。母が王族であったから私はこの瞳を持つことが出来た。あなたと結婚したのも陛下が手配してくれたから。私が自慢していいものではありません」
「君らしい……もちろん、それは君の表面上のことだ。皆に慕われ、偉ぶるのではなく人として対等にあろうとする心構え。人の痛みがわかるからこそ人に優しくなれる」
「誉めすぎです……そんな立派なものではありません。でも……」
「でも?」

頬に触れるルイスレーンの手に自分の手を重ねる。大きくてとても覆うことはできない。

「今こうして、あなたに慈しんで貰えるのは、私の功績だと思っていいですか?……条件でなく、私のことを好ましく思ってくれていると、自惚れても」
「好ましく?そんな可愛いものではない」

ルイスレーンが立ち上がり、もう片方の手も頬に添えて私の顔を上向かせる。

「この世の誰よりも君を愛しく思う。君の全てが愛しい」

「私も……愛しています」

彼の唇が降りてきて私の唇に重なる。最初は軽く羽のように。次にもっと力強く。やがて口づけはどんどん深くなり、私は口を開いて彼の舌を迎え入れた。
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